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3.11を心に刻んで

岩 根 愛〈3.11を心に刻んで〉

「四つん這いの鬼が、桜の木の周りをぐるぐる廻ったり
近づいたり、離れたり。
それでも桜は、咲かなくてはならない」
(福島県双葉町の太鼓奏者 横山久勝さんの言葉。映画『盆唄』(中江裕司監督)より)
*  *
福島県双葉町の盆唄の存続を願う唄い手や奏者たちが、100年を超えて福島の盆唄を唄い継ぐハワイの日系移民の子孫たちに、双葉盆唄を伝える旅に出る。ハワイの盆踊り、ボンダンスを撮り続けるうちに、そんな事象に出会い、私が企画した映画『盆唄』は、双葉町とマウイ島の太鼓奏者たちの交流を描いたドキュメンタリーを軸に、唄を携え、ふるさとを離れて生きていく人たちの物語である。生きているうちに双葉に帰れないかもしれないと思う彼らには、かつて移民が伝えた賑やかなボンダンスは、未来への希望の手がかりとなった。
主人公である横山久勝さんが、避難して6年目の春を前に、双葉の桜をテーマに太鼓曲『さくら』を作曲する。
曲の冒頭は、重く、不規則なビートから始まる。徘徊する鬼の足音だという。やがて、誰もいない桜の森に吹く風と、さらさらと舞い落ちる花びらの音が加わる。
鬼とはなんですか? 中江監督の問いに、それは、放射能のことだと横山さんは言った。現場にいた私はその瞬間を覚えている。思いがけない答えに監督は一瞬固まっていた。
「おぬ(隠)」より転じたとされるその語源は、かたちの見えないもの、この世ではない、異界の住人であり、超人的な力を持った恐ろしい存在である。しかし全国各地に伝承されている鬼は、ときに神と同位とされ、自然との境界に共存する。絶対悪の存在ではない。
太鼓の鼓動により眠りから目覚めた先人たちの手が地中から伸びて、私たちの胸ぐらを掴み、いまを問い質す。鬼とは、私たちの中にある影であろうか。横山さんは、これまでもこれからも、鬼と共に郷里に生きている。
撮影を開始した2015年から、双葉町の状況も、横山さんにも少しずつ変化が訪れた。横山さんは『さくら』に未来を重ね、編曲を続けた。誰もいない町の桜を散らす風の音は、鬼の隙をついてどんどん集まってきた人々の足音となり、舞い上がる花びらの音は、子供の笑い声にかき消されて行く。来年もまた、鬼に花が降る。
 
(いわね あい・写真家)

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