web岩波 たねをまく

岩波書店のWEBマガジン「たねをまく」

MENU

赤坂憲雄 性食の詩学へ

第一章 指、または恥知らずな冒険 6〈性食の詩学へ〉

2 抵抗のフェティシズムのゆくえ②

  たしかに谷崎潤一郎の作品には、女の足を舐める男たちがくりかえし登場する。『痴人の愛』(一九二五年)の譲治などは、「奈良の仏像」のような恋人のナオミ、その足を顔よりも偏愛する「一種の拝物教」徒である。拝物教とは、フェティシズムのことだ。譲治はナオミの足を撫でながら、こう思うのである。
ああ此の足、此のすやすやと眠っている真っ白な美しい足、此れはたしかに己の物だ、己は此の足を、彼女が小娘の時分から、毎晩々々お湯へ入れてシャボンで洗ってやったのだ、そしてまあこの皮膚の柔かさは、―――十五の歳から彼女の体は、ずんずん伸びて行ったけれど、此の足だけはまるで発達しないかのように依然として小さく可愛い。そうだ、此の拇趾(おやゆび)もあの時の通りだ。小趾(こゆび)の形も、踵(かかと)の円味も、ふくれた甲の肉の盛り上りも、総べてあの時の通りじゃないか。………私は覚えず、その足の甲へそうッと自分の唇をつけずには居られませんでした。

 あるいは、「富美子の足」(一九一九年)の語り手の「僕」もまた、「異性の足を渇仰(かつごう)する拝物教徒、―――Foot-Fetichistの名を以て呼ばるべき人々」の一人である。美しい女の足さえ見れば、やみがたい憧憬の情を起こして、それを「神の如くに崇拝しようとする不可思議な心理作用」は、幼い頃から胸の奥に潜んでいたが、子ども心にも忌まわしい病的な感情であることを悟って、人に知られないように努めてきた。ところが、こうした「拝物教徒」はけっして珍しくはないことを、つい近頃になってある書物で学んでからは、仲間をひそかに捜していたのだ、という。そこに、同じ嗜好をもつ「隠居」が現われ、「僕」はその共犯者になったのだ。「隠居」の妾である富美子が美しい足のヒロインとして、女神のように登場する。

僕は一体子供の時分から若い女の整った足の形を見ることに、異様な快感を覚える性質の人間でしたから、実は疾(と)うからお富美さんの素足の曲線の見事さに恍惚となって居たのでした。真直ぐな、白木を丹念に削り上げたようにすっきりとした脛が、先へ行くほど段々と細まって、踝の所で一旦きゅっと引き締まってから、今度は緩やかな傾斜を作って柔かな足の甲となり、その傾斜の尽きる所に、五本の趾が小趾から順々に少しずつ前へ伸びて、親趾の突端を目がけつつ並んで居る形は、お富美さんの顔だちよりもずっと美しく僕には感ぜられました。

 ここでも、男は顔よりも足を愛するのである。そして、とりわけ足の指への偏愛が語られる。なにしろ、「お富美さんの足の趾は生れながらにして一つ一つ宝石を持って居る」というのだ。国貞の描いた草双紙の絵のなかの女をまねて、富美子がポーズを取る。その「笑って居る」右足の表情については、「小趾と薬趾と二本の趾を撮(つま)まれて宙に吊るし上げられて居る為めに、残りの三本の趾がバラバラになって股を開き、恰(あたか)も足の裏を擽(くすぐ)られる時のように、妙なしなを作って捩れている」と、いかにも執拗に描写されている。足の指への偏愛は露わではなかったか。
 そして、女の美しい足の裏である。

「お富美や、後生だからお前の足で、私の額の上をしばらくの間踏んで居ておくれ。そうしてくれれば私はもう此のまま死んでも恨みはない。………」
痰の絡まった喉を鳴らしながら、隠居は絶え絶えになった息を喘(あえ)がせて、微かな声でこんな事を云う折がありました。するとお富美さんは美しい眉根をひそめて、芋虫でも踏んづけた時のように苦り切った顔つきをして、病人の青褪(あおざ)めた額の上へ、その柔かな足の裏を黙って載せてやるのです。色つやのいい、水々と膩漲(あぶらぎ)った足の下に、骨ばった頬を尖らせて静かに瞑目している病人の顔、―――土気色(つちけいろ)をして、何等の表情もない病人の顔は、朝日の光に溶けて行く氷のように、無上の恩寵を感謝しながらすやすやと眠るが如く死んで行くのではあるまいかと思われました。

 「隠居」の老人は実際にも、富美子の足に踏まれながら、「無限の歓喜」のうちに息を引き取ることができた。顔のうえにある美しい足が、「自分の霊魂を迎える為めに空から天降った紫の雲とも見えたでしょう」と結ばれている。足を崇めるフェティシズムの徒にとって、女の美しい足はどこか宗教的な恍惚に包まれているにちがいない。すくなくとも谷崎潤一郎という作家は、そのような拝物教徒の一人であった。
 渡辺千萬子は『落花流水』(岩波書店)のなかで、たった一度の出来事として、谷崎とのある体験を語っている。

 昭和三八年(一九六三)八月二一日の手紙に「あなたの仏足石をいたゞくことが出来ましたこと」とあります。それは話をしている最中に突然、まるで五体投地のように目の前にばたっとひれ伏して、頭を踏んでくれと言われた時のことです。ほんとうに奇妙なことに、この時の「頭」と「足の裏」だけが谷崎と私が肉体的に接触した初めての(そして最後の)経験でした。あれは谷崎にとっては非常に性的なもので、また私が何かうろたえて、抱きついたり、泣いたりしたら、どういうことになっていたのか、もっと違う展開があったのでしょうか。

 これはたしかに、谷崎の「性的欲望のある種の表現」ではあったはずだが、『瘋癲老人日記』が刊行された翌年の出来事であることに注意しなければならない。つまり、そうした千萬子とのたった一度の肉体的な接触が、『瘋癲老人日記』を産み落としたわけではない、ということだ。そこに描かれていた老人と颯子とのやり取りそのものは、いわば想像ないし妄想の所産であった。谷崎にとってそれは、「小説を事実が後からなぞった」のではなく、その「延長線上にある次の作品の構想」を考えての行為であったか、と千萬子はいう。それより六か月足らず前の書簡には、「飼猫の身をうらやみて狂ひけん人の心は我のみぞ知る(柏木)」という歌が書きつけられてあった。千萬子はそれを受け取ったときの心の動揺をはっきり覚えている、という。「それまで私に対してある距離を置いてきた谷崎が自分に課した結界を自ら踏み越えたものだ」と感じたとともに、「谷崎と私の関係の頂点」であった、そう、千萬子は書いている。現実と想像とが微妙に絡み、浸透しあいながら、『瘋癲老人日記』が誕生してゆく現場をこそ思わずにはいられない。

*   *

 そういえば、「富美子の足」には、こんな場面があった。「隠居」の老人はすでに、死を間近にして、食欲などまるでなくなっていた。それでも、富美子が「牛乳だとかソップだとか云うようなものを、綿の切れか何かへ湿して、足の趾の股に挟んで、そのまま口の端へ持って行ってやる」と、「隠居」はそれを「貪るが如くいつ迄もいつ迄も舐(ねぶ)って」いた、という。その箇所を読んだとき、なんの脈絡もなしに、纏足(てんそく)の影が射しているような気がしたのだった。むろん、つかの間の幻影にすぎない。
 たとえば、北原童夢の『フェティシズムの修辞学』(青弓社)のなかに、纏足を使った閨房術に触れた一節があった。念の入ったことに、全部で四十八あるらしい。「鼻をあて、布を解いた纏足のにおいをかぐ」といったあたりは、わたしの初歩的な知識のなかにもあって、驚きはなかった。ところが、「尖った足の先を、赤子が乳を吸うようにしてチュウチュウ吸う」とか、「足の指の間に挟まれた西瓜の種、乾ぶどう等を舌でまきとって食べる」とかになると、突き放された気分にならざるをえない。ともあれ、「富美子の足」のあの場面に纏足の影を感じとったのは、『フェティシズムの修辞学』の残響のゆえであったかと思う。
 ところで、その著書のなかには、こんなそそられる一節があった。

トゥ・シューズ─纏足─ハイヒールと続く異端の系譜は、自然な状態の身体へのアンチテーゼとしてあった。谷崎潤一郎のように、野放しにされた足をフェティシュとして愛好する者もいる。だが、人為的に変形させられ、ある緊張を漲らせた脚は、いやおうなく男性の想像力をかきたてる。

 谷崎については、あらためて触れることとして、北原の語るところに眼を凝らしておく。印象派の画家・ドガにはバレリーナを描いた作品がたくさんあるが、「踊り子」と題された詩を書き残している、という。ドガがみずからのフェティッシュとして崇めたのは、バレリーナの足だった。

サテンの靴をつけた踊り子の足が
 まるで刺繍針のように
喜びの絵模様を 刺繍する
飛びはねる踊り子たち
 私の眼は彼女たちを追い求め 疲れる
時おり ある動作が
 神秘的で美しい雰囲気をこわす
踊り子が飛びながら足を曲げる
シテールの沼に住む蛙のように
       (ジャンヌ・フェブル『叔父ドガ』東珠樹訳、東出版)

 北原はこれについて、「バレリーナの脚を、刺繡針と蛙という相反する比喩で表わすところにドガの病みが感じられる。ドガは視線のサディストだった」と評している。たしかに、この詩はサディスティックに病んでいる、そんな気配が拭えない。踊り子の爪先立ちで跳ねる姿が、刺繡針に喩えられるとき、それが表わす「喜びの絵模様」はどこか痛みを呼び覚まさずにはいない。トゥ・シューズにこびり付いた血の痕が目に浮かぶ。そして、「神秘的で美しい雰囲気」を壊す踊り子は、沼に棲む蛙に喩えられ、残酷なまでに唾棄される。
 バレーのレッスンとは、ある意味において「脚を人工変形させる儀式」なのだ、と北原はいう。自然の身体が人工身体へと作り変えられる。そこから、北原の想像力はいきなり、纏足とハイヒールへと跳躍する。そして、バレリーナと纏足の女性の近似性から、トゥ・シューズと纏足は「同一な地平に立つ、人工変形された美」であることが指摘される。いわく、「グロテスクなものほど美しい」と。それでは、ハイヒールはどうか。それは十六世紀の西欧に生まれ、マレーネ・ディートリッヒの時代にすべての女性を魅了した「地上三インチの快楽」であった。ハイヒールを履くとき、女性は「大地=母性からの離脱」をはたし、「聖母マリアから誘惑者へ」と変貌していったのだ、そう、北原は述べている。いわば、「自然摂理への反抗、それがエロスを生みだす」源になったのである。
 そうして、トゥ・シューズ─纏足─ハイヒールと連なる「異端の系譜」が、自然な身体へのアンチテーゼとして浮き彫りにされてゆく。人工的な変形を強いられ、ある緊張をみなぎらせた足は、男たちの想像力を搔きたて、誘惑する。ところが、北原が指摘しているように、谷崎はむしろ、「野放しにされた足」をフェティッシュとして愛好するのであり、あのトゥ・シューズから纏足へ、さらにハイヒールへと連なる「異端の系譜」からは逸脱する存在なのではなかったか。
 ここで、『瘋癲老人日記』の颯子が踊り子であったことを思いださねばならない。しかし、彼女はバレリーナにはならなかった。レッスンは受けたが、足が変形して醜くなるのをいやがり、やめてしまった。足の指には全部タコができて、腫れあがって爪もなくなってしまう。バレリーナの足そのものは血まみれで、けっして美しいものではない。それを颯子は嫌ったのだ。まさしく谷崎その人は、「野放しにされた足」を、それゆえに野生の身体をフェティッシュとして愛する者であった。
 『痴人の愛』のナオミは踊り子のようにダンスに興じて暮らしているが、その足は天然のままに小さく美しかった。そのほか、「刺青」や「富美子の足」などにも、やはり「野放しにされた足」が登場する。谷崎はどうやら、あの「異端の系譜」のような、「野放しにされた足」にたいするアンチテーゼを抱いたフェティシズムの人ではなかった。とはいえ、それはきっと、たんなる「野放しにされた足」の愛好者でもなかった。なにかが確実によじれている。
 たとえば、『瘋癲老人日記』には、颯子の足について、その「ガウンノ端カラ覗(のぞ)イテイル支那履(しなぐつ)ノ小サク尖(とが)ッタ尖端ヲ見テイタ。コンナニ繊細ニ尖ッタ足ハ日本人ニハ珍シイ」と見える。颯子の足はあくまで特別なものであった。それは天然にして、小さく尖った支那履に包まれ、それゆえに纏足のようでありながら、しかし、あくまで繊細に尖った美しい足だったのである。『痴人の愛』では、主人公の愛したナオミは、十五歳のときから体はずんずん伸びていったが、その足だけは「まるで発達しないかのように依然として小さく可愛い」と語られていた。これもまた、纏足を一瞬だけ思わせながら、やはり生まれついての特別な、小さな可愛らしい足だった。
 ここで、纏足についていくらか触れておきたい。たしかに、谷崎が愛した足は繊細に尖った美しい足であり、それゆえに、纏足を思わせるとしても、その「野放しにされた足」は纏足とは似て非なるものであった。いや、それは「野放しにされた足」を装いするために、周到に手入れを施された足ではあったにちがいない。しかしそれは、纏足へと変形・加工するために、幼女の足に加えられた凄まじい暴力といったものとは隔絶している。およそ次元を異にするものだ。
 岡本隆三の『纏足物語』によれば、纏足とは「女性の足を緊縛して生長をとめ、小足にする施術」である。この施術を受けるのは、三歳から六歳くらいまでの幼女であり、四段階にわたる施術には三年ほどかかる。もっとも激痛が襲うのは、足指を強く折り曲げる第二、第三の段階である。親指を除いた四本の足指を、足底へ折り曲げて緊縛する。小指など潰れてしまう。腫れ・炎症・化膿・出血を来たし、魚の目ができて、これに触ると跳びあがるほど痛い。この激痛期を除いても、施術中は痛みに襲われつづけるといい、「じわじわと生殺しに近い状態」に置かれることになる。纏足の施術が済むと、足根と中足の関節が曲がり、とりわけ中足骨と趾骨、下腿部の長骨が発達できずに細く小さくなり、足そのものが小さくなるために、接地面がすくなくなり、直立歩行が困難になる。そのために、蓮歩(美しい纏足の歩み)ができるように、涙ぐましい歩行練習がおこなわれる、という。こうして、たった十センチの小さな足、「三寸金蓮」ができあがるのである。
 『纏足物語』には、母親たちは娘の「肉脚」(肉の落ちていない足)を見ると、「骨脚(ほっそりした足)にして、浪脚(放縦な足)にならないようにしなければいけない」と叱咤して足を締めつけた、と見える。いわば、幼い娘の「肉脚」という身体の自然は否定され、それが放置されて「浪脚」へと、いわば野生の身体へと堕落していかないように、「骨脚」に仕立てあげるために人工的な身体への介入がおこなわれたのである。「骨脚」はまさに、中国風に彩りされた文化的な身体のかたちであり、それゆえにこそ、「自然摂理への反抗、それがエロスを生みだす」源泉となりえたのである。谷崎が愛したのは、まさに「浪脚」であり、「野放しにされた足」であった。人工的につくられた「骨脚」などはむしろ、嫌悪の対象であったにちがいない。

*   *

 あるいは、「刺青」(一九一〇年)の女の美しい足もまた、天然ではなかったか。主人公の彫物師は、その足にはいっさいの変形を施すことなく、背中に入れ墨を突き入れて、最高の女の美とされるものを仕立てあげた。刺青もまた、野生の身体に上書きされる文化的な意匠であることを思えば、谷崎はけっして野放しにされた身体への素朴な信奉者ではなかった、というべきか。
 「刺青」は、谷崎自身が「ほんとうの処女作」(新潮文庫版の『刺青・秘密』の河盛好蔵による解説)と見なしていた短編小説である。冒頭から間もなく、江戸時代には、「芝居でも草双紙でも、すべて美しい者は強者であり、醜い者は弱者であった」と見える。だれも彼もこぞって美しくありたいと努めた揚げ句に、「天稟(てんぴん)の体へ絵の具を注ぎ込む」までになり、「芳烈な、或は絢爛(けんらん)な、線と色とが其の頃の人々の肌に躍った」という。谷崎の美への偏執が刺青に仮託される。美しき者は強き者として世に顕現しなければならない。
 清吉という若い刺青師(ほりものし)の腕利きがいた。もとは歌川豊国・国貞の風を慕い、浮世絵師の渡世をしていただけに、刺青師に堕落してからも、さすがに画工(えかき)らしい良心と鋭感とが残っていた。肌を針で突き刺すとき、真紅に血を含んで脹れあがる肉の疼きに堪えかねて、たいていの男は苦しき呻き声を発した。この刺青師は、その呻き声が激しければ激しいほど、不思議にいいがたき愉快を感じるのだった。ここには、たとえばマッチョな男たちのホモソーシャルな共同性に向けての、谷崎の揶揄や反感といったものが透けて見えるのかもしれない。刺青師には年来の宿願があった。光輝ある美女の肌へおのれの魂を刺りこむことである。
 ついに、宿願の女との邂逅の瞬間(とき)が訪れる。その訪れは足とともにやって来る。美しい足だ。顔は知らない。

彼はふと門口に待って居る駕籠の簾(すだれ)のかげから、真っ白な女の素足のこぼれて居るのに気がついた。鋭い彼の眼には、人間の足はその顔と同じように複雑な表情を持って映った。その女の足は、彼に取っては貴き肉の宝玉であった。拇指(おやゆび)から起って小指に終る繊細な五本の指の整い方、絵の島の海辺で獲(と)れるうすべに色の貝にも劣らぬ爪の色合い、珠(たま)のような踵(きびす)のまる味(み)、清冽(せいれつ)な岩間の水が絶えず足下を洗うかと疑われる皮膚の潤沢。この足こそは、やがて男の生血に肥え太り、男のむくろを踏みつける足であった。この足を持つ女こそは、彼が永年たずねあぐんだ、女の中の女であろうと思われた。

 足は顔と同じように複雑な表情をもっている、という。とりわけ、親指から小指へと、繊細に整った五本の指や、うす紅色の貝にも劣らない爪といったあたりに、眼を留めておく。永年にわたって尋ねあぐねた「女の中の女」が、そこにいた。その足こそが、「男の生血に肥え太り、男のむくろを踏みつける足」だと、若き刺青師は確信する。しかし、その顔を見たさに駕籠のあとを追いかけたが、見失ってしまう。やがて、歳が暮れ、明くる春も遅くなったある朝、一人の見慣れぬ娘が現われる。馴染みの芸妓から寄越された使いの者で、近々、妹分としてお座敷に出る、という。その顔はすでに十六、七歳にして、幾十人もの男の魂をもてあそんだ年増のように、物凄く整っていた。むろん、それこそ刺青師が待ちつづけてきた、あの足の女だった。
 二本の巻物が娘の前に繰り広げられる。ひとつは、いにしえの暴君・紂王(ちゅうおう)の寵妃(ちょうひ)の末喜(ばっき)を描いた絵であった。なよやかな体をぐったり勾欄(こうらん)にもたせかけて、羅綾(らりょう)の裳裾(もすそ)をひるがえし、大杯を傾けながら、いましも庭前で処刑されようとしている犠牲(いけにえ)の男を眺めている妃の風情(ふぜい)が、物凄いまでに巧みに描かれている。いまひとつは、「肥料」という画題だった。画面の中央に、若い女が桜の幹へ身を寄せて、瞳には誇りと歓びの色を浮かべ、足下に累々と斃(たお)れている男たちの屍骸(むくろ)を見つめている。娘は奇怪な絵のなかにおのれを見いだし、心の底に潜んでいた何物かを探り当てた心地になった。刺青師は娘に告げる、「これはお前の未来を絵に現わしたのだ」と。
 それから、刺青師は娘を麻酔で眠らせ、その清浄な皮膚を「自分の恋」で彩ろうとする。「左手の小指と無名指と拇指の間に挿(はさ)んだ絵筆の穂」を、娘の背に寝かせ、そのうえから右手で針を刺してゆく。春の陽(ひ)が暮れて、夜がしらしらと明ける頃には、巨大な女郎蜘蛛が八本の肢を伸ばしつつ、娘の背中一面に蟠(わだかま)っていた。

「己はお前をほんとうの美しい女にする為めに、刺青の中へ己の魂をうち込んだのだ、もう今からは日本国中に、お前に優る女は居ない。お前はもう今迄のような臆病な心は持って居ないのだ。男と云う男は、皆なお前の肥料(こやし)になるのだ。………」

 その声に促されて、娘の知覚はしだいに恢復してゆく。「お前さんの命を貰った代りに、私は嘸(さぞ)美しくなったろうねえ」と、娘はいう。それから、湯殿へ行って、色上げをする。湯は滲みて苦しい。うなされる如くに呻く。半時(はんとき)ばかりが過ぎて、娘は身じまいを整え、晴れやかな眉を張って大空を仰いだ。「この絵は刺青と一緒にお前にやるから、それを持ってもう帰るがいい」という刺青師に、娘は「お前さんは真先に私の肥料(こやし)になったんだねえ」と剣のような瞳を輝かした。その耳には凱歌の声が響いていた、という。刺青を仲立ちとして女を支配するわけではないことに、注意を促しておく。刺青師はおのれの技芸のすべてを捧げて、ただ女の肥料になることを願ったのだ。そうして燃焼し尽くした刺青師のその後は描かれていない。
 この処女作はきっと、谷崎潤一郎のその後のすべての先駆けであったにちがいない。顔と足の対比が鮮やかではなかったか。顔の前に足がある。美における顔の専制は、谷崎の前には存在しない。美しい女は足が決めるのであり、顔ではなかった、などといえばいい過ぎか。いずれであれ、刺青師の眼には、足は顔と同じように複雑な表情をもって映ったのだ。のちの作品のなかに、それは変奏されてゆく。颯子の濡れた足の裏は、蠱惑的に、顔のような表情を浮かべていた(『瘋癲老人日記』)。富美子の脛から踝や足の甲へ、さらに五本の指へと連なる足のかたちは、その顔立ちよりもずっと美しく感じられた(「富美子の足」)。ここには顔の専制だけは見いだされない。思えば、美しい顔への執着は、なぜかフェティシズムとは呼ばれない。顔は眼や鼻や口などに細分化されて、はじめてフェティッシュへと成りあがるのだ。フェティッシュとは美の規範への、たとえば関節はずしであったか。顔とはなにか、という問いが、逆説のように浮かびあがる。その前景には、足とはなにか、という異形の問いが困惑げに転がっている。

タグ

バックナンバー

閉じる