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3.11を心に刻んで

安藤丈将〈3.11を心に刻んで〉

やっぱり、物を作って初めて農家なんだよね。だから、一回でも途切れると、気持ちがぐらぐらして、どうしようもなくなる。
(福島県郡山市の有機農家・中村和夫さんの言葉。国際有機農業映画祭制作「それでも種をまく」2011年

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 郡山市逢瀬町(おうせまち)は、奥羽山系に囲まれた穀倉地帯である。中村さんは、この地で農業を営んできた。彼は田んぼの雑草を抑えるために試行錯誤を重ね、冬に田んぼに水を張るという方法に行き着いた。すると、春先に雑草が生えにくくなり、除草剤を使用する必要もなくなった。
 冬期湛水は意外な副産物をもたらした。メダカやドジョウなどの生き物が棲むようになり、冬には数百羽の白鳥も飛来するようになったのである。中村さんの田んぼに惹かれたのは、白鳥だけではない。和夫さん、喜代さん夫妻の人柄もあって、近くからも遠くからもたくさんの人びとが中村家を訪問し、農家民泊や農業体験を楽しんできた。
 そんな中村さんの田んぼが、福島第一原発事故で放射性物質にさらされた。彼は農作物の安全性に不安を感じた顧客を失い、「福島産」ということで自分の作物を敬遠される経験を繰り返した。何より中村さんの気持ちを「ぐらぐら」させたのは、事故後の一時期に農作業を中断させられたことである。自らの手で食べ物を作り、それを人に食べてもらうことは、中村さんの日々の営みであり続けてきた。食べ物を作ることができないというのは農家が農家でなくなることを意味し、それは彼の生き方の根っこを揺るがすものであったのだ。
 原発事故の直後、中村さんは、「東電 俺げの田んぼ汚したな 許せねー」と記した手製のムシロ旗を持って東電本社の前に立った。自らの農業を取り戻すために奮闘すると同時に、東電元幹部や政府関係者を相手にする福島原発告訴団にも加わっている。「この原因を作ったのは誰なんだ」という問いと、自分の「辛い思い」を他の人に味わわせたくないという願いが、彼を告訴団に参加させたのだ。福島原発告訴団の尽力が実り、三人の東電元幹部が刑事裁判にかけられ、現在も裁判は進行中である。その最中の2017年4月、中村さんは脳溢血で亡くなった。
 原発事故によって揺るがされ、奪われた日々の営み。東電刑事裁判は、中村さんの「辛い思い」が不可抗力の自然災害ではなく、管理者の不作為に起因することを明るみに出してきた。私には、裁判が彼の「辛い思い」を公共の議題に引き戻していくプロセスに見える。
 「復興」のかけ声の中で社会正義が置き去りにされ、「辛い思い」は自己責任として扱われてきた。不正義の重みに向き合ったその先にしか、「3.11後」を再スタートさせる道は広がっていない。

( あんどう  たけまさ ・ 政治社会学者 )

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