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3.11を心に刻んで

木村朗子〈3.11を心に刻んで〉

静かな怒りが、あの原発事故以来、去りません。むろんこの怒りは、最終的には自分自身に向かってくる怒りです。今の日本をつくってきたのは、ほかならぬ自分でもあるのですから。この怒りをいだいたまま、それでもわたしたちはそれぞれの日常を、たんたんと生きてゆくし、意地でも、「もうやになった」と、この生を放りだすことをしたくないのです。だって、生きることは、それ自体が、大いなるよろこびであるはずなのですから。
(川上弘美 「あとがき」 『神様 2011』 講談社)

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 原発事故のニュースにひりひりと心をすりへらしていた日々から7年が過ぎて、東京あたりの日常はすっかり「復興」を遂げたというのに、美しく晴れた青空を見上げて、ああこの空も汚染されているのだと悲嘆に暮れていたころの感情が今でもふときざす。身体の力が抜けていくような絶望感。その後の政治のすすみゆきにも、ヘイト感情の跋扈する殺伐とした社会にも同じように心が沈む。そんなとき、「意地でも、『もうやになった』と、この生を放りだすことをしたくないのです」ということばがふいに浮かんで、そのつど励まされてきた。
 大学で学生たちと接していると、この7年というのがどれほど長い時間だったかがよくわかる。人生の後半を生きている私のような者にとっては昨日のことのように感じられる出来事も、若い人にとっては幼いころのことになる。忘却とよく言われるけれど、災厄の記憶は決して人々から消え去っているわけではないのだろう。ただそれを知らない世代がどんどん増えて薄まっていくだけのことだ。きっと戦争も、阪神淡路大震災も、同時多発テロも、こんなふうに薄まっていったにちがいない。だとしたら、忘却に抗うというよりも、記憶の喚起が必要だということになるだろうか。
 川上弘美には震災後に書かれた『水声』(文藝春秋)という作品もあって、ここにはそうした過去の災禍が記されているのである。作家とほぼ同時代を生きてきて、読んでいるとあのときの感情が次々によみがえってくる。1985年の日航機墜落事故も1986年のチェルノブイリ原発事故のこともすっかり忘れてしまっていたわけではなかった。
 幾つもの「あの日」が過ぎ去って私のなかに記憶されている。それらを考え続けるためのことばが要る。だから私は小説を読み続けているのだと思う。

(きむら さえこ・文学研究者)

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