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3.11を心に刻んで

吉田千亜〈3.11を心に刻んで〉

だれだってだれかのためにお茶をいれることはできる。しかしそれが、求められたからでなく、業務としてでもなく、もちろん茶碗を自慢するためでもなくて、「だれかのため」「なにかのため」という意識がまったくなしに、ただあるひとに一杯のお茶を供することとしてあって、そしてそれ以上でも以下でもないという事実は、それほどありふれたものではない。
(鷲田清一 『じぶん・この不思議な存在』 講談社現代新書)

*  *


 「じぶん」を「他者の他者」として見る。輪郭のぼやけた、一貫性・持続性のない、気ままな「じぶん」。そうする時、「じぶん」も「じぶん」以外の人も「他者の他者」である。
 けれどもそれは、「私が取材をして誰かを書く」ということと、相反する。書く人、書かれる人、という枠に規定される。3・11後、次々と押し寄せる理不尽な出来事を前に、「人の言葉を伝えたい」「そこから、原発事故の被害を伝えたい」との思いで取材を続けた。その時に私が抱えていたのは、私が書くことによって、相手の方々が、それぞれの「じぶん」を失いませんように、という理屈の通らない祈りだった。

 3・11から一年後の2012年3月、あるシンポジウムで「自己紹介と、あなたが震災後、何をしてきたのか、話してください」という問いを前に、言葉を失ったことがある。「何者か」「何をしてきたのか」そのような質問を受けたのが、原発事故後、初めてだった。何も発せない自分に戸惑い、手が小さく震えた。「私は何者か」「私は震災後に何をしてきたのか」その時、それを一番知りたかったのは、私だった。
 しばらくして「あなたは支援者なのか書き手なのか」という問いを前にした時も、同じだった。自分が何者かを説明できなければ、そこに居ることが許されないような世界に、私はかつて、いなかった。(そして、「支援者」と言われることもずっと苦手だ。)自分を説明することなど不要だった地続きの暮らしの糸を、あの日、切られた人々がたくさんいる中で、私ですら、自分を表現する言葉に窮するほどに、世界が変わった。
 原発事故後の私の中には、いろいろな私と新しい私がいる。そのことに、私すら慣れていない。「じぶん」を問われたとき、それが何者であるかをうまく説明できない状況は、より一層、深まった。

 「何かができるなんて思ったことは一度もないよ」と、ある時、友人が私に言った。また、「『引き受ける』と言うけれど、できないよね」と、別の友人も言っていたことがある。そうは言いながらも、二人とも、それぞれ社会の問題に真剣に関わり続けている人であり、書く人でもある。その二人の佇まいと言葉は、「ただあるひとに一杯のお茶を供し、それ以上でもそれ以下でもない」ことの存在を信じさせてくれるものだった。

 同じ時代に生き、隣で、同じ出来事を見ている。それについて、怒り、悲しみ、考え続ける。

(よしだ ちあ・フリーライター)

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