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3.11を心に刻んで

小倉康嗣〈3.11を心に刻んで〉

流されたのは悲しい。でもそのときはさ、海がかわいそうだなって思ったよ。海もこんなに暴れたくて暴れてるんじゃないだろうなって思って、海がかわいそうだなって思った。
(宮城県気仙沼市唐桑(からくわ)町の民宿 「つなかん」 女将 ・ 菅野一代(いちよ)さん)

*  *


 2013年夏、開業してまもない唐桑の民宿で酒を飲み交わしながら、女将の一代さんがふと語った言葉である。「いま話していて初めてこの言葉が出てきた」「資料にもとづいて順序立ててちゃんと話せればいいんだけど、なにもそんなものなくて、思い出し浮びあがってきたものからそのまま話すだけで、うまく言葉にもならなくて……」。そう言いながらとつとつと話されるその語りの力に、私は圧倒された。以来、毎年学生たちを連れてきては、ここを訪れている。
 一代さんは、牡蠣養殖業を百年営む漁師の家に嫁ぎ30年、毎朝2時に起きて牡蠣むきをする生活を送ってきた。東日本大震災の1年前にあったチリ地震津波で、代々築きあげてきた養殖筏(いかだ)が壊滅状態になったが、一つ一つ復旧させ、最後の筏を設置したのが2011年3月10日。「借金してもまたやろうって。そして丸1年目にしてまた、東日本大震災で全部流されて。はぁ、やっと1年かけて筏なおしたのにまた流されてしまった。それでもまたやろうって……なんら大したことないって。どんなつらいことがあったって、生きるってことのほうがすごいんだって」。養殖業を再開した。それだけではない。がれき撤去作業で全国から集まり交流が生まれていたボランティアがいつでも帰ってこられる場所にしたいと、津波で全壊した自宅を再建し、民宿を始めたのである。
 マグロ漁と魚介の養殖で栄えてきた唐桑の人たちは、豊かな恵みをもたらしてくれる一方でちっぽけな人間がコントロール不可能なままならない海を、自然を相手に生きてきた。そんな唐桑人に、ままならないもの、ありのままの自然を受けとめていく深い覚悟と謙虚さを感じるのは私だけではないだろう。一代さんは、「これまでさんざん海から恩恵を受けてきたのを、海に返したんだ」とさえ言う。
 唐桑は、不思議なところである。震災直後、ボランティアとしてさまざまな被災地を訪れた人も、他の被災地は自分にできることが解決していくなかで訪れなくなっても、唐桑だけはいまでも訪れると言う。そんな “よそ者” たちに、「唐桑には(人を吸い寄せる)魔物が住んでいる」と話すと、たいがい意気投合する。古い風習が根強く残る地域でありながら、外部の人間をおおらかに迎え入れる空気がある。最初はボランティアとして唐桑に入り、再訪していくなかで唐桑で生きることを決意し、移住した若者も何人もいる。
 震災は気の遠くなるような苦しみと悲しみをもたらしたけれども、この唐桑人のありのままの自然を受けとめる力が、震災をきっかけとして、多くの “よそ者” たちを受容する力として再生しているように思えてならないのだ。「海がかわいそうだなって思った」と語っていた一代さんは、「全部流されて、素直になったら、みんな向こうから寄ってきてくれた」と話す。
 私はそこに、人生態度の静かな「コペルニクス的転回」(フランクル)を感じるのである。3.11から6年後の3月、一代さんは、震災を共に乗り越え支えあってきた最愛の夫、長女、義理の息子を漁の事故で失った。これでもかと襲ってくる信じがたい喪失に、いまは紡げる言葉もない。だが、その奥底から生まれてくる新たな言葉が必ずある。それは途方もなく豊饒な言葉だろう。はかりしれない苦しみと悲しみを受けとめ、ありのままの「生」を生き抜かんとする一代さんの柔らかな笑顔に、私はそう確信するのである。

(おぐら やすつぐ・社会学者)

※V・E・フランクルが『夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録』(みすず書房)で述べていた、「われわれが人生になにを期待するかではなく、人生のほうがわれわれになにを期待しているかということこそが問題なのだ」(筆者改訳)という生きる意味への問いの根本的転換のことである。 

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