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3.11を心に刻んで

永田浩三〈3.11を心に刻んで〉

この体験は誰かに話さずにはおれない気持ちです。……皆さん外部的なことばかりおっしゃいますが、問題は心のなかのことなんです。
(ビヴァリー・ラファエル『災害の襲うとき──カタストロフィの精神医学』石丸正訳、みすず書房

*  *


 1995年1月の阪神・淡路大震災。当時わたしは『クローズアップ現代』のプロデューサー。姉が神戸・須磨の避難所にいたこともあり、志願して現場に駆け付けた。
 阪急・西宮北口駅から歩いて中央体育館に向かったときのことだ。町には焦げた匂いが立ち込め、辻々にひとびとが集まり、ひそひそ話をしている。誰さんは亡くなった、連れ合いを助けられなかった……。いのちに関わる言葉が露出していた。
 コンビニもまだ開いていない中、営業している店があった。花屋である。普段の衣食住を取り戻すことより、愛するひとの弔いを優先するひとがいっぱいおられることに気づいた。
 24年前すでに「マスゴミ」という言葉があったかどうかはわからない。しかし、やみくもにマイクを突きつけることへの批判は根強く、送り手の側にも、暴力的な災害報道への懐疑や羞恥心もあった。
 NHKスペシャル番組部のS部長から、わたしに相談があった。避難所暮らしの実相を伝えることはできないだろうか。ただし、ずかずかと土足で踏み込むようなことはやるべきではない。
 部長に返事をした。「避難所を回っていろんな話を聞いてきます。そのうえで判断させてください」。
 着の身着のまま逃げたひと、障害を抱え避難所暮らしは無理だと言うひと、外国から来たばかりで誰に助けを求めていいのか、わからないひとたちがいた。被災者といっても、ひとりひとり違った困難を抱えている。そのことを被災地以外のひとたちに知ってもらうことが重要だと考えた。
 そして実現したのが、「特集・被災地からの声」だ。司会の古屋和雄アナウンサーは、生放送中、涙で語れなくなった。
 ほとんどのひとは、被害について語るのは初めてだった。自身の経験を聞いてくれるひとを求めていた。これは発災時特有の現象ではあるが、ラファエルの『災害の襲うとき』に書かれた現実がそこにあった。
 2か月経つと、わたしのこころは壊れ、涙が止まらなくなった。ラファエルの言う「周辺の被災者」にわたしも仲間入りしたのだった。それを強引に断ち切ったのは3月20日朝に起きた「地下鉄サリン事件」だった。

(ながた こうぞう・ジャーナリスト)

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