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3.11を心に刻んで

木下史青〈3.11を心に刻んで〉

タクトがリズムのかたちを忘れて打ち下ろされたとき、それは最も残酷な破壊の行為となる。いいかえれば誤って耕したとき、それは “母なる大地” の皮膚を、メスでもって、切り刻む結果になることを忘れてはならない。
(三木成夫『生命形態の自然誌』うぶすな書院)
*  *
1985年、東京藝術大学へ入学した1年目に、三木成夫先生の講義「生物」を履修した。「生物としての人間の本質」を伝える講義内容だった。1987年に先生は亡くなられたのだが、何か生きる上で迷いが生じたときなど、先生の著作を手に取る。すると、先生の声が聞こえて、初めて読んだ三十数年前に時が巻き戻ったかのように「人が生きる」ことの根本的な言葉に出会う。
東北地方太平洋沖地震発生時、渋谷のビル内にいた。最初にグラ!ときてから長く大きく続いた揺れだった。しばらくしてからいま起きていることをネットで確認しようとしたところ、映し出されたのは「死」をリアルに目前に映す画面だった。繰り返される映像を呆然と見続けるだけの自分がいた。
それから4年経ち、人が生きることと社会との関係、東京電力福島第一原子力発電所事故と廃炉と復興、そしてアートやデザインは社会の中で何ができるのか、何をすべきかなど、複雑な問題を掘り下げて考えたくなって、東京国立博物館に勤める傍ら東京藝術大学大学院の博士課程に進んだ。その研究過程で、自分自身がデザイナーであり、アートに関わる仕事をする以前に、人とは何かという本質的なことを確認しようと、本棚から三木先生の本を手に取り、ページをめくって出会ったのが冒頭の一文である。後にこう続く。「それは文字通り “畜生” の行為となるであろう。『文化 culture』の本質の問題はここにあるといわねばならない」
茶の湯を趣味とする僕の現在の関心事は、三木先生の述べる畜生と人の境界にある「文化 culture」の本質を探るためのアートであり「正しいタクトの打ち方」である。それを探るため、福島、チェルノブイリ、そして東京……と、ヒトの頭蓋骨の形をした茶碗を携え、各地で茶を点てる「どくろ茶会」と称した茶会を開き、人びとと語りあいを続けてきた。その活動を、最近ようやく論文としてまとめた。さらに各地で出会った人たちに思いを馳せながら、その研究を発表するために過ごす日々である。
 
(きのした しせい・展示デザイナー)

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