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赤坂憲雄 性食の詩学へ

第一章 指、または恥知らずな冒険 2〈性食の詩学へ〉

1 神秘の森で小指が切り落とされる ②

 
 小指の思い出は、まだ終わらない。
 次に登場するのは、フォスコ・マライーニというイタリア人の文化人類学者である。『海女の島 舳倉島』(牧野文子訳、未來社)という興味深い著書を知る者は、少なくないかもしれない。マライーニは一九三九年に、はじめて憧れの国・日本へとやって来た。アイヌ文化に関心を寄せる若き人類学者は、北海道大学や京都大学でイタリア語の教師として教壇に立った。しかし、ムッソリーニが北イタリアに建設したサロ共和国への忠誠を拒んだために、名古屋の強制収容所に妻や三人の子どもとともに送られた。このとき、極悪の食糧事情と卑劣な警官たちの振る舞いに抗議して、かれらの面前で、みずからの小指を斧で切り落としたのだ、という(『海女の島 舳倉島』に附された、岡田温司の解説「イタリア人の見た日本のヴィーナスたち」)。
 ここでは、『随筆日本 イタリア人の見た昭和の日本』(岡田温司監訳、松籟社)という著書の一節に、眼を留めてみる。そこに、マライーニ自身によって、収容所体験のひと齣として、小指を切り落とした事件の顚末が語られている。わたしが関心をそそられるのは、それが収容所において、人為的にもたらされた飢餓状況のはてに、突発的に起こった出来事であることだ。とりあえず、そこに直接的な関連が見いだされるわけではない。
 警官たちが配給するべき食糧を横流しするという不正によって、収容されている外国人に飢餓が強いられていた。ついに、外国人たちが改善をもとめて静かに起ちあがると、たちまち武装した警官の群れに取り囲まれる。そのとき、マライーニが台所にあった斧に飛びつき、左手の小指を切り落としたのだ、という。そして、その血まみれの小指をカスヤという警官に投げつけたのである。警官たちは真っ青な顔で、ひどく取り乱していたと、妻の日記には見える。 
はっきり覚えているが、カスヤの白い服は血にまみれていた。この特殊な意思表示は魔法のようにめざましい効果を発揮した。そう、わたしは指を詰めることで、警官(カスヤ)に落とし前を要求し、この事件に関するいっさいの責任を彼に負わせたのだ。自分自身に暴力を加え、望んで苦しみを引き受けて血を流す(場合によっては生命で償うこともある)。そうすることで、目上の者にたいして、おのれの誠実さと真剣な気持ちを証し立てるのである。そしてこの意思表示は形式に則って――西洋の決闘がそうであるように――果たさなければならない。そうすることで義理を通すことになる。
 はたして、マライーニ自身の解釈はどこまで正しかったか、どれほどに眼前のできごとの深みに届いていたのか、判断はむずかしい。ともあれ、この切り落とされた血まみれの小指は、「魔法のように」追いつめられた人々を救った。幸いにして、その後は事がうまく運んだのだ。とはいえ、それは苛酷で容赦ない訊問のはてに訪れたのである。意図しての反乱であったのか、と訊問者たちはくりかえし問いかける。
 もっとも手荒な警察幹部のアズミが、「指はどこへやったか」と詰問する。マライーニはアルコールの小瓶に入れた「聖遺物」を差しだして、あくまで冗談のつもりで、こう言った、「あげますよ。食べたらいいでしょう。すき焼きにでもして」と。その瞬間、アズミは椅子から立って、マライーニの顔面に拳を振り落としはじめた。その当時、連合国が執拗な反日キャンペーンをくり広げ、日本人は人肉嗜食をおこなうと非難していたらしい、という一文がそこに挿入されている。南洋の飢餓の戦場には、どうやら実際に、カニバリズムの惨憺たる状況が転がっていたことを知る者にとっては、いささか複雑に思いが揺れずにはいない。たとえば、久山忍の『東部ニューギニア戦線 鬼哭の戦場』(光人社)には、「大和肉の市場」という異形の言葉が書き留められている。日本兵を殺して、喰らう兵隊が出没しはじめていることを意味するのだ、という。すき焼きにでもして、食べたらいい、というイタリア人の挑発に貼りついた笑いは、たんなる冗談では済まない、グロテスクな哄笑となって訊問室に谺したにちがいない。
*   *
 さらに、ウラジーミル・プロップの『魔法昔話の起源』(斎藤君子訳、せりか書房)の「神秘の森」の章へと赴くことにしよう。
 そこにも、切り落とされた小指が姿を現わしている。昔話は加入儀礼を反映している、そう、プロップはくりかえし指摘する。それは、若者が性的に成熟したときにおこなわれるもので、この加入儀礼によって、若者たちは氏族共同体に加わり、完全な権利を有する成員として認められ、結婚する権利を獲得することになる。それはまた、つねに神秘の森の奥深くで秘密のうちに執りおこなわれ、身体の虐待や毀損をともなう、という。この身体毀損のひとつが、きわめて完璧なかたちで昔話に記憶をとどめ残されている。それが指の切断である。
 割礼のあとに、指の切断がおこなわれた。割礼による性器の傷が回復すると、若者は仮面を着けた人物の前に引きだされ、左手の小指を斧の一撃によって切り落とされた、という。そこに、プロップが「昔話では、主人公は小屋の中で指、それも左手の小指を失うことがきわめて多い」と言い添えている。指の喪失が見られるのは、「少年が十分に肥え太ったかどうかを調べる」ことが求められる状況下である。
ヴャトカ県の昔話では山羊が少年たちにこういう。「手の指を一本ずつ切り落とせ。おれはおまえたちをためすんだ」。彼は指を炉の上に投げるが指は焼けない。「だめだ。まだ脂がのっていない。まだ焼くには早すぎる」(3.B.11)。ドイツの昔話では、指はさわられるだけで切断はされないが、ロシアの昔話では指が切られる。「栗毛の女がわめいている。わたしのいい娘たち、わたしのかわいい娘たち、彼の指を、小指をお切り」。指が切られる。「だめだわ、おかあさん。彼は脂がのってないわ」(CM.250)。
 これらの昔話の断片が示唆しているのは、指を切り落とすことが加入儀礼にともなう試練のひとつであったらしいことだ。炉のうえに置かれた指が、焼けるかどうか、こんがり焼けるほどに脂が乗っているかどうか。そうして、成熟の度合いが試されるのである。切り落とされた小指は、ここでも焼かれている。きっと香ばしい匂いを漂わせて。もしかすると、それは実際に食べられていたのかもしれない、そんな妄想がよぎって、消える。
 こんな声が聴こえてくる、「ヘンゼル、指をだしてみな。もうじき、脂肪(あぶら)がのるかどうだか、さわってみるのだから」と。そう、グリム童話の一篇、「ヘンゼルとグレーテル」の魔女の森のお菓子の家の、ひとつの場面である。ヘンゼルは脂が乗ったら魔女に食べられる。そのために、魔女はもっとも上等なごちそうをあてがい、たっぷり太らせようとしている。眼のよく見えない年寄りの魔女に声をかけられると、ヘンゼルはなにかの小さな骨を突きだして、まだ脂身がついていないと思わせるのだ。むろん、プロップのいうドイツの昔話の一例であった。「ヘンゼル、指をだしてみな」という語り部の声を、子どもたちはどのように聴いたのか。食べることの根源には、いつだって畏怖(おそれ)にみちた光景が重なりあい、転がっている。
 あるいは、昔話においては、「人間の体を八つ裂きにする代わりに、指または手が切られることがある」と、プロップはいう。主人公の殺害がおこなわれたシルシとして、血にまみれた服・えぐり取られた眼・心臓・肝臓・血にまみれた武器などを見せるようにもとめられる。「死刑執行人、ぼくを切らないでくれ。左手の小指を切り落として剣に血をぬるんだ」とは、昔話の主人公の言葉か。またしても小指だ。八つ裂きにして殺す代わりに、左手の小指を切り落とし、その血にまみれた剣を殺害のシルシとして差しだせ、というわけだ。
 マライーニの斧による指の切断、それもまた左手の小指であったことを想い起こさねばならない。おそらく、その心性史的な背景にあったのは、まずは日本文化のなかに見いだされる、落とし前として指を詰める作法であった。ヤクザと称されるアウトローの人々は、命を差しだすわずかな手前において、ある覚悟を示し究極の責任を取るかたちとして、小指を切り落とす。しかし、そこに帰着させるわけにはいかない。プロップが掘り起こしてみせた、命の代わりに左手の小指を贖(あがな)いとして差しだす、昔話的な、より古層の精神のありようが隠されていたのかもしれない。
 そういえば、こんな昔話めいた伝承に出会った。河童が指を詰める話である。『遠野物語』の里の附馬牛(つくもうし)という山深いムラに、荒川の駒形神社がある。馬にいたずらして退治されそうになった愛宕淵の河童が、お詫びのシルシとして、川魚とみずからの指を差しだして許される。それは駒形神社に、馬の安全と畜産の振興のために、神体として奉納されたという(遠野物語研究所編『「遠野物語」ゼミナール ’97 in 遠野 講義記録』)。
 河童が命乞いに、詫び証文を書く昔話はよく知られているが、指を切り落としてお詫びのシルシにするとは、いかにも奇想に富んでいる。河童には指が何本あったのか、どの指であったか。手か、足か、そんな区別はないのか。いずれであれ、河童の切り取られた指は神社に奉納され、ご神体になったのである。アルコールの小瓶に入れられた、マライーニの小指もまた、それと変わらぬ「聖遺物」としての効力を発揮したのではなかったか。残念ながら、河童の指のゆくえは不明となって久しい、という。河童のミイラならば見たことがある。しかし、その、なんとも愛らしい「聖遺物」に幻惑されて、指を観察するのを忘れてしまった。修行が足りないというべきか。

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著者略歴

  1. 赤坂 憲雄

    民俗学・日本文化論.学習院大学教授.福島県立博物館館長.東京大学文学部卒業.東北芸術工科大学教授として東北文化研究センターを設立し,『東北学』を創刊.2007年『岡本太郎の見た日本』(岩波書店)でドゥマゴ文学賞受賞,同書で芸術選奨文部科学大臣賞(評論等部門)受賞.『異人論序説』『排除の現象学』(ちくま学芸文庫),『境界の発生』『東北学/忘れられた東北』(講談社学術文庫),『東西/南北考』(岩波新書)など著書多数.

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