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赤坂憲雄 性食の詩学へ

第一章 指、または恥知らずな冒険 4〈性食の詩学へ〉

1 神秘の森で小指が切り落とされる④

 
 むろん、謎めいているのは小指ばかりではない。親指もまた、なかなか妖しい。たとえば、わたしは子どもの頃、霊柩車に出会うとあわてて親指を隠していたことを思いだす。だれに教えられたのか、なぜ隠さねばならなかったのか。そんなことはなにひとつ意識もせずに、いつの間にか親指を隠す習俗を知っていたのだった。
 常光徹の『しぐさの民俗学』(ミネルヴァ書房)は、その第二章で「指を「隠す」しぐさと「弾く」しぐさ」の謎解きに挑んでいる。あらかじめ先取り的に書いておけば、この親指を隠す習俗の背景には、「邪悪なモノの類いが指先とくに親指の先から侵入する」という観念が横たわっている、と常光はいう。じつは、親指を隠すのは霊柩車との遭遇のときばかりではなかった。伝染病のある家の前を通るとき、夜道を歩くとき、怖い犬に会ったときなどに、人々は災禍を未然に防ぐために親指を隠したのである。
 なぜ、親指を隠すのか。「蜘蛛淵」という伝説は、淵から這いでてきた蜘蛛が、ほとりで休んでいる男の足に糸を巻きつけて、淵に引きずりこもうとする怪異譚である。類話では、狙われたのは左足の親指である。新井白石の『折たく柴の記』には、霊山に遊び池に足を浸していると、小さな蛇がやって来て、その足の大指(親指)を舐(ねぶ)られた、という話が見える。その小蛇は、それをくりかえすうちに、見る見る大指を呑むばかりの大きさになったので、ついに斬り殺したらしい。犬神が取り憑く話のなかでは、ネズミのような子犬が女の大指を喰らおうとする。足の親指は異類に、つねに狙われている。だから、隠すのである。
 柳田国男は『日本の伝説』(角川文庫)に収められた「伝説と児童」のなかで、こんな子どもの遊びに触れていた。そこにも親指を隠すしぐさが見える。
東北の田舎では三十年ぐらい前まで、地蔵遊びという珍しい遊戯もありました。一人の子供に南天の木の枝をもたせ、親指をかくして手をにぎらせ、その子をとりまいてほかの多くの子供が、かあごめかごめのようにぐるぐるとまわって、「おのりゃあれ地蔵様」と、なんべんもとなえていると、だんだんにその子が地蔵様になります。
  

  物おしえにござったか地蔵さま
  遊びにござったか地蔵さま

 といって、みんながおもしろく歌ったりおどったりしましたが、もとは紛失物などのある時にも、この子供の地蔵のいうことを聞こうとしました。

 先ほどのベロベロの鉤と同様に、子どもたちが遊びのなかで神意を問いかけるときに選んでいた、ある共通の作法があった。「おのりゃあれ」とは、神霊に憑依を呼びかける呪言であったか。まあるい人の輪のなかにすわったヨリマシの子どもに、神霊を憑けて、神の意志を語らせたり顕わしたりする。この幼い憑依の技能として、ベロベロの鉤や南天の木の枝をもたせ、地蔵遊びでは親指を隠すしぐさが附加されていたのである。
 子どもばかりではない。コレラは狐が憑いて起こる病いだと信じられていた。そこで、狐に憑かれないように、男は左/女は右の手や足の親指を糸でくくればいいと信じられていたらしい(八岩まどか『匂いの力』青弓社)。コレラの流行のときに飛び交った、コレラ封じの呪(まじな)いであった。こればかりではなく、狐は手足の親指の先から入りこんでくるという伝承は広く流布していたようだ。ほぼ埼玉県にかぎられた憑きものの一種であるオーサキは、尻尾の先まで黒い筋がある鼠のようなもので、親指の先から人間の体に入ると信じられていた。とにかく、親指は憑きものと深くかかわる急所だった。常光はこんなふうに述べている。すなわち、左右の親指の爪のあいだからは、魂魄が出入りする。だから、畏怖すべきことがあれば親指を隠すというのは、この部分が「霊的なモノとの最初の接触部分でありその侵入口と意識されていた」からだ、と。
 常光はさらに、死者の指を嚙むという、なんとも興味深い習俗に触れている。瀬戸内海のある島では、湯灌(ゆかん)は血の濃い人(つまり、血縁関係が近い人)がおこなうもので、水を入れたたらいに湯を入れるが、このときに「オヤマケ」せぬようにと死んだ親の親指を子どもがみなで嚙むのだ、という。オヤマケしないとは、親よりも長生きすることである。親より出世するように嚙むのだ、という説明がなされることもあるようだ。高知県幡多郡佐賀町でも、死人の指を嚙めば長生きするといわれ、近親者でもそうすることがある、という。
 これについて、死者の親指を嚙むというのは、死者の霊魂の出入りを封じるという積極的な意思の表明であると、常光はいう。あるいは、人が死ぬとすぐに両足の親指を折る地域もあり、これなどは死霊の影響を絶つとともに、邪霊につけ込まれやすい親指を折ることで、その侵入を防ぐものであったという。あるいは、指先を嚙むことは、「死者の霊魂を体内に受け継ぐ」ことであったかもしれない。
 そこにさらに、悪い夢を見たときには、手の親指を嚙めばいい、といった民俗例を重ねあわせにしてやれば、また異なった風景が見えてくるのではないか。嚙むことが封じることであるならば、悪夢が親指から入ってくることを防ぐ呪いであったかもしれない。ふと、小学校の高学年にもなって、まだ爪を嚙んでいたことを思いだす。少年のわたしは、なにか悪夢が侵入してくることに抗うために、無心に爪を嚙む呪いに耽っていたのかもしれない。
 そういえば、指を弾く、ツマハジキにも触れておく。
 『土佐日記』の承平五(九三五)年一月二七日の記事に、紀貫之は書いていた。任国の土佐よりの帰京の途であった。風が吹き波が荒かったので、船が出なかった。嘆きながら、男たちは漢詩を、女たちは和歌を詠んで過ごした。日記は、一日中、風は止まず、「つまはじきして」寝た、と結ばれている。ツマハジキについて、注釈には「弾指のこと。いやな時などにする仕草で、元来は密教の魔除けの行法。風の退散を狙って」(『新日本古典文学大系』)と見える。弾指(たんじ)とは、親指と人差し指を弾いて音を出すことである。いずれであれ、ツマハジキは非難や嫌悪の情を表わしたり、排斥や災厄の除去のためにおこなわれたようだ。
 さらに、高知県香美郡物部村に伝わるいざなぎ流の祈りにも触れたうえで、それは「嫌悪の情を示すほかに、相手を払ったり神霊を移動させる積極的な意味を帯びている」と、常光は指摘している。爪弾きにするという俗語表現の背後にも、指を弾く・鳴らすといったしぐさのフォークロアが隠されていることを、ひとまず確認しておきたいと思う。
*   *
 親指にはまた、いくらか異なった貌もあった。異相の風景にも眼を凝らしておく。
 たとえば、『完訳グリム童話集』(岩波文庫)の四二話「おやゆびこぞう」は、思いがけず食べる・排泄するといったテーマに彩られている。貧乏な百姓の夫婦には子どもがなかった。あるとき、おかみさんは体の具合いが変になり、七か月経って、子どもを一人産んだ。その子は大きさが親指くらいしかなかったので、夫婦は「おやゆびこぞう」と名づけた。だから、これは親指そのものではないが、やはり親指の面影を背負わされた小さな子どもが主人公の物語なのである。日本文化においては小さ子と呼ばれる。
 やがて、親指小僧は二人連れの男たちに、見世物にするために買い取られる。ところが、親指小僧は途中で、ウンコが出そうだと言いだして、道端の畑に置かれると、野鼠の穴に逃げこんでしまう。この鼠の穴がアジールとなるのは、洋の東西を問わない。それから、乾草のなかで眠っていると、牝牛に乾草といっしょに喰われて、胃袋のなかに滑り落ちる。牝牛は坊さんにつぶされて、親指小僧のもぐり込んでいた胃袋は、牛やなにかのウンコの山のうえに放りだされる。その胃袋を今度は、腹を空かした狼が駈け寄ってきて、丸ごと呑みこんでしまう。親指小僧は腹のなかから、狼に「きみのすてきなたべもののあるとこを知ってるぜ」と呼びかけ、自分の父親の家へと誘導する。下水溝からようやく入りこんだ狼は、食糧部屋で思う存分食べたためにお腹がふくれて、逃げだすことができなくなる。それを見つかり、狼は親指小僧の父と母によって斧や大鎌で殺されてしまう。それから、庖丁と鋏で狼の腹はたち割られて、親指小僧はついに救出される。
 親指小僧はなにより、牝牛や狼によって食べられる、あるいは呑みこまれる存在であった。そして、この童話のなかには、食べる/消化する/排泄する、というテーマが散りばめられている。むしろ、真っすぐに食のメタファーだけで構成された物語である、といってみてもいい。おそらくは西洋中世の、食をめぐる風景やフォークロアのかけらが、そこかしこに転がり沈められている。たとえば、教会の坊さんが牝牛を飼っている。それをつぶして解体すると、牛の胃袋はウンコといっしょに棄てられる。狼がそれを狙って、喰らう。あるいは、下水溝と食糧部屋が繫がっている。狼は下水溝という家屋の肛門から胃袋に侵入したのである。庖丁と鋏で狼の腹を裂くのは、牧畜の技術であったか。そういえば、赤頭巾ちゃんも子ヤギたちもみな、そうして救いだされる。
 それにしても、親指小僧は、なぜ食べられ、呑みこまれるのか、と幾度でも問わずにはいられない。執拗に、くりかえし牝牛や狼に呑みこまれ、捕らわれ、その内臓的世界からの脱出の試みを反復し、ようやくにして生還を果たす物語なのだ。ここでわたしは、ふたたび、ウラジーミル・プロップの『魔法昔話の起源』(せりか書房)のもとに立ち戻ることになる。やはり「神秘の森」の章には、こんな興味深い一節が見いだされる。加入儀礼について、プロップは以下のように述べていた。
若者は儀礼の時に死に、その後、新しい人間として復活すると考えられていた。これがいわゆる一時的な死である。死と再生は、若者が怪物のような動物によって呑みこまれ、食われることを表わす行為によって示されている。若者はあたかもこの動物に呑みこまれ、一定期間怪物の胃の中にとどまり、帰還した、すなわち吐き出されたかのようにふるまう。この儀礼を行なうために、動物を型どった特別の家、または小屋が設けられ、さらに扉は獣の口を表わしている。
 親指ほどの背丈の小さ子にとっては、牛や狼はまさしく巨大な怪物そのものである。親指小僧はその怪物に呑みこまれ、胃のなかにある期間留めおかれ、ついに外界へと吐きだされ、生還する。いわば、ここに沈められているのは、通過儀礼の根源的なテーマである死と再生のプロセスなのである。親指小僧はいくつもの試練を課せられる。ひとたび怪物のような動物の胃のなかに捕らわれて、擬似的な死を体験する。そして、怪物の口から吐きだされて、こちらの世界へと還ってくる。試練をくぐり抜けて、あたらしい人間として復活する。再生である。
 加入儀礼のために動物をかたどった特別な家や小屋が建てられるが、その扉は獣の口を表わし、その内部は怪物の内臓的な世界として、物語的に演出されている。昔話の「おやゆびこぞう」とはたとえば、この怪物や獣の胃袋を舞台とした、捕らわれと脱出のドラマの書き割りであったかもしれない。昔話と加入儀礼とはたしかに、あまりに生臭い連環の糸で結ばれている。
 やはり『完訳グリム童話』には、もう一話、よく似た「おやゆび太郎、修行の旅あるき」(五〇話)という昔話(メルヘン)が収められている。この親指太郎は仕立て屋のむすこで、長いかがり針を刀にして修行の旅に出る。職人と旅はいつだって結びついている。それは通過儀礼(イニシエーション)の旅である。ここでも、親指ほどの大きさの小さ子の冒険は、食べることや料理することにまつわるテーマに覆い尽くされている。
 親指太郎はかまどのうえの大皿から立ちのぼる湯気につかまえられて、煙出(けむだ)しから追いだされる。そうして家から外の広い世の中へと出てゆく。ある親方のもとに住みこむが、食べ物がうまくないと不満を述べて、追いだされる。森の盗賊たちの仲間になって、王さまの宝蔵から銀貨をすっかり盗みだした。それから、宿屋の下男に雇われるが、女中たちに告げ口を逆恨みされて、大きな真っ黒の牝牛に草といっしょに呑みこまれてしまう。その牝牛は主人につぶされ、太郎は腸詰めにする肉のなかに詰めこまれる。なんとか庖丁に切られることなく、煙出しのなかで燻(いぶ)される。お客にごちそうとして喰われる寸前に、腸詰めから跳びだし、また修行の旅に出かける。原っぱで、狐にぱっくりくわえられるが、父親の家の鶏と引き換えに助けられる。
 こうしてあらすじをたどり直してみると、「おやゆびこぞう」と構成的に瓜ふたつである。親指太郎もまた、牝牛には呑みこまれ、狐には喰われそうになりながら、巨大な怪物の胃袋や口腔から脱出を果たし、こちらの世界へと生還する。死と再生のプロセスをくぐり抜けて、通過儀礼の旅から還ってくるのである。とりわけ、旅立ちのごちそうのための料理や腸詰め作りが、物語の重要な道具立てをなしていることは見逃すことができない。料理というテーマが濃密な影を落としている。
 ここで、われらが親指小僧、かの一寸法師を想起するのもいい。住吉の神から授けられた、指先ほどの小さ子であった。一寸法師もまた、縫い針の剣をたずさえて旅に出る。お椀を舟に、箸を櫂にして都へと向かう。父親に家を追いだされたのだが、これもまた試練の旅であったにちがいない。都では、立派な邸に置いてもらい、お姫さまにかわいがられる。観音様にお詣りにゆき、姫を助けようとして、鬼に丸呑みにされる。腹のなかで、一寸法師は針の刀を振り回して、驚いた鬼に吐きだされる。もう一匹の鬼は、眼のなかに飛びこんで刀で突いたので、逃げだしてしまう。お姫さまが残された打ち出の小槌を、「せい出ろ、せい出ろ」と振ると、一寸法師は立派な侍になった(関敬吾編『一寸法師・さるかに合戦・浦島太郎』岩波文庫)。
 ここにも、鬼という巨大な怪物に呑みこまれ、腹から吐きだされて脱出するテーマが見える。これもまた、死と再生をめぐる通過儀礼の物語であった。試練の旅を経て、鬼を打ち負かし、ついに打ち出の小槌を手に入れ、その呪力によって一人前の侍になるのである。結婚のモチーフは暗示的にしか語られていない。『御伽草紙』の「一寸法師」では、一寸法師は奸計(たくらみ)で姫をおとしいれ、都から追われる姫とともに旅に出る。鬼を退治して、打ち出の小槌で大きくなり、「わが女房にせばや」というはじまりの目的を遂げている。

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著者略歴

  1. 赤坂 憲雄

    民俗学・日本文化論.学習院大学教授.福島県立博物館館長.東京大学文学部卒業.東北芸術工科大学教授として東北文化研究センターを設立し,『東北学』を創刊.2007年『岡本太郎の見た日本』(岩波書店)でドゥマゴ文学賞受賞,同書で芸術選奨文部科学大臣賞(評論等部門)受賞.『異人論序説』『排除の現象学』(ちくま学芸文庫),『境界の発生』『東北学/忘れられた東北』(講談社学術文庫),『東西/南北考』(岩波新書)など著書多数.

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