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3.11を心に刻んで

渡部義弘〈3.11を心に刻んで〉

「震災のことを、何の遠慮もなしに語りあうことは難しい。
でも伝え合うことの意味と大切さをみんなで分かち合える日が来て欲しい。
どれほど長い時間がかかるか分からないけれど。
いつか、きっと」
(相馬クロニクル2015年制作・映像ドキュメント『いつかきっと』より)
*  *
震災直後、もの言いがとても不自由で、息苦しかった。家族にすら話せないことばかりだった。「今は戦時中か?」そういう思いを共有した人と、ようやく本音で話ができた。震災からは3か月が経っていた。
その一方で、さまざまな人たちが集い、語りあう場も発生した。公共のホールや大学での講演会や語りの場。上映後の映画館のロビー。震災後に初めて会った人同士は、みな震災について語りあっていた。そんな時間と場所が確かにあった。
時には家族同士の話し合いで、いさかいや喧嘩も発生した。価値観の相違で友達だと思っていた人たちと離れてしまった人もいた。なかには離婚にまでつながってしまうこともあった。それでも人々は話をした。どうしても伝えたい、知って欲しいことがあったから。
東京オリンピックが決まった2013年、私の周囲や福島のメディアでも喜びの声は聞かれなかった。「被災地を無視して中央で、勝手にやっている」というのが多くの思いだったのではなかろうか。
だが、現在はどうだろう? まだまだ「復興  などしていないはずの福島県や地元メディアからも賛同の声が上がる。よく思っていない人は今も多いはずだが、メディアを通じて聞こえるのは礼賛の声ばかり。そうした声以外は上げづらい状況になってしまった。
だが、 「復興」など全くしていない地に住むものとして、「復興オリンピック」というまやかしには対抗していきたいと思っている。震災の幕引きを図っているつもりかもしれないが、無かったことにはさせない。
震災から8年が経った今、人を傷つけること、ぶつかることを恐れて、声をひそめている人たちが多い気がする。そして被災地でのもの言いは、とても不自由だ。「被災地の人にどう声をかければ、何を訊けば良いかわからない」。そんな声を時々聞く。そんな人にはある高校生の声を伝える。その高校生は言っていた。「震災の時に、誰も何も訊いてくれなかったことが悲しかった」と。
ある音声作品の最後に生徒が、こう問いかける。
「あなたの今伝えたいことは、何ですか?」
まだまだ埋もれた声がたくさんある。それは震災に限ったことではない。胸のうちを語りあったり、社会的弱者の声に耳を傾けることができる社会になることを生徒たちは望んでいる。そして、そういう社会に少しでも近づけていくのが、大人の役割ではないのだろうか。8年間、この地で教師をしてそういう思いを強くしている。
相馬クロニクルは、相馬高校放送局が震災後に制作した作品を上映することを主たる目的に結成された。各地で震災に関する作品の上映活動を今も続けている。全国各地にいる被災者が時々参加することがある。その時に「初めて震災の話ができた」とおっしゃる方がいる。長崎では、「この上映を見て、被爆三世であることを初めて人前で語ることができた」という方もいた。相馬クロニクルの作品上映会が、語りあう場として広がって欲しい。そういう思いで、今も上映活動を続けている。上映会に参加している卒業生が「いつか私も場を作る人になりたいなと思った」とある時メールに書いてくれた。被災地で育った子供たちは、今確実に成長している。
 
(わたのべ よしひろ・相馬クロニクル主宰・2022年に「統廃合」予定の福島県立新地高等学校教諭)

復興:一度衰えた(こわれた)ものが、再び盛んに、また整った状態になること。また、そうすること。(『岩波国語辞典』第七版より)

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