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行司千絵 服のはなし

服の向こうに見える世界〈服のはなし〉

おめかし用の引き出し

 その引き出しは、洋服だんすのちょうど真ん中にあった。
 レースのショールや編み込みのニット帽、鹿の子編みの白いミトンなど、おめかし用の小物だけをいれるところ。すべて姉のお下がりだったけれど、5歳のわたしにとっては宝石箱のような存在だった。
 でも、ひとつだけ、たたずまいが異なるものがあった。
 金色のふわふわとした毛並みのキツネの襟巻だった。
 ガラス玉なのに鋭い視線を感じる目。指のひとつひとつを再現した手足。
 おしゃれアイテムのはずなのに、「いきもの」にしか見えない。食べられると思っていなかった牛の舌や内臓をはじめて口にしたときの気持ちと似て、未知の装いの装いにわたしは尻込みした。七五三のとき、着物にこの襟巻で参拝したものの、言葉にできない違和感がぬぐえない。その後、身につけることはなかった。
 木綿の布。貝ボタン。ウールのセーター。ダウンジャケット。
 服の素材が植物や動物からできているのは、考えてみればあたりまえだ。そのことにあらためて気づいたのは、趣味で自分のふだん着をつくりはじめてからだった。

ほしい服に近づくために

 わたしは生まれ育った奈良に住みながら、京都の新聞社で働いている。
 記者なので通勤着は特に決まりがなく、20代は流行の服を買っていた。でも30代に入ると、ウエストまわりや二の腕がぽってりしてきて、それまでの服が似合わなくなった。めまぐるしく変わる流行にときめかず、大好きだった洋服探しがめんどうになっていた。
 30歳のとき、取材先の帰り道で小さな手芸店を見つけて、懐かしい気持ちになった。
 小学生のころ、手先が器用な祖母や母と3人で、ワンピース向きの布を探しに、旧奈良市街の手芸店へしょっちゅう出かけていたから。わたし自身も幼いころから針と糸で遊び、人形や手さげかばんをつくっていた。でも、大学生になって以降は、手づくりから遠ざかっていた。
 久しぶりの手芸店は、服探しよりも楽しかった。
 この小花模様の布を膝丈のノースリーブワンピースにしたらかわいいな。
 このデニム生地をワイドパンツにしてみたい。
 色とりどりの布を前にして、次々とイメージがわいていく。気がつけば、いくつかの布を選りわけ、手にしていた。
 でも、当時のわたしに服を縫う技術はなかった。つくらないのは目に見えているので、布を買うのをがまんした。
 そんなわたしの背中を押したのは、1年後に観た香港映画『花様年華』(ウォン・カーウァイ監督、2001年)だった。スクリーンに登場するシックで華やかなチャイナドレスに心が奪われ、「着てみたい」との思いでいっぱいになった。
 そういえば、チャイナドレスのつくり方が載ったソーイングブックが家にあったはず。それを参考にして、自分で縫っちゃえばいい。映画館を出るころにはすっかりその気になって、そのまま手芸店に行き、青い小花模様のアメリカ製コットンを買った。
 あくる日、母からお針箱とミシンを借りて、1日かけて完成させた。縫い目は曲がり、身ごろの長さはちぐはぐしていたけれど、ほしいと思う服に一歩近づけたことがうれしかった。
 早速、仕事に着ていくと、「似合っているね」「どこで買ったの」と行く先々でほめられた。裁縫技術に引け目を感じていたので想定外の反応に驚きながら、人が見るのはミシン目などの細部ではなく、服を着たわたしそのものなのだと気がついた。
 コンクールに出すのではないのだし、わたし自身が楽しいと思える服をつくればいいんだ。そう思うと気が楽になって、休日は自分や母、友人、知人のふだん着を縫うようになった。

自分のために作ったサロペット。上身ごろはマリメッコのはぎれを使った
自分のために作ったサロペット。上身ごろはマリメッコのはぎれを使った
母のおうちふく。コート生地を使っているので温か。ポケットをたくさんつけると喜んでくれる
母のおうちふく。コート生地を使っているので温か。ポケットをたくさんつけると喜んでくれる
これも母のおうち着。上下ともシーツ
これも母のおうち着。上下ともシーツ

小さな手芸店を探して

 町から小さな書店が閉店するという話題が上がるたび、さみしい気持ちになる。わたしが洋裁をはじめた20年前のそのころ、手芸をする人が減ったためか、手芸店も書店とおなじようにのれんを下ろしはじめていた。思うような布やボタン、糸が手に入らなくて、外出するたびに手芸店を探した。
 シャッター通りになってしまった商店街や住宅街にぽつんとある手芸店は、店主も常連のお客さんも、年配の女性が多かった。水牛の角でつくったボタン、絹のかがり糸など、何十年も売れていなさそうなデッドストック状態の商品が目についた。
 洋裁をはじめてからは、旅先でも材料を探すようになった。小さな手芸店の時が止まっているかのように感じるのは、ヨーロッパもおなじだった。
 ヴェネチアでは路地に迷っていると、ボタン店の前に偶然踊り出た。ひと昔前のショーウインドーには新品の ── 全体にうっすらとほこりのかぶった ── 数のそろっていないボタンが並んでいて、ひとつしかない六角形の貝ボタンがほしくなった。店内は暗く、誰もいない。「エクスキューズミー」。人のよさそうなおばあさんが出てきてくれたものの、英語が通じない。身ぶり手ぶりで伝えると、おばあさんはボタンを新聞紙でくるんで「グラッチェ」と笑った。

ヴェネチァで買ったボタン。包み紙も捨てられないでいる
ヴェネチァで買ったボタン。包み紙も捨てられないでいる
海外の旅先で買い集めたボタン
海外の旅先で買い集めたボタン

 ストックホルムの下町にあったリボン店では、伝統的な模様の木綿のリボンが黄ばんだ状態で木箱に突っ込まれていた。買おうか迷っていると、鼻眼鏡のおじいさんが「安くしとくよ」とウインクして半値にしてくれた。
 日本でも海外でも、小さな手芸店で見つかる材料は自然界のものを素材にしていることが多い。ときには牛の骨のボタンなど死を連想させるものもあるけれど、そうした材料は、大型の手芸店で見かけるプラスチックや化繊でできた大量生産品よりも存在感があり、肌になじむ。わたしはできるだけ小さな手芸店に行って材料を探した。

素材には産地がある

 手芸をはじめたころ、布やボタンに産地があると知らなかった。
 奈良の貝ボタン、近江の麻。しぼ(表面に細かい皺)が入った高島縮(たかしまちぢみ)。いずれも歴史は古く、高い技術でつくられていた。
 それは道具もおなじだった。
 京都には江戸初期からおなじ場所で縫い針を売り続ける店がある。刃物と同様に鉄を鍛えてつくられたその店の針の針先は、布にすっと入る。間違って指先をつくたび、刃物だと思い知らされる。裁ちばさみ。糸切りばさみ。編み棒。素材や道具の良し悪しにも目を配るようになった。
 ちょうどそのころ、リネンを扱うニューウエーブ系の手芸店が登場した。ファッション雑誌でも息をあわせるかのように「リネンの服はおしゃれ」と紹介しはじめた。
 それまでの麻のイメージは、小千谷縮(おぢやちぢみ)や宮古上布(みやこじょうふ)などの材料となる苧麻(ちょま)や、ドンゴロスなどの素材となる黄麻(こうま)といった、シャリシャリとした感触のものが一般的だった。
 いっぽう、雑誌の記事によると、ヨーロッパでは麻のなかでもリネンが高級な生地で、洗うと柔らかく肌になじむという。
 どんな手ざわりなのだろう。実物が見たい。でも、簡単にリネンの布が手に入る今とは違い、売っている店はわずかだった。ようやく探しあてた手芸店には、リネンがたくさん並んでいた。なめらかな触りごこちにうっとりする。ベルギー産、それもリベコ社 がてがけたものという。布にもブランドがあるのだと思って眺めていたら、店の人に声をかけられた。
 「リネンは、フラックスという植物の繊維でつくられているんですよ」
 草から布?
 意外に思ったのは、そのときまで布を素材のひとつとしてしか見ていなかったからだ。
 シルクの布は、蚕がつくった繭から糸をつむいでつくられている。コットンの布は、綿という植物の実の繊維からできている。でもふだんは、シルクの布を見ても蚕は連想しないし、コットンの布を見ても綿畑まで思いはいたらない。
 それから数年後、リベコ社のオーガニックリネンが売られるようになった。布にもオーガニックか、と驚いたけれど、原料のフラックスは農産物なのだから、米や野菜、くだものをつくるのとおなじこと。自然やつくり手にできるだけ負担をかけず、無理なく続けられる方法で育てようとする人たちがいるのも、当然だった。

革のジャンパースカートがほしかったけれど……

 30代半ばから後半にかけて、ファッションのお手本にしていたのは、フランス在住のフリーアナウンサー、中村江里子さんだった。中村さんが自身の暮らしぶりを紹介したエッセー本『エリコ・パリ・スタイル』(マガジンハウス、2006年) には、ファーのジャケットやオフショルダーのブラウスなど着たプライベートの写真がたくさん載っていた。
 とくに、ジル・サンダーの革のツーピースが印象的だった。わたしも革の服がほしくなり、自分が着るならジャンパースカートがいいと思った。
 だが、探してみても、車が買えるぐらいの値段がついたハイブランドのものしか売っていない。

 自分でつくるしかないか……。でも、どうやって革を手に入れたらいいのだろう。手芸に詳しい人たちに聞いてたどり着いたのが、革専門の問屋だった。
 店内は広く、たくさんの種類のクラフト用工具や革紐などが置いてあった。店の人に「服が縫えるのほどの大きな革がほしい」と伝えると、「ちょうどいいのがありますよ」と店の奥へと案内された。
 目に入ったのは、四肢を広げて天井からつり下げられた牛一頭分の1枚革。イメージぴったりのキャメル色で、値段はほぼ予算内に収まる2万円だった。
 その数日前、わたしはドキュメンタリー映画『ある精肉店のはなし』(纐纈あや監督、2013年)を観ていた。
 記録されたのは、大阪府内で営む精肉店の一家の日々。家族は大切に牛を育て、屠畜場で解体し、精肉店で販売する。残った皮はなめして、だんじり祭の太鼓の材料に使われていた。
 ハンマーで眉間を打たれて、どさりと倒れる牛。その姿に衝撃を受けながら、「この課程があるから、わたしはお肉を食べることができる」という思いで映画館を出たのだった。
 今、目の前にあるこの革も、何らかの理由で命を絶たれて加工されたのだろう。
 そう思うと、この世に生を受けた唯一無二の牛の気配を感じずにはいられなくなった。服の素材は「いきもの」との思いが強まっていく。革は余さず、使い切らなくてはいけないけれど、その自信が持てない。結局、何も買わずに問屋を出た。

アンゴラとモヘアの出自

 ここ数年は編みものに熱中している。
 洋裁とともに独学で、技術はなかなか身につかず、編み込みなど手の込んだことはできない。仕事が忙しい時期だと、1カ月で編めるのは2〜5センチほどなのに、せっかちな性格なので、「すぐに着たい」と完成を急いでしまう。
 そんな思いを簡単にかなえてくれるのが、アンゴラやモヘアの毛糸だった。ふわふわとした長い毛足。ざっくりとした編み目でも風合いが出る。
 毛糸店も、国産毛糸を扱う古くからの店は閉店する一方で、外国産の毛糸を中心にしたセレクトショップが登場しはじめていた。それでも手芸店よりは数も少なくて、上質のアンゴラとモヘアを手に入れるのは大変だった。
 個人輸入を思いつき、ネットを使ってイギリスやアメリカの毛糸店やメーカーに直接注文した。郵便事情が日本と違うので、手元に届くのに1カ月以上かかることもある。受け取るまでハラハラするけれど、そうまでしても、手に入れたかった。
 アンゴラがなにものかは、突然知った。
 大阪の毛糸店で、透明感のある朱赤のアンゴラを手にとったとき、毛糸玉に巻かれた紙のイラストに目がとまった。描かれていたのは、ふわふわモコモコのウサギ。はじめて見た姿に驚き、その場で「アンゴラ」を検索すると、「アンゴラウサギ」とあった。「モヘア」も検索してみると、「アンゴラヤギ」だとわかった。
ネットにはアメリカのCNNによる二つのニュースも並んでいた(「アンゴラ製品、ザラなども販売中止」「H&Mやザラ、モヘアの中止を表明」)。中国の農場では、アンゴラウサギが生きたまま毛を引き抜かれ、毛を引き抜かれたときには大きな鳴き声を上げていたという。南アフリカの一二の牧場では、ヤギが引きずり回され、ときにはけがをしたり殺されたりしたことも。動物愛護団体「PETA」から残虐性の指摘を受け、ZARAやH&Mなどの大手ブランドは、アンゴラ、モヘアを使うことを中止すると書いてあった。
 これまで必死に買い集めたアンゴラとモヘアの毛糸は、どのようにつくられたのだろう。
 そう思うと、新たに毛糸を買う気持ちがわかなくなってしまった。

手持ちのファッションアイテムの数は

 わたしのおしゃれルールは、ほかの人とおなじ格好をしないことだ。こどものころに母から教わったそれを、今も大事にしている。大学生までの服の数は限られていて、組み合わせを考えるのが楽しかった。でも、自分で服を縫うようになった30代からの20年間で、服の数が一気に増えた。それはファストファッションが世界中で席巻した時期とかさなっている。
 ユニクロのフリースブームが起きたのは1998年。アウトドアウエアとして1万円以上はしたフリースが、1900円で登場し、軽くてあたたかいふだん着として、またたくまに広がった。
 スウェーデン発のH&Mの日本第一号店は、2008年に銀座でオープンした。トレンドの服が安く買えるとあって、徹夜組も含めて約5000人が行列し、ニュースになった(2018年に閉店)。
 今では、駅ナカ、ショッピングモール、国道沿いなど、街のあちこちにファストファッションの店がある。ファッション雑誌もファストファッションの服を「使える服」として、ブランド服と組み合わせたスタイルを毎月載せている。
 わたしはいとも簡単に影響を受けた。たんすにはがんばって買ったブランド服、ファストファッションの服、手縫いの服が入りまじっている。
 持っている服を数えたことはなかったけれど、はじめて数えてみると……、

コート・ジャケット類 31枚
セーターなどのニット類 74枚
カットソー・シャツ類 121枚
スカート・ジャンパースカート 43枚
ズボン 57枚
合計 326枚

 靴61足、マフラー・手袋など小物類17点、かばん47点を盛り込むと、ファッションアイテムは全部で451点という数になった。
 持ちすぎだ。
 かばんの8割は、旅先で買った布製エコバッグだけれど、この量はエコじゃない。色違いのカットソーが多いのは、ファストファッションの店で2枚買えば割引になったからだ。
 着なくなったら、処分すればいい ── 。そう思って買うものの、傷んだり破れたりしないので、捨てるに捨てられない。結果、取り返しのつかないカオスになっていた。

安いから……で増えてしまった服

 ものの値段に対して、わたしのたがが外れたのは、ファストファッションと出合うもう少し前、100円ショップの登場が大きかった。
 100円SHOPダイソーのホームページを見ると、チェーン店が本格化したのは1991年という。バブル経済が崩壊して、「失われた20年」に突入したころだ。家の近くに初めてできたとき、100円でフライパンやバケツが売られているのを見て驚いたのを思い出す。
 それがすっかりあたりまえになったころ、先輩記者と仕事場でのおしゃべりで、100円ショップの話題になった。先輩は、町の駄菓子屋さんや立ち飲み屋さんに通っては、丹念に話を聞く人で、その姿勢はわたしのあこがれだった。
 「行司さん、100円ショップで、時計や鍋が売っているで」
 「すごいですよね」
 「でもさ、時計を一生懸命つくっている人のことを考えると、それが100円になるなんて、心がこたえへんか?」
 ハッとした。デフレ不況もあって、すっかり100円という値段に慣れていた。売られているものに、つくり手がいることも想像していなかった。
 なのに、安い値段に慣れてしまうと、どうしても安さに流れてしまう。
 少し前、カナリアイエロー色のサブリナパンツを390円で見つけたときも、うれしくなった。タグにはブランド名がなく、中国製で綿やポリエステルの混紡とだけ書いてある。
 なんで安いのかな、ヤバい服かな。
 一瞬思ったけれど、まぁいいかと買ってしまった。
 たんすは服であふれているので、「断捨離」という言葉には一瞬とはいえ心が動いたし、ベストセラーになった『フランス人は10着しか服を持たない』や『人生がときめく片づけの魔法』を手に取ったこともある。でも、ミニマリストには転身できそうにない。ここしばらく袖を通していない服もあるけれど、ひとつひとつが、わたしを支えてくれる存在に思えてしまうのだ。
 でもそれは、わたしひとりだけの状況ではないようだ。服は世界中にあふれている。

売れのこった服は、どうなる?

 1年間に日本で出回る服は、2016年の時点で40億着程度。バブルのころのほぼ2倍の量にあたる。日本だけでなく、世界のアパレル市場も服の数は増えるいっぽうで、2025年までに年平均3.6%(実質ベース)の成長を予測されている。
 大半の服をつくっているのは、日本以外の国の人たちだ。2017年の時点で、日本の服のうち、97.6%が海外でつくられて輸入されたものだった。わたしの手持ちの服を見てみても、中国、ミャンマー、カンボジアなど外国製のものが多い。
 洋服店がえんえんと並ぶショッピングモールを歩くと、ここにあるすべての服は売り切れるのだろうかと疑問に思う。百貨店の平日の服売り場は閑散としていて、店の経営は大丈夫かと心配にもなる。
 昨年(2018年)の7月、ある記事が目に留まった。トレンチコートで知られるイギリスの高級ブランド・バーバリーが、2017年に売れのこった衣料や香水、アクセサリーなど2860万ポンド相当を焼却処分していたという。理由は、盗難されたり、安く売られたりするのを防ぐため。ブランドイメージを守るための手だてだった。ニュースをきっかけに環境保護団体などが強く反発し、バーバリーはこの年の9月、焼却処分とともに毛皮を使うこともやめると発表した
 「新しい服を焼くなんて」とファッション関係者に言うと、「高級ブランドでは珍しくないですよ」と涼しい顔で返された。
 ほかに方法はないのだろうか。
 布のリサイクルに詳しい京都工芸繊維大学名誉教授の木村照夫さんに相談すると、大阪の在庫処分業者「shoichi」を教えてくれた。最高経営責任者(CEO)の山本昌一さんは、会社を一代で築いた41歳。とても気さくな人だった。
 在庫処分業は、売れのこった服をブランドやメーカーから買い取り、定価よりも値段を下げて新たに売るのが仕事だ。山本さんの会社の場合、ブランドのタグを一枚ずつ切るなど、どこの服かわからないようにしたうえで、定価の20〜30%の値段で売っている。
 最初は2、3社との取引だった。その後は口コミで広がり、今では年間約2000社に増えた。売り上げも毎年増えて、2019年4月期は過去最高の17億円になった。
 1年間に扱う服は現在、1000万枚という。大阪と三重にある3つの自社倉庫、延べ面積2500坪があって、わたしが訪ねた大阪の倉庫には、無数の段ボール箱がうず高く積まれていて、箱を開けてもらうと、メーカーから買い取ったTシャツやポロシャツがぎっしり入っていた。
 山本さんはもともと、フリーマーケットで買ってきた中古の服をネットオークションで売っていた。中古の服を仕入れるとき、在庫処分という仕事を知って感激したという。
 服が売れのこったとき、メーカーや企業が売り方を大きく変えて売るのは、現状のシステムでは難しい。そこでメーカーや企業に代わって、売れのこりを販売する。山本さんはその役割の重さに気づいたのだ。
 「人の心のなかに『着飾りたい』という根源的な気持ちがある限り、新しい服がつくられていくし、服の在庫はなくなりません」
 そうだった。わたしが服を次々と買うのも、少しでもすてきなわたしになりたいから。手元にある服の山は、欲望と自信のなさが入りまじったなれのはてだった。
 山本さんは、売れのこりの服を買い取られるメーカーや企業の気持ちを知るため、自らブランドも立ち上げていた。デザインを企画し、中国の工場で縫製し、販売する。同じ立場になってみて、誰もが売れのこりを出したくないという気持ちで大切につくっていることがわかったそうだ。
 「でも今の時代は、かわいい商品を、安く、好きなときにほしい。そうするには、たくさんつくるしかありません」
 シーズンの1カ月前にはつくっておかないと、時季に売れない。だから、予測を立てる。予測が外れたらのこる。それがアパレル業界の流れという。

着るものと食べるものとの違い

 売れのこった服が着られることなく、そのまま捨てられる。まだ食べられるのに、賞味期限切れなどの理由で捨てられてしまう「食品ロス」が頭に浮かぶ。食品ロスは社会問題化しているけれど、こと「服ロス」になると、関心に温度差がある。
 国の姿勢でもわかる。
 食べものの場合、環境省が毎年調べて、食品廃棄物や食品ロスの量を発表している。2016年度の食品廃棄物等は約2759万トン。そのうち食品ロスは、約643万トンとの推計で(2019年発表)この量は、国民ひとりひとりがお茶碗1杯分の食べものを毎日捨てていることになるという。
 いっぽう、服については、環境省や経済産業省に問い合わせてみても、売れのこりの統計はなかった。
 古着についても、正確には把握できない。環境省の廃棄物調査によれば、2015年度の一般廃棄物量は4412万トン。うちわけを見ると、「紙」「金属」「ガラス」など種類別になっていて、古着が入っていると思われる「繊維」は145万トンだった。実際にどれだけの量の服が日本で処分されているのか、ひとりあたり、毎日何枚の服を捨てていることになるのか、はっきりした数字は誰もわからない。
 アパレルメーカーのなかには、着なくなった古着を回収している企業もある。ファッション雑誌は、動物の毛皮に見立てたエコファーや、自然環境や縫い子さんの働き方に気配りしたエシカルファションの特集を組むようになった。
 けれど、在庫処分業「shoichi」を紹介してくれた木村照夫さんの話を聞いてからは、そうしたとりくみを手ばなしで喜べない自分がいる。
 木村さんは布を新たな素材につくりかえる技術を開発していて、メーカーや企業からの売れのこりや古着の服の生かし方について相談を受けている。技術者でもある木村さんは、アパレルの現状を冷静に見つめていた。
 「もともと服をつくり過ぎているのです。ひとりひとりに十分な服だけあれば、リサイクルなんてしなくていい。根本を変えないと、いつまでたっても服はあふれています」

料理と洋裁の場合では

 服をつくるのはわたしにとって大切な時間だ。
 どんなワンピースを仕立てようかと考えたり、できあがりをイメージしながらミシンを踏んだりするのは、とても楽しい。人間関係や仕事のことなど、日々のもやもやが一切なくなって、つくることだけに集中する。そんな気持ちになれるのは、服づくりのほかにない。
 洋裁や編みものをするようになって、これまで出会わなかった人と知り合いになったのも、うれしいことだった。
 手芸店のスタッフ、羅紗(らしゃ)屋の主人、百貨店のオーダーメードサロン売り場の人たち。フランス人のボタンコレクターと会うため、パリ郊外の自宅へ訪ねたこともあった。仕事や日々の生活では知ることのなかった新しい世界が開いていくのに、わくわくした。
 でも、ひっかかりも感じている。
 「つくるのは楽しい」という無邪気な気持ちだけで、次から次へと服を増やしていいのかな。食べものだったら、食べれば消える。趣味がクッキーやパンづくりだったら、新たにつくっても罪悪感を持たなくてすむのに。服は消えずにずっとあるし、着る機会にも限りがある。さらに、縫うのに失敗してしまったら、着ることもできないまま、のこってしまう。
 使い切れないほどに買い集めた布や毛糸、そして今までにつくった無数の服を前にして、考え続けているけれど、答えは見つからない。

服を選ぶ、服が伝える

 在庫処分業を営む「shoichi」の山本さんとの会話で、もうひとつ、食べものと服との違いに気づかされた。
 「味は同じで、大きさが違うだけのビスケットであれば、食べたらおしまいです。でも服は好みがあるから、格好悪い服を着たら最悪に思う。極寒地でほかに着るものがなければ着るけれど、ふだんは、安くても格好悪かったら売れない。それだけ服は複雑です」
 この夏のスイス旅行を思い出した。行きの飛行機で運悪くスーツケースが積み残されてしまった。真夏の格好のまま放り出された現地の気温は、10度。事前の調べで寒いとは知っていたけれど、防寒着はスーツケースのなか。しかも手元に届くのは、最長3日かかるという。コーディネートなんて悠長なことは言ってられない。手持ちの服すべてを着ても寒く、ホテルのタオルを体に巻いてしのいだ。
 でも、そんな状況に追い込まれない限り、超高級ブランドのセーターがたとえ100円になっても、奇抜なデザインだったら買わない。好みではない服の着心地は悪いだろうし、まわりの人から「あんな趣味の人だったんだ」と思われるのもいやだからだ。

 わたしは街を行き交う人を眺めているのが好きで、その人たちが着ている服を手がかりに、学校の先生っぽいな、この人はミュージシャンかなと、つい想像してしまう。
 リネン素材のロングワンピースを着て、靴下を重ねばきしている30代の女性を見たら、「体を冷やさないようにしているんだ。くらしも自然派で、味噌や梅干しとかも、自分でつくっているかもしれない」と推理する。
 ここ数年は、京都や奈良のあちこちで、多くの外国人観光客の姿を見かける。京都市内でタクシーにのったとき、運転手さんがこう話した。
「この人は中国の方かな? 韓国から来られた方かな? と思いますね。髪型や服装でわかる。アジアの人に限りますけど」

母のおうち着。上身ごろはリバティプリント。スカート部分はシーツの生地
母のおうち着。上身ごろはリバティプリント。スカート部分はシーツの生地

 わたしもパンツやジャケットの形や丈の長さなどを手がかりに、どこの国から来た人か、なんとなくわかる。同じブランドの服を世界中の人が簡単に着られるようになったけれど、着崩し方や組み合わせ方は、お国柄によって微妙に違う。京都の岡崎かいわいを歩いていると、流行最先端の服をスタイリッシュに着こなしている女の子たちをよく見かける。会話を聞かなくても、「中国の女の子だな」と思い、おしゃれを貪欲に楽しむ姿はまぶしくさえ見える。

 服が売られているのは、百貨店や商店街にある店だけではない。インターネットの登場で、クリックひとつで手元へ届くようになった。新しい服だけではなく、古着や自宅で手縫いした服までも、個人のあいだで気軽に売り買いされている。
 人類史上、おそらく最大の枚数の服がつくられ、売られているだろう。そして、ひとりひとりも、かつてなくたくさんの服を持つ時代をわたしたちは生きている。
 服って、いったいなんなんだろう。
 着る。買う。つくる。きく。調べる。服について試行錯誤してきたわたし自身の歩みをたどりながら、服について考えていきたい。

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著者略歴

  1. 行司 千絵

    1970年生まれ。同志社女子大学芸学部英文学科卒。京都新聞に勤めながら独学で洋裁を習得し、自身の普段着や母、友人・知人の服を縫っている。瀬戸内寂聴さんや志村ふくみさんなど、3〜91歳の80人に服を作った。個展に「母と私の服」(西宮阪急)「おうちのふく」(フォイルギャラリー)「まだ見ぬあなたに作った服」(誠光社)など、著書に『おうちのふく』(FOIL)など。『図書』2018年11月号・12月号に「精文館と児童誌『カシコイ』を探して」を寄稿。

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