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3.11を心に刻んで

村上 稔〈3.11を心に刻んで〉

「自知者明 知足者富」(自らを知る者は明(めい)なり 足るを知る者は富む)
(老子

*  *


 「今晩の集会は中止にするよ」――携帯から聞こえてくる言葉の意味が分からず、僕は戸惑った。その晩の集会は、徳島市議会議員から県議会議員への転身を目論む僕にとって、一か月後に迫った選挙への大切な決起集会だったのだ。
 聞けば、東北で地震があったという。ワンセグでニュースを開くと、津波が町を襲っている映像が飛び込んできた。予定されていた集会は海に近い会場だったので、後援会長が中止と判断したのだ。
 組織の無い僕の選挙はボランティア頼りだったのだが、その日以来、人がほとんど事務所に来なくなった。朝から晩までテレビで原発事故が中継されているのだから選挙どころではない。一人でできる街頭演説や電話かけも中止せざるを得ず、かくして僕の野望は失速した。
 落選して失業者になった僕は、近所のカツ丼屋でバイトをしながら、買い物弱者対策の移動スーパーの仕事を始めた。
 買い物弱者は、長期的視野を欠いた町づくり政策の結果がもたらした社会問題であるが、その背景には地域の人間関係の分断がある。これを僕は政治行政でなく、自分たちが作るソーシャルビジネスで解決することに燃えたのだ。
 とはいえ、やることはアナログである。買い物に困っている人を探してコツコツと地域を歩き、一台ずつ軽トラックの移動スーパーを増やしていった。それから8年、今では29台の移動スーパーが徳島県内すべての市町村を巡回している。
 食べるものを自分で見て買うのは元気が出る。我ら移動スーパーの行くところ、お年寄りたちの笑顔が絶えず、近所の井戸端会議が復活する。買い物不便の解消は、人と人のつながりの復活でもあったのだ。
 冒頭の言葉を、僕は会社のスローガンにしている。その意味を僕は、「他と比べず、自らのポテンシャルを掘るところに幸せがある」と勝手に解釈している。
 まだ眠っている自分や仲間や町の可能性をコツコツと歩いて発掘すること。そこに強欲という原動力からは得られない、明るい心の豊かさが現れるのではないかと思うのである。3.11以降、こんな言葉を胸に今日もひたすら地域を歩いている。

(むらかみ みのる・(株)Tサポート代表取締役)

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