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3.11を心に刻んで

沢山美果子〈3.11を心に刻んで〉

今日という日は、もっと生きたかった人の今日でもある。亡くなった先生や後輩の分まで僕らは生きたい。
(宮城県南三陸町戸倉中学卒業式での小野寺翔君の答辞「天声人語」『朝日新聞』2012年3月31日

*  *


 東日本大震災の翌年、南三陸町戸倉中学の津波で壊れた旧校舎で卒業式が開かれた。もっと生きたかった人の切なさや無念、そして今日という日が持つ意味を語る小野寺翔君の答辞での言葉に、抑えていた涙がこみ上げた。
 東日本大震災と原発事故は、故郷の福島をフクシマに変えた。震災の前年、福島の郡山市に転勤になっていた長男家族は、原発の水素爆発が起きる前、いちはやく避難命令が出された外資系企業に勤める幼稚園の親仲間の誘いで真夜中に車で郡山を脱出した。幼い孫たちと長男の妻は、そのまま京都の妻の実家に避難し、長男は職場に戻った。そして3月下旬、夫が脳梗塞で入院し、その後失語症となり運ばれた病院でスキルス性胃癌末期との告知を受け、告知の一月半後に61歳で逝った。夫の死後、長男は家族と共に生きるため京都に転職した。
 私にとって、この個人的な経験と震災は切り離せないものとしてある。どんなに強く望んでも「あの日」の前には戻れないのだ。でも、津波で一瞬にして身近な人を奪われた方たち、放射能汚染で故郷を失くした方たちに比べれば、短くても死を受け入れる時間が持てた私はまだいい、そう自分に言い聞かせてきた。が、幼い孫たちに付けを負わせたことへの悔い、自分が生きていることへの後ろめたさはぬぐいようもなかった。
 そんな私の心に、小野寺君の言葉が沁みいった。もっと生きたかった人の分まで生きたい、そう思って良いのだ、今日という日を大事に生きれば良いのだと。そして思った。いのちを繋ぐ営みは、もっと生きたかった人の思いを引き継ぎ、思い残したことを受け取るようにして紡がれてきたのだと。
 でも、「あの日」がやってくると、「あの日」からの辛かった日々が鮮明に蘇る。3年たてば、7年たてばと、そのつど思ってきたが、8年たったこの3月も、それは変わらなかった。だとしたら、そうした思いも抱え込んで、ただただ今日という日を大切に生きよう。そう思って、時々空を見る。

(さわやま みかこ・日本史研究者)

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