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赤坂憲雄 性食の詩学へ

第一章 指、または恥知らずな冒険 1〈性食の詩学へ〉

1 神秘の森で小指が切り落とされる ①

 
 指は妖しい、と思う。
 そこには数も知れず、なにかしら怪奇な物語やむごたらしくも甘美な記憶がからまりつき、分厚く堆積している気がする。
 とりわけ、小指はあられもなく妖しい。ずっと昔のことだ。一九六〇年代の後半ではなかったか、「小指の想い出」という歌が流行ったことがあった。 
あなたが嚙んだ小指が痛い きのうの夜の小指が痛い
 わたしは中学生になっていた。歌詞の意味はよくわからなかった。しかし、なにか、妖しい気配だけは感じ取っていたのだろう。大人たちに質問すべき事柄ではないこともわかっていた。伊東ゆかりという歌手が、妙に、せつなげに歌う、その表情には、たしかに禁忌の匂いが漂っていたのだ。秘め事があかるい茶の間に、不意に闖入してきたかのような……と、いまならば思う。しかし、じつのところ、歌詞を読み返してみるが、いまだによくわからない。昨日の夜だから、まだ余韻が残っている。あなたは睦みごとのさなか、わたしのほそい小指を口にふくみ、やさしく嚙んだのか。それとも、別れぎわに、わたしの手を取って、いきなり小指の先に歯を当てたのか。小指を嚙むとは、いかなるできごとなのか、それが知りたい。
 野田秀樹の戯曲『小指の思い出』(而立書房)では、どうやら足の小指である。これはたしかに、人間のすべての指のなかで、「最も文明の影響をうけて、変形している」みすぼらしい指だ。蝶がその小指の先に嚙みつくと、指紋が切れて、するすると舞いあがり凧糸になる。奇想のゆくえを追いかけることはしない。ともあれ、痛々しくも窮屈な履き物によって変形を強いられている足の小指ならば、嚙まれるよりは舌で舐められるほうが、しっくり来る。
 太宰治の「思ひ出」に見えていた、赤い糸の伝説はどうか。いつか学校の国語の教師が語って聞かせたことだ。わたしたちの右足の小指には、眼に見えぬ赤い糸が結ばれていて、それがするすると長く伸びて一方の端はきっと、ある女の子の同じ足の指に結びつけられている。二人がどんなに離れていても、その糸は切れず、こんがらかることもない。そして、その女の子を嫁にもらうことに決まっているのだ、という。なぜ、右足の小指が主役になるのか、と問いかけてみても、きっと答えはない。
 それにしても、あやしげな物語や記憶の群れがあふれ出す気配が漂う。それならば、いっそ「指の文学史」などあってもよさそうだが、どうやら書かれた形跡はない。上代から中世あたりの古典文学のなかには、指が印象的に光を当てられる場面はほとんどない、そう、古代文学の研究者が教えてくれた。探しあぐねるうちに、『土佐日記』のなかに、「つまはじき」という言葉を見つけた。常光徹が『しぐさの民俗学』(ミネルヴァ書房)で取りあげており、どうやら爪弾きの文学史ならば、ほそぼそとたどれるのかもしれない。
 あるいは、こんな説話が、『日本霊異記』中巻の「女人、悪鬼に点められて食 はるる縁 第三十三」のなかに見いだされることには、以前から気づいていた。たぶん、そこに見える「一つの指」に関心を寄せてきた研究者はいないと、なんの根拠もなしに想像している。
 大和の国にたいへん裕福な家があった。その鏡作の造(かがみつくりのみやつこ)には、一人のむすめがいた。いまだ嫁ぐことも、男と交わることもなかった。容姿は美しく、よい家柄の人が求婚しても、応じることがないままに何年かが過ぎた。そこに、たくさんの贈り物をする男が現われて、男の申し入れにしたがって結婚が許された。閨(ねや)の内で交わることになった。三度、「痛や」という声が聞えたが、父と母は「いまだ男と交わったことがないので、痛いのだろう」と語らいあい、寝てしまった。あくる朝、母がむすめの部屋から返事がないので、戸を開けてみると、ただ頭とひとつの指とを遺して、ほかはみな喰われていた。奇異(あや)しき事なり、と語り納められている。
 鏡作氏は注釈によれば、鏡を象徴とする太陽神と、それを祀る巫女との神婚説話を伝承し、あるいは、祖神の太陽を招く巫女の宗教儀礼をもっている、という(新潮日本古典集成)。たとえば、三浦佑之はそれに触れて、霊異記説話が描く共同体においては、「神聖なはずの、家々の起源につながる神婚説話が世俗的な世間話・噂話になってしまう」ことを指摘している(『日本霊異記の世界』角川選書)。いわば、そうした来訪する祖神を、巫女としてのむすめが迎えて交わる神婚儀礼が壊れて、むすめは頭とひとつの指だけを残して喰われてしまったわけだ。「痛や」という三度の声。喰われることと犯されることは、むしろ同義であったか。性と食とが思いがけぬかたちで交錯する。〈食べる・交わる・殺す〉というテーマが、ここにも異形をさらしているのである。
 ところで、喰わずに残されたのが、頭とひとつの指であったことは偶然にすぎないのか。頭はまだ了解しやすい。しかし、なぜ指なのか。その指はあきらかには語られていないが、小指ではなかったか。右手であったか、左手であったか。おそらく、手の指と足の指、合わせて二十本の指には、身体機能レヴェルの役割を超えて、それぞれに表象文化史的な背景が層をなして埋もれているのである。神だか鬼だかが喰い残したのは、足ではなく、手の指だろう。しかも親指や人差し指、中指や薬指ではなく、小指でなければ、どうにも落ち着かない。
 
*   *
 
 すでに、『性食考』のなかで引いた、野村敬子の『語りの廻廊』(瑞木書房)の一節を想起してみるのもいい。ニューギニアという飢餓の戦場における体験談である。ジャングルの行軍の途上では、食べる物がなく、次々に餓死してゆく。そのとき、兵士たちは最期の言葉として「もうだめだから料理ってくれ」と言うのだ、という。そして、こんな一節が見える。
初めの頃、戦病死した兵隊の小指を焼いて遺族に送る準備が進められていました。鉄板の上で焼く小指は焼肉の匂いがしたんです。泣きながら焼いたって匂いはしたんです。
 ここに小指が登場していることには気がついていたが、その意味を問いかけることはしなかった。ところが、それから間もなく寺尾紗穂の『あのころのパラオをさがして』(集英社)を読んで、以下の一節に出会った。パラオの野戦病院においても、死んだ兵隊の死体は担架で運んで積みあげるが、小指だけを切り落として、それを遺骨として送ったのだ、という。死体は焼くと煙が出て攻撃の的になるので、そのまま埋めたらしい。
積み上げた死体から切り取られたいくつもの小指。それら一本一本が丁寧に確認され、確かに小指の戻るべき遺族のもとに送られたのか、それさえも不確かだ。南の国から送られた小指は、父や息子の栄誉の証として受け取られたのだろうか。遺された者は胸の空虚や悲しみや怒りを、あの人は勇敢に戦い、英霊になったのだと言い聞かせることで、飲み込んだのだろうか。
 どうやら、南洋の戦場では、死んだ兵士の小指を切り取って、日本内地の家族のもとに送っていたのである。焼いて、それを遺骨としたわけだが、はたして遺族は父や息子や夫のからだの一部として、いや、その形代(かたしろ)として、それを受け入れることができたのか。あらためて、なぜ小指だったのか。それは依然として謎のままだが、そのような戦場の風習が存在したことは疑いがない。
 西部ニューギニア戦線における、こんな証言記録を見つけた。久山忍の『西部ニューギニア戦線 極限の戦場』(潮書房光人社)に収められた「マノクワリ全滅記」の一節である。はじめのうちは、死体は火葬にしていたが、兵隊たちに火葬をするだけの体力がなくなり、死体の腕を肩から切り落として、包帯で巻いたうえで焼いて骨にした。それもできなくなり、肘からはずして焼き、さらに小指だけを焼くようになった。小指一本であれば、固形燃料でもすぐに焼いて骨にすることができた、という。おそらく、小指を焼く風習らしきものが生まれてきた背景は、そこに尽きるだろう。それでも残される問いがあるとすれば、なぜ肩から下の腕が肘から下になり、ついに小指に到りついたか、ということだ。
 高橋弘希の『指の骨』(新潮社)という小説などは、この戦場の指が主役である。衛生兵が脈と瞳孔を確認したあとで、兵隊の掌の下にベニヤ板を敷き、小刀で人参でも切るように指を切り落としてゆく。より具体的に、ベニヤ板のうえに掌を乗せて、その「親指を摘み、やや外側へ開かせ、指のつけ根、拳(こぶし)のやや上あたりに小刀を当て、体重を乗せた。ゴトリ。衛生兵は落とした指を、ガーゼに包んだ」と描写されている場面もある。この個所だけであるが、切り落とされるのは小指ではなく、親指である。なぜ親指なのか、おそらく根拠はあるはずだが、作品のどこにも書かれていない。
 さて、こんな場面があった。一人の兵士が死んだ。近くにいた兵隊たちは合掌し、だれかが指を切り落とし、だれかが火を熾(お)こした。「指の骨、女房に届けてやっからよぅ、ちゃんと成仏してくれよな」と、だれかが呟くと、何人かは涙を浮かべた。それに続く場面である。
しかし指を火の中へ放ると、その場の空気は一変した。炎の陰影が涙を浮かべた男たちの顔面を真っ赤に染めていた。赤い涙の溜まった瞳には、欲望が宿っていた。辺りに肉の焼ける匂いが漂い始めたものだから。私は頭がくらくらとするのを感じながら、月光の下で焚き火を囲む輪を、やや離れた場所から眺めていた。ある兵が、二本の小枝を菜箸(さいばし)のように使って、まだ骨になっていない指を火の中から取り出した。誰も何も言わなかった。私も何も言わなかった。白く平らな石膏のような石の上に、焼き上がった指を置いた。牛肉や豚肉を焼いたときと同じ、赤い、茶色い、指だった。爪が残っていることを除けば、それは肉巻きか何かに見えた。肉の表面からは、紅色の汁と透明な脂が滴(したた)り、石膏に黒い滲みが広がっていく。頭の中の栓が、少しずつ抜けていく。少しずつ抜けて、くらくらとする。骨は、女房のもとへ届けてやっからよぅ。ある兵が、遺体から残り四本の指も切り落とし、火の中へ入れた。誰も何も言わなかった。私も何も言わなかった。遺骨として内地へ持ち帰る指の骨は、一本でなければいけないという規則はない。今度は確かに、濃い肉の匂い、暴力のような肉の匂いが、一帯に漂い始めた。そのあまりに強烈な匂いに、私は思わず一歩あとずさった。軍靴の踵で、かさりと落ち葉が砕けた。それが運命を分けた。私はその場から一目散に逃げ、暗闇の密林を、息が切れて昏倒するまで駈けた。
 ここでも指は焼かれるのだ、骨に、遺骨にするために。それはしかし、「牛肉や豚肉を焼いたときと同じ」ように、「紅色の汁と透明な脂」を滴らせている。そして、そこからは「濃い肉の匂い、暴力のような肉の匂い」が立ちのぼるのである。小説では、主人公はあやうく逃れ去るわけだが、この場面は「今にしてみれば、人喰いはあのようにして始まったのかもしれない」と語り納められている。戦場におけるカニバリズムの情景が、その、ほんの手前に、死者の指を焼いて骨にする習俗をたぐり寄せている。それが、人と獣との境界を無化して、まさに人喰いへと一線を越えるための引き金となっている。
 くりかえすが、この小説で切り落とされるのは親指であった。その背景はわからない。『指の骨』には、「アルマイトの弁当箱に入った、人間の、指の骨。私はその指の骨と、指きりげんまんをしたのだ」と見える。戦友の形見として、指の骨を預かったのである。指切りげんまんならば、小指のほうがふさわしい気がする、などとからめば笑われるか。
 いずれであれ、わたし自身はまたしても根拠なく、霊異記の説話のなかで、神か鬼が喰い残したのは小指であったにちがいないと思いこんでいる。その幾分かは、この南洋の戦場における風習に導かれてのことだ。ほかの指では、なにか収まりがつかない。親指ではなく、人差し指でも中指でも薬指でもなく、やはりほっそりした小指でなければならない、と思う。それが美しいむすめであってみれば、なおさらである。

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著者略歴

  1. 赤坂 憲雄

    民俗学・日本文化論.学習院大学教授.福島県立博物館館長.東京大学文学部卒業.東北芸術工科大学教授として東北文化研究センターを設立し,『東北学』を創刊.2007年『岡本太郎の見た日本』(岩波書店)でドゥマゴ文学賞受賞,同書で芸術選奨文部科学大臣賞(評論等部門)受賞.『異人論序説』『排除の現象学』(ちくま学芸文庫),『境界の発生』『東北学/忘れられた東北』(講談社学術文庫),『東西/南北考』(岩波新書)など著書多数.

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