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3.11を心に刻んで

嘉指信雄〈3.11を心に刻んで〉

原発さえなければ……
(2011年6月、福島県相馬市で酪農を営んでいた五十代の男性が首をつって自死する前に、堆肥舎のベニヤ板の壁にチョークで書き残した言葉の一部

*  *


 これは、映画 『遺言 原発さえなければ』 (2014年)のタイトルにも使われている言葉だが、共同監督の豊田直巳さんは、イラク戦争などの取材でも知られるフォトジャーナリストだ。わたし自身、イラク戦争開始直前の2002年12月、豊田さんをガイドとした市民調査団の一員としてイラクを訪れてから、劣化ウラン(DU)弾禁止運動に取り組むようになった。しかし、その活動のあり方は、福島第一原発事故によって一変せざるをえなかった。ほかの多くのNPO関係者同様、「広島・長崎からイラクへ」 と向かっていた眼差しは、日本で起きてしまった深刻な原発事故の現実に引き戻された。
 イラク戦争開始10周年にあたった2013年3月、イラクのバスラで、がんの治療やDU汚染調査に携わってきているジャワッド・アル=アリ医師などとともに、やはり豊田さんにガイドされ福島を回る機会があった。その折り、アル=アリ医師は、帰還困難区域とされていた飯舘村・長泥地区で測った線量の高さに、「バスラと比べても、桁違いだ!」 と驚きと不安の表情を隠さなかった。
 東海村JCO臨界事故(1999年9月)のあと、高木仁三郎は、末期がんと闘いながら書き残した 『原子力神話からの解放――日本を滅ぼす九つの呪縛』 (光文社、2000年/講談社、2011年)などのなかで、事故が起きれば取り返しのつかない原子力発電は、失敗が許されない、つまり、可謬(かびゅう)主義には立てないという意味において、従来の科学・技術とは全く異なるのだ、と警告している。また、福島在住の詩人・若松丈太郎は、「記憶と想像」(2011年8月、『詩集 わが大地よ、ああ』 土曜美術社出版販売、2014年所収)のなかで、「わたしたちは福島の核災がまだ終熄していないことを知っている/……/わたしたちは二百万年のちの人類がどう生きるかを知らない」と記し、“核災”が及ぼす影響の、人間的尺度を越えた長さと責任を問いかけている。
 今改めて、核問題の有りように思いをいたす――「原発さえなければ……」 と繰り返さないために。

(かざし のぶお・哲学者)

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