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3.11を心に刻んで

花田昌宣〈3.11を心に刻んで〉

地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって来るのである。……科学の方則とは畢竟「自然の記憶の覚え書き」である。
(寺田寅彦「津波と人間」『寺田寅彦全集 第七巻』岩波書店)
*  *
寺田がいうように自然災害はくりかえしやってくる。1995年1月阪神・淡路大震災。2004年10月中越地震。そして2011年3月11日。そうして2016年4月の熊本地震である。
3.11のあとの4月初めには東北の被災地を岩手県から茨城県まで車で海岸部を回った。何が起きているかを目と耳と匂いで感じようとした。その後、熊本からは地理的にも心理的にも遠くはあるが、年に二度くらいは被災地を訪問した。はじめは友人知人の応援から始め、被災者インタビューや行政の聞き取りへと進めていった。
その3.11の5年後の4月16日午前1時25分。わたしは茶の間でノートパソコンを広げて何気なく仕事をしていた。築45年の自宅だが、前日の、のちに前震と言われる大きな地震で家の中はひっくり返っていて、使える部屋は茶の間だけだった。突然の停電と同時に突き上げるような地震がきた。部屋は真っ暗になって、飛んでいったノートパソコンの画面だけが薄暗く光っていた。玄関の扉も壊れていて開かない。なんとかこじ開けて外に出てみると屋根の瓦が多く落ちていた。よくみてみると、家の土台が割れていて、基礎部分が歪んでいる。外も真っ暗である。
東日本でみた地震がこんどは自分のところで起きた。寺田のいうように地震は頑固に襲ってきた。わかっているつもりでも、始めはどうしていいかわからなかった。脳髄の知的な領野は東日本で見てきたことを生かして災害による困難をなんとか縮減するように行動せよといっている。それが勤務先である熊本学園大学に開設し45日間運営した避難所であった。東日本大震災のおり、行き場のなかった障害者の避難できる居場所を作ることに私も頑迷にこだわった。750名の近隣住民を受け入れた自主的避難所であったが、最大時50名を超える身体障害者がいた。熊本ではこのような避難所はここだけだったという
自然災害は回避できないにしても、それがもたらす被害は縮小できる。そうした実践の記録と記憶を残していくのは人間の力だろう。
 
(はなだ まさのり・社会政策、労働経済学)

編集部注: 熊本地震直後の、熊本学園大学の避難所の取り組みについては、以下を参照ください。熊本学園大学(編著)『平成28年熊本地震 大学避難所45日 障がい者を受け入れた熊本学園大学震災避難所運営の記録』熊本日日新聞社(2017年11月)刊。

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