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3.11を心に刻んで

青木美希〈3.11を心に刻んで〉

「私が死んでも、子どもたちにお金が渡るようにお願いします」
(54歳の母親が避難先の住宅提供を打ち切られた後、自死する前に友人に言い残した言葉。
青木美希『地図から消される街──3. 11後の「言ってはいけない真実」』講談社現代新書

*  *


 政府と福島県は、2017年から段階的に東日本大震災の避難者への住宅提供の打ち切りを続けています。避難者は住居を失い、深刻な状況が生じています。
 福島県郡山市の母親は、家族に避難を提案しましたが、夫は「国は安全だって言っている」と避難に反対、母親は夫と息子を残し、2011年夏に中学生の娘と東京に避難しました。翌2012年春、母親が子どもたちに内部被曝検査をさせたところ、娘からは検出されなかったのに、郡山市に残した息子からわずかにセシウムが検出されました。母親は息子も避難させました。
 夫は、お前は勝手に家を出て家庭を壊した、と怒り、生活費を止めました。母親は、私はものすごい過ちを犯しているのではないか、と自分を責め、「子どもたちを避難前より不幸にしてはいけない」と仕事を掛け持ちしました。体が疲れていても「一日出勤すれば1週間分の食費になる」と踏ん張りました。仕事は3つに増やしました。
 周囲に相談できる人はいませんでした。住宅提供は1年ごとに延長が決まりますが、母親は毎年、打ち切りになるのではないかと怯え、家を探しました。遂に福島県と政府が打ち切りを決めたその後、左手がしびれ、左半身が動かなくなり、働けなくなりました。医師には「心因性」と言われました。母親は、住宅提供が打ち切られた1カ月後に命を絶ちました。
 この1カ月後に新潟に避難した中学3年生の男子生徒も亡くなりました。父親は新潟日報に「もっと父親をやりたかった」「原発事故さえなければ」と答えていました。政府は震災関連自殺を228人(2019年4月時点)と発表していますが、統計は不正確で、この母親と中学生など3人も当初は統計になかったのを私が指摘し、人数が増えました。さらに今も統計にない自殺者の知人らが「あの人も」と私に訴えてきています。実際の犠牲者はどれほどいるのでしょう。
 東京都の調査では打ち切り後も7割が都内に残り、その3割が月額世帯収入10万円未満と答えました。避難者たちは国に実態調査を求めていますが、国は「支援拠点で個別に相談を受けている」と頑なに拒んでいます。なぜか。キャリア官僚が言いました。「政府にとって都合が悪い統計を取ることができない。逆らうと人事で飛ばされる」と。
 2020年3月には、帰還困難区域700世帯を含めた住宅提供が打ち切られます。帰還困難区域はバリケードに囲まれている状況なのに、国と県が決めたのです。避難指示解除を政府は「復興」と華々しく言い、その後に住宅提供や医療費、固定資産税の減免がなくなることは言いません。子ども被災者支援法は、避難者の住宅確保に関する施策は国が講ずる、と定めています。法は守られているでしょうか。
 切り捨てられ続けた人は、声をあげる気力すら失います。避難者が数万人いる中、五輪がせまり「前の東京五輪で急速に水俣病が忘れられた。今度は東日本大震災の被災者が忘れ去られるのでは」と水俣病の語り部が懸念しています。日本は災害大国。誰もが被災者になる可能性があります。切り捨てられるのは、次は、私やあなたかも知れません。政府の都合で、声の小さい人を切り捨ててもいいとする社会にしてはいけない。私はそう思います。

(あおき みき・新聞記者)

 


※《子ども被災者支援法》 福島第一原発事故を受けて議員立法でできた法律。被災者一人一人が居住、移動、帰還の選択を自らの意思によって行うことができるよう、被災者がそのいずれを選択した場合であっても適切に支援するものでなければならないとし、国が避難者の住宅確保の施策を講ずるとある。

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