web岩波 たねをまく

岩波書店のWEBマガジン「たねをまく」

MENU

3.11を心に刻んで

ドリアン助川〈3.11を心に刻んで〉

「もしそのような庄屋がおればたちどころに庄屋取り潰し、家屋田畑召し上げて、久留米領からの所払いを命じるところだった」
このひと言は、音のない稲妻のように、各庄屋の耳を震えさせた。
(帚木蓬生 『水神』 新潮文庫

*  *


 日本人は「侍」が好きだ。実際に目の前にいたらたぶんいやな人たちであるのに、刀を提げたその姿にも、サムライという響きにも鼻の穴をひろげて陶酔する。だから、他国と闘う兄さんたちは「侍ジャパン」とか「サムライブルー」などと呼ばれる。テレビのアナウンサーも喜び声で「侍ジャパン」を連呼する。するとみんな、「わしらもご先祖様に侍を持つジャパンの一員じゃもんね」という気分になり、外国何するものぞと妙な雄叫びをあげたりする。
 だが、おじさんが夢を壊して悪いけれど、「侍ジャパン」じゃ、日本人の平均的な気質は語れんのよ。明治3年の新政府の統計によれば、華族、士族、卒(元下級武士)の合計は全体の6〜7パーセント。侍がいた頃の日本人を語るなら、残念なことにだいたいの人は「侍じゃなかったジャパン」なのだ。
 帚木蓬生さんの『水神』は、侍じゃなかったジャパンの奮闘を描いている。水不足に悩む農民たちが、運河を作り、川から水を引くことを命がけでお上に要望する。作ってもいいよとお上は認めるが、でも働くのはお前らだぞ、農民を差し出さない庄屋がいたらどうなるかわかってるだろうなと奉行に脅され、みんなでしーんと静まり返るのである。
 これ、ジャパンだよね。辺野古を埋め立てられても、騒ぐ人たちのほうがおかしいよと知らぬ顔をするジャパンだよ。

 おじさんは震災の翌年、自転車にまたがって奥の細道全行程二千キロを踏破した。芭蕉が俳句を詠んだすべての地で放射線量を測り、そこで暮らす人々の声を聞くためだ。以来、被曝した山野や河川を訪れ、毎年の定点観測を始めた。そして驚いた。
 線量よりも先に、みんなの怒りの声がどんどん小さくなっていったからだ。闘おうとする農家には、ことをあらだてんじゃねえと村八分をしたりする。だから結局、みんな黙ってしまった。堪えに堪えて、仕方ねえよとジャパンをしている。おじさん思うに、これじゃあ、為政者の思うつぼだよね。一揆は遠いよ。

(どりあん すけがわ・作家、朗読家)

タグ

バックナンバー

閉じる