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3.11を心に刻んで

石戸 諭〈3.11を心に刻んで〉

現代を生きる彼らのひそやかな「生」の中には、彼ら自身も気づいていない不思議な意味を持った時間が存在していた。
(沢木耕太郎『彼らの流儀』)

*  *


 私の最初の本になった『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)は2011年3月11日からを生きる人々の声を集めたものだ。そこに登場する彼らの声は、彼ら自身も意識していない不思議な効果と広がりをもたらした。
 2017年秋のことである。
 「あの本を読んでから、気持ちが楽になりました」。そう語ったのは仙台出身の大学生(当時)だった。彼女はあの日、地元・仙台を離れ、オーストラリアに語学留学をしていた。オーストラリアのテレビに変わり果てた地元が映し出されていく。一番、仲が良かった友人は津波で家族を亡くしていた。
 留学を終えて帰国すると友人の様子は表面的にはこれまでと変わっていなかったが、小さな変化はあった。例えば、試験後に一番低かったテストの点数を見せあって笑い合うことが定番だったが、あの日から無くなった。そんな状況で津波の話はどうしてもできなかった。そこで彼女は思い悩む。
 自分は友人が、一番辛いときにそばにいることができなかった。それどころか、あの揺れも、あの津波も、あの日からインフラが壊滅的な被害を受けて激変した生活も安全な場所にいた自分は体験していない。「当事者」ではない自分に一体何ができるのか。そもそも、友人の悩みを聞く資格はあるのだろうか。
 彼女にとって、あの日からを振り返ることは心の傷になり、そっと蓋をした記憶になった。友人のことは気にかけながらも3月11日のことはお互いに語ることができない体験になっていく。
 この本に出てくる人たちは、あの日からの経験を「個人のもの」として語っていた。私が書いたのは「彼ら」の体験であり、揺れていく心情だ。「被災者」や「当事者」というレッテルをはらずにあくまで「個人」として語る「彼ら」に接近しようとした。
 個人の声と個人の声は時間を超えて響きあう。あの本で彼女の気持ちが楽になったのは、揺れも、津波も生活の変化も体感できず引け目を感じ、話せずにいた自分の気持ちこそが「私の震災体験」だった、と彼女が受け入れたからだろう。
 沈黙していた6年半こそが彼女にとって不思議な意味をもつ時間になっていたとしたら……。
 震災をテーマにしたノンフィクションは書き手自身が主役になっているものが多いと私は感じていた。書き手は怒り、真実を暴き、正義感や使命感を燃やす。そこで立ち現れるのは生き生きとした書き手の姿であって、未曾有の事態に直面した「人」の姿ではない、と。
 「私も言葉で人に何かを伝えていく仕事に就きたいんです」。本の感想をひとしきり語ったあと、彼女ははっきりとそう言った。人の言葉は人に届くということを、誰よりもわかっている彼女はどう成長していくのだろうか。
 彼女もまた3月11日からの時間を生きている。きっとどこかで仕事に触れていくことになるだろう。私はその時を楽しみにしている。

(いしど さとる・ノンフィクションライター)

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