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赤坂憲雄 性食の詩学へ

第一章 指、または恥知らずな冒険 5〈性食の詩学へ〉

2 抵抗のフェティシズムのゆくえ①

 さて、小指が切り落とされ、親指が隠され、嚙まれる情景を眺めてきた。そうした指にまつわるフォークロアのなかには、いたるところにエロティックな要素が見え隠れしていたかと思う。
 指切りにかかわる、「小指の雄鉤と雌鉤を絡め、男女二神の交合を演じるしぐさだった」という、鯨井千佐登のそそられる解釈には触れてきた。そして、指切りをして愛を誓いあうばかりでなく、ついに心中を選んだ遊女は、みずからの指を切って男に差しだすことを、「心中の奥儀」とした、という。あるいは、親指についても、小蛇が人の足の親指を舐(ねぶ)る伝承があった。死者の親指を嚙む習俗のなかにも、なにやら倒錯的な性の匂いがかすかであれ感じられる。指そのものではないが、ベロベロの鉤にも、どうやら舐められた形跡があるようで、気にかかってきた。
 ところで、瀬戸内海の島々に見られた、葬儀において子どもたちが集まり、死んだ親の親指や人差し指を嚙むという風習では、おそらく手の指が対象ではなかったか。足の指であれば、また異なったイメージが喚起されるにちがいない。それを押さえたうえで、常光徹が『しぐさの民俗学』(ミネルヴァ書房)で言及していた、黒田日出男の「『異香』と『ねぶる』」(『増補 姿としぐさの中世史』平凡社ライブラリー)という論考を取りあげてみたい。
 黒田はそこで、先行する千々和到の「『誓約の場』の再発見」という論考を受けて、絵巻物の読み解きをおこなっている。千々和は、中世の「誓約の場」とは、「神がその場に臨んだことを、目で見、耳で聞き、鼻でかぎ、口で味わうことによって確認する、いわば、聴覚、視覚、嗅覚、触覚、味覚の、人間の五官の全てが働きかけをうけるような場だった」という。黒田は『春日権現験記絵』の巻一七の絵図を取りあげる。この巻は、建仁二(一二〇二)年、明恵上人が紀伊国にいて、天竺に渡るという志を抱いていたとき、橘氏女という女房に春日大明神が憑き、渡海を押しとどめた奇瑞が描かれている。神の示現(じげん)する場が、絵巻物の読み解きからあきらかにされる。
 黒田によれば、人々が橘氏女に春日大明神が憑いたと実感させられるのは、氏女が断食・湯浴み・読経念仏を実践したこと、「高き所」(非日常的空間)に登ったこと、そして、「濃く匂う異香」が嗅覚的な感動をもたらしたことが条件となっている。そうして、中世の人々は「聖なる存在」を嗅覚的・味覚的・触覚的に感じとったのだ。ここでの関心は、その「濃く匂う異香」にかかわる場面である。
 第三段には、どこか不思議な、いや異様といっていい情景が描かれている。天井から降りてきた橘氏女が、「その身から放つ妙香ははげしく、人々は感悦して、御手足をねぶると、その味は甘く、また口のいたむ人がねぶると、忽ちに痛みがなおった」という。人々が競って舐るが、氏女はすこしもいやがらなかった。絵図には、僧俗が見守るなか、一人の女性が氏女の差しだした足を舐るところが描かれている(『日本の美術』第二〇三号「春日権現験記絵」至文堂)。黒田によれば、橘氏女の異香は「沈檀や麝香等の類」ではなく、その「濃く深き匂い」はまるで人間の香りではなかった。甘葛(あまずら)のように甘かった。そして、口のなかの痛みなど、病いがたちまちに癒されたのである。
 舐るとはむろん、「舌の先で物をなで味わう。なめる。しゃぶる」(『日本国語大辞典』小学館)ことである。「手足を舐った」と語られているが、描かれた絵図のなかでは、一人の女が橘氏女の踝(くるぶし)より先が露わになった左足に顔を近づけている。女はどうやら、氏女の足にはじかに手を触れることなく、伏し拝むかのように唇だけを足指の先端あたりに寄せて、たぶん恍惚と舐っているようだ。まさしく、氏女の「濃く深き匂い」、つまり異香は足の指の先から匂い立っていたのではなかったか。親指か、小指か、どの指であったのかは、わからない。
 黒田は次のように述べている。
異香のこのような濃い匂いが、神の影向(ようごう)を嗅覚的に実感させたのみならず、その強い嗅覚的感動が、更に人々を、橘氏女の聖なる身体を舐るという味覚行為にまで駆り立てた訳である。しかも、氏女の手足を舐ることは、中世の人々にとっては、病の治癒能力さえ示したのであった。
 異香がもたらした嗅覚的な悦びは、真っすぐに舐る行為へと人々を駆り立て、ついには味覚的な快楽にまで身を溺れさせるにいたった、ということか。しかも、くりかえすが、その聖なる身体を漠然と舐ったわけでも、たんに手足を舐ったわけでもない。常光も指摘しているように、絵巻ではあきらかに、ひざまずいた女は橘氏女の足の指先を舐っているのであり、それが指先であるのは偶然ではあるまい。おそらく、その時代には「指の先から霊的なものが発散されるという意識」があったという、常光の推測は的を外していない。その描かれた場面こそが、詞書よりも雄弁に真実を物語っていたのである。宗教的な愉悦はきっと、性の快楽のすぐかたわらに、ひっそりと身を潜めている。
*   *
 いくらか唐突ではあるが、ここで谷崎潤一郎のいくつかの作品に眼を凝らしてみたい。その谷崎の文学世界が、「マゾヒズムとフット・フェティシズムによって特色づけられる」(『谷崎潤一郎フェティシズム小説集』集英社文庫の千葉俊二による解題)ことには、ほとんど異論はないかもしれない。最晩年の『瘋癲老人日記』のヒロイン颯子のモデルともいわれる渡辺千萬子は、「瘋癲老人日記雑感」(『谷崎潤一郎=渡辺千萬子往復書簡』中公文庫)のなかで、谷崎が「女性の足に非常に関心のある作家」であることを、いわば身をもって証言している。ここでは、『春日権現験記絵』巻一七に描かれていた、一人の女が橘氏女の差しだした足を伏し拝むかのように舐っている場面を頭の片隅に置いておくことにしよう。
 はじめに、『瘋癲老人日記』(一九六二年)を取りあげる。
 颯子はかつて踊り子であったが、バレリーナにはならなかった。トゥ・ダンスのレッスンを受けたときに、足が変形して醜くなるのを嫌って、やめてしまったのだ。それからは、軽石やヤスリなどで擦ったりして元に戻そうとしたが、以前のような綺麗な足にはならなかった、そう、颯子がいう。老人はすかさず、「ドレドレ、チョットオ見セ」といいながら、はからずも「彼女ノ素足ニ触レ得ル機会ヲ摑ンダ」のである。そうして、颯子はソファーに両足を伸ばして、ナイロンの靴下を脱いで見せた。老人は「ソノ足ヲ自分ノ膝ノ上ニ載セ、五本ノ趾(ゆび)ヲ一本々々握ッテ見タ」。はじめて颯子の素足に触れて、その五本の指と戯れる機会を得たのである。
 マゾヒズムに筆が及んだ、こんな箇所がある。おかしなことだが、痛いときでも性欲は感じる、痛いときのほうがいっそう感じる、あるいは、痛い目に遇わせてくれる異性のほうによりいっそうの魅力を感じ、惹きつけられる、といったほうがいいか。老人のそうした「一種ノ嗜虐的傾向」は、若いときからではなく、老年におよんで次第に嵩じてきたものであったらしい。高橋お伝は明治初期のいわゆる「毒婦」として知られるが、そのお伝について、弁護士をつとめた男が「己ハ今マデニアンナ妖艶ナ女ヲ見タコトガナイ」と語った、といったエピソードに触れたあとで、颯子を愛するのは、彼女にいくらかそうした幻影を感ずるせいであろうか、と老人は思う。颯子はちょっと意地が悪く、ちょっと皮肉で、ちょっと噓つきであり、いつの間にか偽悪趣味を覚え、それを自慢するようになった、ともいう。
 颯子はシャワーのときに戸締まりをしない。それを老人に伝えて、誘いかける。バス・カーテンの隙間から背中だけ露出させて、老人にタオルで拭かせる。タオルのうえから肩の肉の盛り上がりに唇を当てて吸ったところで、いきなり左の頬を平手打ちされる。「オ爺チャンノ癖ニ生意気ダワ」と颯子はいい、老人は追い出される。あとで、「オ爺チャンヲ殴ルナンテ勿体ナイワ」という。その二日後には、首への接吻を「蛞蝓ニ舐メラレタミタイ」と拒まれた老人は、今度は膝から下に一度だけ、「舌デ触ラナイデ唇ダケ着ケル」ことを許される。バス・カーテンの裂け目から、脛と足の先だけが出てくる。
「舌ヲ使ハズニ接吻シロナンテ、随分無理ナ註文ダナ」
「接吻ジャナイモノ、タダ唇デ触ラセルダケダモノ。オ爺チャンニハソレガ相当ヨ」
「セメテコウシテル間、シャワーヲ止メテ貰エナイカナ」
「止メル訳ニ行カナイ、触ラレタ傍(そば)カラ直グト綺麗ニ流シチャワナイト気味ガ悪イ」
 絶妙な、共犯関係ではなかったか。いや、より端的にいって、マゾヒズム的な「恋愛契約」、すなわち、「逆説的な意図のうちに、契約者の一方を奴隷とし、いま一方――女性――を主人にして拷問者とする」ための、おそらくは暗黙のうちに交わされる契約であったか(ジル・ドゥルーズ『マゾッホとサド』晶文社)。それにしても、接吻とはなにか、と問いかけてみる。唇を着ける/舌で舐る、そのあいだに引かれた切断のラインの、なんと儚く切ないものであることか。老人はただ、水を呑まされた気がしただけだった。シャワーという小道具が利いている。それはとりあえず、水の噴射によって身体の汚れを清める仕掛けであるが、颯子にかかると、変幻自在な舞台演出の小道具になってしまう。老人の心持ちを読みきった颯子こそが、舞台を支配している。老人の唇や舌は蛞蝓なのだ。蛞蝓が這った痕跡(あと)は、ただちにシャワーで浄めなければならない。渡辺千萬子の『落花流水』(岩波書店)には、『瘋癲老人日記』でシャワーが「重要な小道具」として使われていたことが指摘されている。
 それから二週間足らずして、足への接吻が許されるときが訪れる。バス・カーテンのなかに隠れた颯子が、「今日ハ接吻サセタゲルワ」という。シャワーの音が止んで、カーテンの蔭から脛と足が出てくる。颯子からは、「今日ハ唇ダケデナクッテモイイ、舌ヲ着ケテモイイ」というお許しの言葉が言い渡される。

予ハ七月二十八日ト同ジ姿勢デ、彼女ノ脹脛(ふくらはぎ)ノ同ジ位置ヲ唇デ吸ッタ。舌デユックリト味ワウ。ヤヤ接吻ニ似タ味ガスル。ソノママズルズルト脹脛カラ踵マデ下リテ行ク。意外ニモ何モ云ワナイ。スルママニサセテイル。舌ハ足ノ甲ニ及ビ、親趾(おやゆび)ノ突端ニ及ブ。予ハ跪(ひざまず)イテ足ヲ持チ上ゲ、親趾ト第二ノ趾ト第三ノ趾トヲ口一杯ニ頬張ル。予ハ土踏マズニ唇ヲ着ケル。濡レタ足ノ裏ガ蠱惑(こわく)的ニ、顔ノヨウナ表情ヲ浮カベテイル。

 それから、「モウイイデショ」の声とともに、急にシャワーが流れはじめて、彼女の足の裏や、老人の頭や顔を水だらけにしてゆく。濡れた足の裏がひときわ蠱惑的に、「顔ノヨウナ表情」を浮かべていたことを記憶に留めておこう。二時間後、老人は眼を赤くしているのを、看護婦に見とがめられる。血圧が異様に高かった。
サッキノ土踏マズノ感触ガ、マダ唇ニ残ッテイテ忘レヨウトシテモ忘レラレナイ。颯子ノ三本ノ足ノ趾ヲ口一杯ニ頬張ッタ時、恐ラクアノ時ニ血圧ガ最高ニ達シタニ違イナイ。カアット顔ガ火照(ほて)ッテ血ガ一遍ニ頭ニ騰(のぼ)ッテ来タノデ、コノ瞬間ニ脳卒中デ死ヌンジャナイカ、今死ヌカ、今死ヌカ、ト云ウ気ガシタコトハ事実デアル。……ソシテ一生懸命ニ気ヲ静メヨウ、興奮シテハナラナイト自分デ自分ニ云イ聞カセタガ、オカシナコトニ、ソウ思イナガラ、彼女ノ足ヲシャブルコトハ一向ニ止(や)メナカッタ。止メラレナカッタ。イヤ、止メヨウト思エバ思ウホド、マスマス気狂(きちが)イノヨウニナッテシャブッタ。死ヌ、死ヌ、ト思イナガラシャブッタ。恐怖ト、興奮ト、快感トガ、代ル代ル胸ニ突キ上ゲタ。
 『春日権現験記絵』を想い起こさねばならない。一人の女が橘氏女の踝より先が露わになった足に顔を近づけ、しかし、じかに手を触れることなく、伏し拝むように唇だけで舐っていた。氏女には神が示現しており、濃く深い異香が、足の指の先から匂いたっていたのだ。『瘋癲老人日記』では、老人はひざまずき、颯子の足を捧げもつようにして、その三本の指を口いっぱいに頬張り、死への恐怖と、興奮と、快感とにまみれながら、唇と舌とで舐りつづけた。時空をはるかに隔てられた、女の足指を舐る場面である。舐る者が女/年老いた男であるという違いによって、二つの場面はことさら隔絶したものに感じられるかもしれない。しかし、死が近づきつつある老いた男は、もはや性的な能力を喪失している。ただ女の足を舐ることしかできない。そこに生まれる快楽が非男根(ファルス)的なものであったことは、なにを意味しているのか。くりかえすが、宗教的な愉悦はいつだって性の快楽と背中合わせであり、渾然一体となる場面があることを忘れてはならない。
 『瘋癲老人日記』は終末にいたって、颯子の足の拓本を取り、その足の仏足石をつくることへと転がってゆく。自分が死んだら、颯子の足の裏を仏足石に彫らせて、その石の下に骨を埋めてもらう、これこそが大往生だ、と考える。そうして盲愛する女の足が仏陀の足に比せられていることは、たんなる妄想としては片付けられない。「出来レバ颯子ノ容貌姿体ヲコノヨウナ菩薩像ニ刻マセテ密カニ観音カ勢至ニ擬シ、ソレヲ予ノ墓石ニスル訳ニハ行カナイモノカ」と願う老人にとっては、「予ニ神様カ仏様ガアルトスレバ颯子ヲ措イテ他ニハナイ」のである。颯子は老人の前に示現した神か仏のような存在であった。それを否定するのはむずかしい。だから、颯子観音の菩薩像の代わりに、颯子の仏足石をつくることを願ったのである。

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著者略歴

  1. 赤坂 憲雄

    民俗学・日本文化論.学習院大学教授.福島県立博物館館長.東京大学文学部卒業.東北芸術工科大学教授として東北文化研究センターを設立し,『東北学』を創刊.2007年『岡本太郎の見た日本』(岩波書店)でドゥマゴ文学賞受賞,同書で芸術選奨文部科学大臣賞(評論等部門)受賞.『異人論序説』『排除の現象学』(ちくま学芸文庫),『境界の発生』『東北学/忘れられた東北』(講談社学術文庫),『東西/南北考』(岩波新書)など著書多数.

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