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3.11を心に刻んで

平野克弥〈3.11を心に刻んで〉

「確かに人は希望がなければ生きられません。でも、この絶望的な情景を私たちは認識する必要があります。これが、この国がしていることなのだと。それは、怒りや悲しみを深くします。そして熟成させます。そこから私は、展望が生まれると思います。」
(武藤類子、2015年8月26日のインタビューにて)

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 武藤類子さんは、福島の三春町に留まりながら全国的被災者団体「ひだんれん」の共同代表を務められ、またそれ以前から核廃絶の運動に関わってこられた。2015年のインタビューで、原発事故によって奪われた日常を彼女は「絶望」と呼んだ。そして、今年の3月に米国で行われた学会で、その思いに変わりがないと語った。「希望がなければ生きられません」と言う武藤さんが「絶望」を語る時、その言葉に込められた重みは計り知れない。それでも、武藤さんは同じインタビューの中で、破壊されてしまった福島の豊かな自然と生活に強い思いを寄せながら、「冷静でありたいって思うんです、〔破壊の〕事実を見つめたい。まあ、絶望もね、絶望としてきちんと絶望したいと思うんです」と言った。
 希望がないことは、それ自体、誰にも堪え難い苦痛だろう。だからこそ、事実の歪曲をとおして推し進められる「復興」という真実の堕落ですら、それが「希望」を与えるならば、人は理性を投げ捨ててまで飛びついてしまう。ナチス時代を生きた思想家エルンスト・ブロッホは、ユートピアはごく普通の日常のなかに感知された欠乏感や不満、不安の感情から生まれると言った。ユートピアへの欲求は、理想や正義を求める運動だけでなく、ナチズムという怪物も生み出した。いま、真実を語ることが福島の人々を不安に陥れ孤立させるという風潮が日本を支配している。国がすすめる「復興ユートピア」はこの風潮と連動しながら、私たちを「安全」・「安心」という自己暗示へと誘う。武藤さんにとって、絶望をきちんと絶望するとは、原発事故の理不尽さをしっかりと見据え、考え続けることであり、そのような現実との関わり方が核なき未来への第一歩となる。それは、「復興ユートピア」が被災者の感情のひだに狡猾に入り込みながら、新しい安全神話を生みだし、事実の隠蔽を計ろうとすることへの抗いであり、未来を横領されないための闘いでもある。きちんと絶望すること。知的に、具体的に、そして主観的に真摯に理不尽のなかへと割り入る勇気を持つこと。その先に、希望の芽は育まれるのかもしれない

(ひらの かつや・歴史家)

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