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赤坂憲雄 性食の詩学へ

第一章 指、または恥知らずな冒険 10〈性食の詩学へ〉

3 雲雀料理の愛の皿を、どうぞ③

 
 ここで「青猫を書いた頃」(『萩原朔太郎全集』第九巻、筑摩書房)というエッセイを取りあげてみたい。朔太郎の、この時期の詩作の背後に横たえられたものが、いくらか了解しやすいものになるかもしれない。
 『青猫』に収められた詩篇は、一九一七年から一九二三年にかけて書かれている。それは朔太郎にとって、もっとも陰鬱な「無為とアンニュイの生活」に浸っていた時期であった。一九一七年五月に、初恋の人エレナが亡くなり、その翌月の雑誌『感情』に「その手は菓子である」の初出が見いだされる。一九一八年五月からの三年足らずのあいだ、詩作の中断期があって、一九二三年一月に詩集『青猫』が刊行になる。
 
 すべての生活苦悩の中で、しかし就中、性慾がいちばん私を苦しめた。既に結婚年齢に達して居た私にとって、それは避けがたい生理的の問題だった。私は女が欲しかった。私は羞恥心を忍びながら、時々その謎を母にかけた。しかし何の学歴もなく、何の職業さえもなく、父の家に無為徒食しているような半廃人の男の所へ、容易に妻に来るような女は無かった。その上私自身がまた、女性に対して多くの夢とイリュージョンを持ちすぎて居た。結婚は容易に出来ない事情にあった。私は東京へ行く毎に、町を行き交う美しい女たちを眺めながら、心の中で沁々と悲しみ嘆いた。世にはこれほど無数の美しい女が居るのに、その中の一人さえが、私の自由にならないとはどういうわけかと。
 
 赤裸々な告白ではなかったか。陰鬱にして、無為とアンニュイに覆われた生活の底には、性欲の問題がひそんでいたのだ。それは、朔太郎が女性にたいして、「夢とイリュージョン」を過剰に持ち合わせていたがゆえに、なおさら屈折せざるをえなかった。前橋から東京へ出てゆくと、「わが性のせんちめんたる、/あまたある手をかなしむ」(「感傷の手」)ことになった。青い魚のごとき女たちに、その手に、ひたすら幻惑され、悲しみ嘆くことしかできなかったのである。
 それから、一九一九年五月になって、朔太郎はついに待ち望んでいた結婚のときを迎えた。しかし、その結婚は失敗に終わる。悔恨は痛ましいものだった。たがいに愛も理解もなく、たんに肉欲だけで結ばれている男と女が、「古い家族制度の家」のなかに同棲していたのだ。「非倫理的な、不自然な、暗くアブノーマルな生活」だった。ほとんど「死霊と一緒に生活して居た」ようなものだった。昔の死んだ恋人のことばかり、夢に見ていた。春の夜に、燐火(りんか)の燃える墓場の蔭で、紅色の衣装をまとった女を泣きながら抱いた。朔太郎のイメージする世界は、いつでも悲しみにとり憑かれ、「死の表象としてのヴィジョン」のほかにはなにも浮かばなかった。
 
私は昔の人と愛する猫とに、爛れるような接吻(きす)をする外、すべての希望と生活とを無くして居たのだ。そうした虚無の柳の陰で、追懐の女としなだれ、艶めかしくもねばねばとした邪性の淫に耽って居た。青猫一巻の詩は邪淫詩であり、その生活の全体は非倫理的の罪悪史であった。
 
 そうして、『青猫』の詩篇の群れは、「艶めかしくもねばねばとした邪性の淫」に耽りながらの「邪淫詩」であったことが、朔太郎自身によって明かされていた。「その手は菓子である」という詩もまた、邪性の淫(みだ)らさにまみれていたことは否定すべくもない。それはしかし、結婚の以前に属していたがゆえに、逆に、「非倫理的な、不自然な、暗くアブノーマルな生活」からは、微妙な距離を取りえたのではなかったか。手とその指をめぐるエロティックな綺想が、中村稔が指摘していたように、ねっとりとしなやかでいて、けっして卑しげなエロスを感じさせないのは、そのためだ。それはなんとも、無邪気なまでに、若やいだ「女性の肉体、ことに指の讃歌」だったのである。あえていっておけば、それは川端康成の老いや死を抱いた「言語による観念的淫蕩」がもたらす、生命の否定やら絶対的な救いのなさ、没道徳的な虚無といったものとは、およそ肌触りを異にしている。それはむしろ、若さゆえの生命(エロス)の過剰に裏打ちされた欲望そのものであり、頽廃めいたものは感じさせない。そこにはただ、性と食との交錯のなかに紡がれる、「まことに手放しの女性の肉体、ことに指の讃歌」があるばかりだった。くりかえすが、この詩は結婚以前を刻印されている。
 前著の『性食考』(岩波書店)では、食べちゃいたいほど可愛い、という愛の囁きを起点にして蛇行に満ちた思索の旅を重ねていった。いま、朔太郎の「その手は菓子である」という詩において、手の指に仲立ちされながら、ひっそり食と性とが絶妙なる交歓を果たす現場に立ち会うことになった。〈食べる・交わる・殺す〉というテーマが、あらためて浮上してくる。
 詩集『月に吠える』には、「雲雀料理」と題された九編の詩からなる一章がある。そのうちの八編の詩に手や指が登場する。この章に附された前書きには、「したたる空色の窓の下で、私の愛する女と共に純銀のふおうくを動かしたい。私の生活にもいつかは一度、あの空に光る、雲雀料理の愛の皿を盗んで喰べたい」(『萩原朔太郎全集』第一巻)と見える。雲雀料理とはなにか。実際にフランス料理にはあるといい、中世ヨーロッパでは雲雀をパイに詰めた料理が愛好されたともいうが、とりあえず朔太郎の空想の所産と受け取っておく。それは、どこまでも憧れの対象であり、いつか一度はと願う「あの空に光る、雲雀料理の愛の皿」であったからだ。
 さて、「雲雀料理」(『萩原朔太郎全集』第一巻)と題された詩は、以下のようなものだ。
ささげまつるゆふべの愛餐(あいさん)、
燭に魚蠟(ぎょろう)のうれひを薫(くん)じ、
いとしがりみどりの窓をひらきなむ。
あはれあれみ空をみれば、
さつきはるばると流るるものを、
手にわれ雲雀の皿をささげ、
いとしがり君がひだりにすすみなむ。
 いまひとつ、「焦心」(『萩原朔太郎全集』第一巻)も引いておく。
霜ふりてすこしつめたき朝を、
手に雲雀料理をささげつつ歩みゆく少女あり、
そのとき並木にもたれ、
白粉もてぬられたる女のほそき指と指との隙間をよくよく窺ひ、
このうまき雲雀料理をば盗み喰べんと欲して、
しきりにも焦心し、
あるひとのごときはあまりに焦心し、まつたく合掌せるにおよべり。
 なぜかは知らず、章の前書きでは、雲雀料理は愛と結ばれていた。「雲雀料理」という詩からは、夕べの愛餐のメニューとして、手に「雲雀の皿」を捧げて、いとおしく思う「君」のテーブルへと進んでくる「われ」という構図が浮かぶ。この「われ」とは、いったいだれか。それがもし、「焦心」の「手に雲雀料理をささげつつ歩みゆく少女」と同一人物であったならば、「君」は男でなければいけない。愛餐は「愛のための宴の意」(集英社文庫『萩原朔太郎詩集 青猫』「語注」)であるからだ。前書きには、「愛する女と共に純銀のふおうくを動かしたい」「雲雀料理の愛の皿を盗んで喰べたい」とあり、それがかなわぬ夢想であることが暗示されていた。「君」は朔太郎その人ではないだろう。「焦心」の最後に姿を見せる「あるひと」こそが、朔太郎自身ではなかったか。少女が白粉をぬられた細い指で捧げもつ雲雀料理を、なんとか盗んで食べたいと願って、合掌までしているのが、「あるひと」とズラシを施された朔太郎自身であったにちがいない。
 雲雀料理の愛の皿を盗んで食べたい、という。この愛の皿とそれを捧げもつ少女とは、一心同体ではなかったか。そこではあきらかに、性と食とが、交わることと食べることとが重なりあっている。そして、雲雀を食材とする料理であるならば、そこに殺すというテーマが介入してくるのは、当然なことだ。
 やはり『月に吠える』に収められた、長詩「雲雀の巣」(『萩原朔太郎全集』第一巻)には、故郷の河原で見つけた雲雀の卵を、みずからの「野蛮な人間の指」で押しつぶす場面がある。「おれは指と指とにはさんだ卵をそつと日光にすかしてみた。/うす赤いぼんやりしたものが血のかたまりのやうに透いてみえた。/つめたい汁のやうなものが感じられた。/そのとき指と指とのあひだに生ぐさい液体がじくじくと流れてゐるのをかんじた。/卵がやぶれた」とある。雲雀の卵といういのちへの殺意はあきらかだった。指こそが野蛮な殺戮者であった。そのとき、「ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよと空では雲雀の親が鳴いてゐる」のだ。「雲雀料理」という詩のなかには、「さつきはるばると流るるものを、/手にわれ雲雀の皿をささげ」とあった。愛の皿に盛られていたのは、空で鳴いていた雲雀であったかもしれない。その前には、「あはれあれみ空をみれば」と、悲劇の種明かしがなされていたのである。
 さらに、『青猫』に収められた「閑雅な食慾」(『萩原朔太郎全集』第一巻)にも、どこか共鳴しあうテーマが感じられる。そこでも、食べることと交わることとが微妙な交歓を果たしていたのではなかったか。「食慾」という言葉が隠されたキーワードであった、といっておく。閑雅とは「しとやかでみやびやかなこと。閑静で雅致のあること」(『広辞苑』第七版、岩波書店)であってみれば、「閑雅な食慾」とはいかにもアイロニカルではなかったか。食欲など卑しく、恥知らずな代物に決まっている。
松林の中を歩いて
あかるい気分の珈琲店(かふえ)をみた。
遠く市街を離れたところで
だれも訪づれてくるひとさへなく
林間の かくされた 追憶の夢の中の珈琲店(かふえ)である。
をとめは恋恋の羞をふくんで
あけぼののやうに爽快な 別製の皿を運んでくる仕組
私はゆつたりとふほふくを取つて
おむれつ ふらいの類を喰べた。
空には白い雲が浮んで
たいそう閑雅な食慾である。
 中村稔は『萩原朔太郎論』のなかで、この「閑雅な食慾」という詩の素材をなしているエッセイとして、「叙情詩物語」(『萩原朔太郎全集』第八巻)の後半部を名指ししている。それは白昼の夢のようでもあるが、もしかすると「遠い遠い私の過去で、実際にあったことの記憶」のようにも思われる物語である。そこには「海」と呼ばれる女性が登場する。
 ――遠い記憶の夢のなかで、「私」は美しい町に住んでいた。そこは海に近い別荘地帯だった。「私」はひとりで松林のなかの道を、しだいに深く迷いこんでいった。ふと林の木蔭に、白亜の家屋を見た。木造の田舎びた西洋館であった。人気もなく、夢のように閑静な林間の料理屋(レストラン)であった。
 
 日曜日に、いつも私はそこを訪ねた。何よりもその食慾が、私を力強く誘惑した。おいしく、甘く、クリームでどろどろに溶かされている鳥肉や卵の味が、どうしても私の味覚から忘れられなかった。これほどにもおいしい洋食が、世の中にあることを知らなかった。しかし皿の中には、たった一口ほどの肉しか盛られて居なかった。だから私の食慾は満足せず、いつも残りの皿やナイフを意地きたなく嘗めまわした。私の学生の財布としては、たいへんに高価すぎる上等の料理だから。
 そうして! ああ私はあの娘を忘れない。何というのおぶるで、典雅で、美しく、情熱にみちた娘であったろう。白昼の、人気のない、林間料理店のベランダで、涼しい籐椅子にもたれながら、彼女は私の側に雑誌を読んでいた。
 私は彼女を「海」と呼んだ。なぜならば、本当に海のように晴々しく、澄んだ大きな眼をもっていて、青空の地平の向うへ、遠いあこがれを夢みるような娘だったから。何よりも彼女は高貴であった。貴婦人のように高貴であった。彼女がセリー酒の盃をもって近づくとき、私はろべりやの花のほんのりした匂いをかいだ。その花は庭の花園で、露台から見える所にも咲き匂っていた。
 「閑雅な食慾」という詩を、たとえば掌編小説に仕立て直してやれば、きっとこんな物語になるはずだ。「閑雅な食慾」のなかの、林間に隠された「追憶の夢の中の珈琲店」は、「叙情詩物語」ではあらためて「私の中の林間珈琲店」として変奏される。そして、「焦心」(一九一五年)の「手に雲雀料理をささげつつ歩みゆく少女」から、「閑雅な食慾」(一九二一年)の「恋恋の羞をふくんで/あけぼののやうに爽快な 別製の皿を運んでくる」少女(をとめ)へ、さらに、「叙情詩物語」(一九二六年)の「海」と呼ばれる娘へと、ゆるやかな展開を遂げていったのだ。
 くりかえすが、鍵となるのは「食慾」という言葉である。むろん、性と食とが精妙にからみ合う、あの欲望の領域をこそ指している。「叙情詩物語」では、「おいしく、甘く、クリームでどろどろに溶かされている鳥肉や卵」の洋食が提供されるが、しかし、「たった一口ほどの肉」しか盛られていないために、けっして食欲が満たされることはない。雲雀料理の面影がかすかに射してはいなかったか。そのかたわらには、「のおぶるで、典雅で、美しく、情熱にみちた娘」がいる。甘いクリームの鳥と卵の料理と、優雅な貴婦人のような娘とは、きっと分かちがたくひとつである。
 
 ともあれ私はその食慾を忘れない。そして海と名づけるやさしい少女が、今も昔も永遠に私の側で沈黙している。彼女はこの世に居ないであろう。しかしながら空間でなく時間でなく、すべての現象の彼岸に於て、私の中の林間珈琲店(カフェ)は実在している。
 
 鳥の料理と娘とは、白い雲を浮かべた空によって繫がれている。どちらも、けっして手が届かぬ遠い記憶の夢のなかにたゆたう幻想である。食べちゃいたいほど可愛い、という声が低く囁くように聴こえてくる。いつか、たった一度でいい、「あの空に光る、雲雀料理の愛の皿を盗んで喰べたい」と、ひっそり朔太郎は思った。
 
雲雀料理の後にはどうぞ空の青映しだしたる水を一杯
(尾崎まゆみ)
 
 松村由利子はいう、朔太郎の詩のイメージを盛りこんだ本歌取りであり、まるで朔太郎の「愛する女」からの返歌のようだ、と(砂子屋書房ホームページ「一首鑑賞 日々のクオリア」)。雲雀料理を食べ終えて、形のよい白い手で純銀のフォークを皿に置いた彼女は、婉然としてコップを差しだす。なみなみと注がれた水が、「空の青」を映して揺れる。そう、松村は読みほどいてみせる。時空を超えて、「雲雀料理の愛の皿」は盗み、盗まれ、記憶の夢のなかを漂いつづける。
 幼き日に、雲雀の巣をもとめて、麦畑であったか、広やかな畑のなかを駈けまわったことがある。雲雀は巣の卵か子どもを守るために、巣から遠く離れたところに空の高みから舞い降りる。それにしても、雲雀ばかりは「垂直に高く、高く、囀りながら天に上る」。いったい、そこになにがあるというのか。「ただ空の高みに至らんがため、雲雀は晴れたる空に出る」と、歌人の小池光はいう。雲雀料理なんて料理があるはずはない、「詩人の幻想の食卓」である。得がたい天上の雲雀を皿のうえに盛って、「やるせなくも、ものぐるほしい幻想の料理とする趣向」であったか。
 
前橋の「雲雀料理」を売る店をあまたたびわれ夢におとなふ
(岡井隆)
 
皿の上に零(こ)ぼれるあわき血しずくの 雲雀料理やわれの愛餐
(福島泰樹)
 
 歌人たちにとっても、雲雀料理というまぼろしの食卓は、「何度も夢に見るほど、淡い血のなごりを感じさせるほど忘れ難いものなのである」と、小池はごく簡潔に注釈を施している(『うたの動物記』日本経済新聞出版社)。福島泰樹の歌のなかでは、愛の宴のための皿のうえに雲雀の血しずくがこぼれて、ほんのつかの間、性食のあわいの残酷が顕在化させられている。

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著者略歴

  1. 赤坂 憲雄

    民俗学・日本文化論.学習院大学教授.福島県立博物館館長.東京大学文学部卒業.東北芸術工科大学教授として東北文化研究センターを設立し,『東北学』を創刊.2007年『岡本太郎の見た日本』(岩波書店)でドゥマゴ文学賞受賞,同書で芸術選奨文部科学大臣賞(評論等部門)受賞.『異人論序説』『排除の現象学』(ちくま学芸文庫),『境界の発生』『東北学/忘れられた東北』(講談社学術文庫),『東西/南北考』(岩波新書)など著書多数.

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