web岩波 たねをまく

岩波書店のWEBマガジン「たねをまく」

MENU

レベッカ・ソルニット それを、真の名で呼ぶならば

気候変動は暴力だ〈それを、真の名で呼ぶならば〉

Climate Change Is Violence(2014)

  貧しい者が誰かを傷つけるとしたら、自分の手かナイフ、棍棒を使うといった古く伝統的な――職人的暴力とでも呼ぶべき方法しかない。あるいは、現代的な実践の暴力なら、銃か車が武器になるかもしれない。

 しかし、極めて裕福な者であれば、自分は直接には手をくださずに、工業的規模の暴力を振るうことが可能になる。たとえば、バングラデシュに労働搾取工場(スウェットショップ・ファクトリー)を作ってそれが崩れ落ちたら、リスクと利益を計算したうえで毒が入った製品や安全ではない製品を世界中にばらまいたら(企業はしょっちゅうやっていることだ)、自分で直接に人を殺した連続殺人犯の誰よりも多くの人を殺せる。国家の首脳であれば、宣戦布告することで、何百人、何千人、何百万人も殺すことができる。アメリカやロシアといった核保有超大国は、いまだに地球上の多くの命を破滅させる選択権を持っている。石炭、石油、天然ガスといった化石燃料で巨額の富を得ている「カーボン男爵〔化石燃料の発掘から精製、マーケティングや販売を通じて巨額の利益を享受しているコングロマリット〕」らもそうだ。

 それなのに、わたしたちが暴力について語るときは、ほとんどいつも下からの暴力のことであり、上からのものではない。ある気候変動対策運動のグループから「科学者らが、気候変動と暴力の増加の間に直接的関連があることを発見した」というプレスリリースを受け取ったとき、わたしはそう思った。〔イギリスの学術雑誌〕『ネイチャー』のなかではさほど報道価値がない記事で、科学者が実際のところ書いていたのは、「エルニーニョが発生する年には、熱帯地域で起こる紛争の数が多い。ということは、気候変動のこの時代は、たぶん内戦や国際紛争の時代になるだろう」ということだった。

 このプレスリリースが伝えるメッセージは、地球の温暖化が進む時代には、大衆のふるまいが悪くなるだろうということだ。それはまったくもって理にかなっているように感じる。しかし、気候変動そのものが暴力であるという前提に戻ったらどうだろう。極度で、身の毛がよだつ、長期で、広範囲にわたる暴力だと。

 気候変動は、人間が引き起こしたほかのどんな大きなものごとよりも、人類が原因のものである。気候変動の結果として、海の酸化が起こり、そこに住む多くの種が減少し、モルディブのような群島国家が消滅し、異常気象がじょじょに増え、洪水や干ばつが起こり、作物の不作で食料価格が上昇し、飢饉が起こることを、わたしたちは知っている(ヒューストン、ニューヨーク、プエルトリコを襲った最近のハリケーン、カリフォルニアやオーストラリアの山火事、フィリピンを襲った台風、何千人もの単位で老人を殺している酷暑と熱波を考えればわかる)。

 気候変動は暴力なのだ。

 気候変動と暴力について語るのであれば、暴力としての気候変動について語ろう。生存がかかっている資源の破壊に対して大衆が不穏な反応をするかどうか心配するよりも、破壊そのものと、人類の生存そのものを心配しよう。作物の不作、水不足、洪水は、すでに起きているし、これからもつづくし、大規模な人口移動や気候による難民を作り出し、それが紛争を引き起こすだろう。そうした紛争は、いま、すでに始まってもいる。

 アフリカ大陸北部と中東の指導者らを入れ替えた一連の蜂起、「アラブの春」も、引き金になったひとつが小麦価格の上昇であったことを考えると、いくらかは気候変動による紛争とみなすことができる。あの人たちがそもそも飢えていなかったらどんなによかっただろう、と考えることもできる。だが、そのいっぽうで、生命の維持に必要な食料や希望を剝奪されていることに対して人びとが立ち上がったのは、素晴らしいことだと言えないだろうか。そこで考えねばならないのは、飢えを生み出しているしくみだ。たとえばエジプトのような国での巨大な経済不均衡と、人びとを社会制度の下層階級に抑え込んでおくための残虐行為、そして気候である。

 人びとは生活が耐え難くなったときに反乱を起こす。ときに干ばつ、疫病、嵐、洪水といった重大事が、その耐え難さを作り上げる。けれども、食料と医療、健康と安寧、住居と教育へのアクセスといったものは、経済的手段や政府の政策にも支配されている。気候変動は食料の生産を不安定にし、食料品の価格を上げ、飢餓を増加させる。だが、その前からすでに地球上の広範囲に飢餓は存在し、その原因のほとんどは、自然や農民のせいではなく配分なのだ。米農務省によると、アメリカ合衆国で現在一六〇〇万人近い子どもたちが飢えている。それは、農業が盛んで広大な面積に恵まれたアメリカが、国民全員をまかなう食料を生産できないからではない。わたしたちの国は、分配システムそのものが一種の暴力である国なのだ。

 気候変動が突然に不平等な分配の時代をもたらすわけではない。人びとが将来革命を起こすとしたら、過去と同じ理由、つまりシステムの不公平さに対してだろう。彼らは革命を起こすべきだし、それが必要な状況は喜ばしくないにせよ、わたしたちは革命を喜ぶべきだ。フランス革命のきっかけのひとつは、パンの価格が高騰して貧しい人びとが飢えた、一七八八年の小麦の凶作だった。このような出来事に対する防護手段として、しばしば独裁主義の強化や貧しい者へのさらなる脅迫が用いられるが、それは沸騰して吹きこぼれている鍋に蓋をしようとするようなものだ。もうひとつの選択(オルタナティヴ)は、火を弱めることである。

 気候変動と暴力に関する検討不足のプレスリリースを受け取ったのと同じ週、エクソンモービル社が方針報告書を公表した。ドライなビジネス用語から彼らが利益のために行なうことの結果を思い描けないかぎりは、退屈な読み物である。エクソンは「わが社のすべての炭化水素鉱床は、現在も今後も『取り残される』ことはないという自信があります。我々は、これらの資源を生産するのは、全世界の増加するエネルギー需要に応えるためにも必要不可欠だと確信しています」と書いていた。

 「取り残された資源」とは、地下にまだ残っている石炭、石油、天然ガスなど近未来中に採掘して燃やすことを決めないと無価値になってしまう化石燃料資源のことだ。科学者たちは、極端なレベルではなくもっとマイルドな気候変動にとどめておくつもりであれば、現在、判明している地下の化石燃料鉱床のほぼすべてを、そのままにしておく必要があると提言している。マイルドなバージョンの気候変動であれば、数えきれないほど多くの人びとや生物の種や土地が生き残ることができる。最良の筋書きであれば、地球のダメージは少なくてすむ。現在、わたしたちは、地球をどれだけ荒廃させるか〔その程度〕を口論しているところなのだ。

 わたしたちが着目しなければならないのは、さほど力を持たない者による直接的な暴力だけではなく、産業規模の構造的な暴力なのだ。気候変動に関しては、これはことに真実だ。エクソンは、わたしたちには企業が持つ鉱床を地下にとどまらせておく力はないというほうに賭けると決め、迅速かつ暴力的で意図的な地球の破壊から利益を得つづけると出資者たちを安心させているのだ。

 「地球の破壊」というのはありきたりすぎるフレーズだが、それを飢えた子どもの顔や荒れ果てた土地に置き換え、それを何百万倍にしてみよう。あるいは、いままさに酸化している海で貝殻を作ることができなくなっている帆立貝、牡蠣、北極の巻き貝などの軟体動物の写真に。あるいは、次に都市を引き裂く新たな大型の嵐にも。土地や生物に対してと同じく人間に対しても、気候変動は世界規模の暴力なのだ。そのものを真の名で呼ぶことにより、わたしたちはようやく優先すべきことや価値について本当の対話を始めることができる。なぜなら、蛮行に抵抗する革命は、蛮行を隠す言葉に抵抗する革命から始まるのだから。

 

Rebecca Solnit, Call them by Their True Names: American Crisis (and Essays)
(Chicago: Haymarket Books, 2018)
Copyright©2018 by Rebecca Solnit
Reproduced by permission.

タグ

バックナンバー

著者略歴

  1. レベッカ・ソルニット

    (Rebecca Solnit)
    1961年生まれ。作家、歴史家、アクティヴィスト。カルフォルニアに育ち、環境問題や人権、反戦などの政治運動に参加、1988年より文筆活動を開始する。写真家のエドワード・マイブリッジ伝“River of Shadows”により、2004年、全米批評家協会賞を受賞。2008年にソルニットが発表したエッセイをきっかけに、「マンスプレイニング」(Mansplaining)という語が欧米で一気に普及し、そのエッセイをもとにした“Men Explain Things to Me”(『説教したがる男たち』)は世界的なベストセラーとなった。20冊以上の著書があり、近年、日本でも注目が高まっている。日本語版が刊行されている著書に、『暗闇のなかの希望』(井上利男訳、七つ森書館)、『災害ユートピア』(高月園子訳、亜紀書房)、『ウォークス』(東辻賢治郎訳、左右社)、『説教したがる男たち』(ハーン小路恭子訳、左右社)、『迷うことについて』(東辻賢治郎訳、左右社)がある。

関連書籍

お知らせ

10年ぶりの改訂!『広辞苑 第七版』

広辞苑 第七版(普通版)

広辞苑 第七版(普通版)

詳しくはこちら

ランキング

閉じる