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3.11を心に刻んで

後藤芳一〈3.11を心に刻んで〉

「学ぶということは、教えられたことを踏み台にして、答えてくれる者のいない世界を問うことでなくて、何であろう。人は答えてくれない。が、天や地や水は答えてくれる。」
(宮城谷昌光著『奇貨居(お)くべし(黄河篇)』中公文庫)

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 学校で教科書から知識を得る。社会に出てさまざまな課題に向き合い対応策を考える。これらはともに「学ぶ」ことです。
 学校では時間がないので過去の情報を取りこみ、答えの用意された問題で練習することが中心です。しかし、社会で直面する問題はさまざまです。100点満点の解決策はほとんどなく、60点、時には40点の結果でよしとせねばならないこともあります。さらに、社会では問題がはっきり見えるわけでなく、問題があるかどうかさえ自分で判断しなければなりません。そうした問題に向き合いながら、世の中は本来どうあるべきか、自分はどう生きるべきかを考えます。これが本当の学びだと思います。

 震災の2年後、筆者は大学の工学部の教員として、2年生のゼミを担当しました。毎週4名の学生が研究室へやってきて、半年間、同じメンバーで議論しました。その年の学科共通のテーマは防災。それに加え、筆者の研究室のサブテーマは「『防』だけか、防災」としました。
 筆者は、堤防を強くするなど物理的な策だけが防災か、その前にそもそも「防災」をどう考えるかという議論を学生たちに期待しました。2年生は専門に没入する直前の時期です。その時期に、自分が進む専門を意識しつつ、防災とは何か、何を何から防ぐのか、災害とは何か、という原理的な議論をしてほしく思いました。
 学生たちの視野は、私の期待を越えました。「いま、災害は自然から人への作用と考えられている。昔は神が災害を起こすと考えた。将来は主体が人工物になり、自然や人は外から影響を及ぼす側になるのではないか」。その後ほどなくAIが囲碁・将棋の棋士に勝ち、その判断が社会を動かす時代になりました。学生たちには、すこし早くそれが見えたのかも知れません。
 工学を学ぶと、問題は物理で解けると思いがちです。しかし、科学は発展途上であり、人はまだ自然の一部しか分かっていません。震災は改めてそのことを気づかせました。問題をみつけ、そもそもに戻って考える。3.11を考えるにあたって、そのことを心に刻みたく思います。

(ごとう よしかず・工学研究者)

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