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『科学』4月号 【特集】ゆがむ被曝評価

◆目次◆

【特集】 ゆがむ被曝評価
インテグリティの失われた被曝評価論文: 宮崎早野第2論文批判 ……黒川眞一・谷本 溶
個人線量測定論文の諸問題−−批判的レビュー……濱岡 豊
3.11以後の科学リテラシー……牧野淳一郎

巻頭エッセイ 
ヒトゲノム編集:親の生殖の権利と将来の子の権利のはざま……石井哲也


[座談会]人工知能研究は何をめざすか(前編)……池上高志・石黒 浩・梅田 聡・佐藤理史・中島秀之・開 一夫

[新連載]
利他の惑星・地球[生命編]新たな〈世界像〉をもとめて……大橋 力

[連載]
葬られた津波対策をたどって〈4〉……島崎邦彦
「米」遊学〈4〉米を食べてアンコールを造った人たち……大村次郷
これは「復興」ですか?〈25〉JR常磐線の再開……豊田直巳
手紙がひらく物理学史〈7〉湯川秀樹,ソルヴェイ会議に招待される……有賀暢迪
ちびっこチンパンジーから広がる世界〈208〉ブータン:環境教育と国民総幸福量(GNH)……松沢哲郎

[科学通信]
〈コラム〉「東京電力柏崎刈羽原発再稼働問題」ウォッチ
  積み残されたままの原発事故原因・事故分析 その(2)……田中三彦
〈コラム〉東京電力原発事故の情報公開 
  定義なき「廃炉」,ミスリードをもたらす「デブリ取り出し」……木野龍逸
〈リレーエッセイ〉地球を俯瞰する自然地理学 馬乳酒からみえる遊牧地域の人と自然……森永由紀
 
今月の表紙
次号予告
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表紙=盛田亜耶 「生命の連鎖ーヴィーナスの誕生」 2017年 179.5×161.0cm 切り絵
photo by Tomonori OZAWA, courtesy of gallery ART UNLIMITED
表紙デザイン=佐藤篤司 本文イラスト=山下正人
連載「利他の惑星・地球」タイトル・デザイン=木下勝弘 
 
◆巻頭エッセイ◆
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>ヒトゲノム編集:親の生殖の権利と将来の子の権利のはざま

石井哲也(いしい てつや 北海道大学安全衛生本部.生命倫理の研究に従事.二〇一五年,二〇一八年,国際ヒトゲノム編集サミットにて招待講演)


 本誌2016年12月号でゲノム編集という遺伝子改変技術を利用した医療を展望した.奇しくも,2018年末,その一部が現実となった.中国の賀建奎氏が受精卵に対してゲノム編集を用い,CCR5遺伝子を変異させた双子の女児が“健康に”誕生したと主張したのだ.この事件は世界中から倫理審査上の研究不正,また危険な生殖実験を向う見ずに実行したことなどから厳しく批判されている.しかし,賀氏のみならず,臨床試験に参加した夫婦らにも言及すべきだ.参加夫婦らは,夫のみがHIV感染者で(したがって母子感染はない),わが子が同じHIV感染という不遇を回避できるならと受精卵ゲノム編集に同意した.賀氏が「教養ある」と紹介した双子の両親は,なぜ将来の子に重大な健康被害を及ぼしかねない受精卵ゲノム編集に同意してしまったのだろうか.

 まず,欧州などにはCCR5変異を持ち,HIV感染に抵抗性がある人たちが存在する点が挙げられる.意図的にCCR5を変異させるものの,わが子にHIV感染を回避する体質を付与できると考えたのだろう.また,精密にDNA切断できるゲノム編集の酵素を精子とともに卵子に注入する手技は,一見すると,今や一般的となっている顕微授精と同様のものだ.顕微授精で子をもった親たちと同様に,自分たちが受精卵ゲノム編集を利用すると決定することに問題はなく,それは将来の子の福祉にかなうと妄信したのではないか.

 夫婦が将来の子の健康を案じることは理解できるものの,その考えには問題がある.そもそも,感染者の血液との接触への注意や適切な避妊法によってHIV感染は回避でき,仮に成人した彼女らが感染しても母子感染を防ぐ医学的対処法はある.また,ゲノム編集で使うDNA切断酵素は研究者の設計や検証が不十分であった場合,ゲノム中の意図しない部位に変異(オフターゲット変異)を入れてしまう.その結果,今は健康そうにみえる双子が後に意図せぬ疾患を発症する恐れがある.結局,同意の意志を示すことのできない双子に,無用かつ危険な遺伝子改変を強いたことになる.

 リスクが未知な生殖医療を,その目的の妥当性をめぐる判断が安易なままで利用拡大が進むと,社会的な問題が生じる恐れがある.今回の事件の背景には,ゲノム編集という技術の威力と容易さ,実験的医療の目的がリスク認識を伴わず同意を先導する傾向,そして,実験的生殖医療においては,親による生殖の権利の行使である一方で,意志を示せない将来の子の権利が損なわれる危うさが垣間見られる.

 日本と中国では道徳観に違いがあると一蹴する人がいるかもしれないが,そう断定するのは難しい.日本の道徳の概念は西洋のモラルのみならず中国の儒教や老荘思想を起源としている.また,日本は,中国と同様,遺伝子改変を伴う生殖医療の規制を,強制力に乏しい医学研究者向け行政指針で対応している.賀氏は指針を無視したか,国外でゲノム編集を実行したとみられる.2月7日の参院予算委員会で厚労相は受精卵ゲノム編集の法規制がないことを認めたが,安部総理は関連法を目下は制定しないと答弁した.しかし,日本の将来の子を守るために,親になる一般の人々も対象にした法規制が今,必要であると考える.

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