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レベッカ・ソルニット それを、真の名で呼ぶならば

まえがき――政治とアメリカの言語〈それを、真の名で呼ぶならば〉

FOREWORD : Politics and the American Language

 アールネ-トンプソンによる昔話の分類のひとつに、「謎めいた、あるいは威嚇的な援助者を、主人公が名前を知ることで打ち負かす」という型がある〔アンティ・アールネとスティス・トンプソンが昔話の型を分類した、通称「アールネ-トンプソン・タイプインデックス」(AT番号)の500番〕。遠い昔の人びとは名前に強い力があることを知っていた。現在でもそれを知っている人はいる。ものごとを真(まこと)の名で呼ぶことは、言い訳をし、ぼかし、濁乱させ、偽装し、逃げるため、あるいは、怠慢や、無関心や、無自覚を促すためにつかれた嘘を、切り裂く。それだけでは世界を変えるのに十分ではないが、真の名前を呼ぶことは、重要な工程なのだ。
 
 課題が深刻なものである場合、それを名づける行為は「診断」だとわたしは考える。診断名がついた病のすべてが治癒可能というわけではないが、何に立ち向かっているのかをいったん理解できれば、それにどう対処するべきかがはるかにわかりやすくなる。このはじめの一歩があってこそ、〔医学の〕研究成果、援助の方法、効果的な治療法と同様に、疾患を見直す可能性とそれが意味するものを知ることができる。一度、疾患に名前をつければ、同じ病に苦しんでいる人たちのコミュニティとつながることができるし、なければ自分で作ることもできる。そして、ときには診断名がついたものを治癒することも可能だ。
 
 ものごとに名前をつけるのは、解放(リヴェレーション)の過程の第一歩だ。〔グリム童話に登場する小人の〕ルンペルシュティルツヒェンは、自分の真の名を当てられて激昂し、自分を引き裂いてしまう。そのおかげでヒロインは小人の脅迫から自由になる。おとぎ話は魔法をかけられる話だと思われているが、実際には魔法を解くことが目的であることが多い。呪いや幻覚、あるいは、言葉が話せなくなったり、もととは似ても似つかぬ姿になったり、人間ではない生きものになったりという変身を打ち破るという目的だ。政治家や権力をもつ指導者らが秘密裏にやったことを名づけることが、辞任や権力の交代を導くというのは、よくあることだ。
 
 ものごとに真の名前をつけることは、どんな蛮行や腐敗があるのか――または、何が重要で可能であるのか――を、さらけ出すことである。そして、ストーリーや名前を変え、新しい名前や言葉やフレーズを考案して普及させることは、世界を変える作業の鍵となる。解放のプロジェクトには、新しい言葉を作り出すか、それまで知られていなかった言葉をもっとよく使われるようにすることが含まれている。たとえば、わたしたちは、いまでは「ノーマライゼーション」、「採取/搾取主義(エクストラクティヴィズム)〔資源を取り出し付加価値をつけて輸出する経済活動を指す語〕、「燃やせない炭素(アンバーナブルカーボン)〔企業が所有しているが消費できない埋蔵されたままの化石燃料〕、「ウォーキング・ワイル・ブラック」〔黒人は歩いているだけで犯罪者扱いされることを指す語〕、「ガスライティング」〔被害者が自分の正気を疑うようになる心理的虐待〕、「刑務所産業複合体」、「新ジム・クロウ法」〔1964年までアメリカの南部の州に存在した黒人差別の法体系であるジム・クロウ法のように、未だに黒人が体系的に差別されていることを示す語〕、「肯定的同意(アファーマティヴ・コンセント)〔性的行為に必要な当事者同士の意識的かつ自発的な同意を表わす語〕、「シスジェンダー」〔生まれたときに診断された身体的性別と自分の性同一性が一致している人を指す語〕、「懸念荒らし屋(コンサーン・トローリング)〔その問題に関心があるふりをしながらコメントで荒らしをする行為や人〕、「ホワットアバウティズム(そっちこそどうなんだ主義)〔直接疑問に答えずに話題をそらす論法〕、「マノスフェア」〔反フェミニズムの男性中心の環境をいう語〕など、ほかにももっと多くの新しい言葉を使うようになっている。
 
 このプロセスは両刃(もろは)の剣(つるぎ)である。「家族再統合」〔合法的移民が家族をアメリカに呼び寄せられること〕という良い響きがある表現を、トランプ政権が不吉で伝染性があるかのような「連鎖的移住」と呼び換えたことについて考えてみよう。2代目ブッシュ政権が拷問のことを「強化された尋問」と言い換え、その尻馬に乗った報道がいかに多かったかも。そして、クリントン政権の「21世紀への架け橋」は、テクノロジーがもたらす素晴らしい未来を祝うふりをして、19世紀のような経済格差や「泥棒男爵」のような悪徳資本家を生み出すのを隠蔽する不誠実なフレーズだったことや、ロナルド・レーガンが、福祉を不当に利用する欲深い架空の存在「ウェルフェア・クイーン(福祉女王)」を紹介し、そのために蔓延している貧困の事実が無視され、貧困層の援助削減が正当化されたことも。
 
 嘘をつく方法は数え切れないほどある。人は、影響を受けるすべての領域を無視したり、重要な情報を除外したり、原因と結果を引き離したりすることで、嘘をつくことができる。情報を改ざんしたり、歪めたり、不均衡にしたりすることでも嘘をつける。あるいは、暴力に婉曲的な表現を使ったり、合法的な行動を中傷したりすることでも。たとえば、白人の子どもなら「たむろしている(ハンギング・アウト)」と表現される行動なのに、同じことをしている黒人の子どもには「ごろついている(ロイタリング)」」や「こそこそ潜んでいる(ラーキング)」といった表現を使うというようなことがそうだ。言葉は、事実を消したり、歪めたり、間違った方向を指し示したり、おとりや注意をそらすものを使って人を混乱させる。言葉で死体を埋めることもできるし、それを掘り起こすこともできる。
 
 人は、企業が雇った「スピンドクター」〔情報操作に熟練し、世論を誘導する技術をもつ人物〕を気候変動の専門家である圧倒的主流派の科学者と同等に扱って、気候危機のデータには2つの側面があるふりをすることもできる。この国がジェンダー・バイオレンス〔夫婦や恋人など親しい関係における暴力〕に対してずっとやってきたように、点と点をつなぐことを避けることもできる。そうすれば、度を超したレベルのドメスティック・バイオレンスや女性に対する性暴力は、それぞれがまったく無関係の、多く存在するちっぽけな未報告のストーリーになる。犠牲者を責めるかストーリーを書き換えれば、女性は慢性的に攻撃されているのではなく、慢性的に不誠実で妄想的だということにできる。なぜなら、女性が慢性的に不誠実で妄想的であれば、これまでどおりでいられるが、慢性的に攻撃されているのが事実だとなると、現状維持ができなくなるからだ。これは、解体はときに建設的だということを思い出させてくれる。「生意気」、「キーキーうるさい」、「ふしだら」、「ヒステリック」といった女性をこき下ろすための言葉はとても多いが、これらが男性に対して使われることはほとんどない。「アピティ」〔主に黒人に対して使われる。図々しいという意味〕や「エキゾチック」〔主にアジアや中東系の人種に対して使われる〕という言葉に、人種差別的な含みがあるのも同様だろう。
 
 人は、対立がないところに対立をでっち上げることもできる――「階級対アイデンティティ・ポリティクス」という表現は、わたしたち全員が〔階級とアイデンティティの〕どちらももちあわせているということや、労働者階級と呼ばれる人の大多数が女性や有色人種だということを無視している。オキュパイ・ウォール・ストリート(ウォール街を占拠せよ)運動の「我々は99%だ」というスローガンは、国民をいくつもの階層に分類する必要がない社会の展望を主張するものだったが、そこには、すでに主流の語彙として定着している〔限られた富裕層である〕「1%」に属する人びとのほうが、残りの国民全部を敵にして闘ってきたのだという含みがある。
 
 対象が個人であれ地球そのものであれ、語りかける相手や扱う問題への敬意として、精密さ、正確さ、明瞭性は重要だ。歴史的な記録に対する敬意としても。それはある種の自尊心でもある。多くの伝統的な文化では、人の価値は自分が言った言葉を守るかどうかで決まる。サパティスタ民族解放軍のマルコス副司令官のエッセイ集に『我々の言葉は、我々の武器だ(Our Word Is Our Weapon)』というタイトルのものがあった。もし、あなたの語る言葉が、信頼性がなく、ゴミで、嘘で、使い捨ての売り口上だったとしたら、あなたそのものが取るに足らぬ者ということなのだ。つまり、「オオカミが来た」と嘘をついた少年であり、ただのお喋りであり、ごまかし野郎ということなのだ。
 
 すくなくとも、かつてはそうだった。だからこそ、現時点での危機のひとつは言語的なものなのだ。言葉は曖昧な意図のぬかるみへと退廃する。シリコンバレーは、「シェアリングエコノミー」、「ディスラプション」、「コネクティビティ」、「オープンネス」といったフレーズの数々に飛びついて上辺を飾り、自分たちのアジェンダを押し付ける。それらを「監視資本主義(サーヴェイランス・キャピタリズム)」といった用語が押し返す。現在の大統領の、まわりくどく、ろれつが回らない、意味不明の言葉のサラダや、たとえ昨日と今日で言うことが異なっても彼がそうだと言えば真実であり事実だという主張といった言葉の暴力は、言語そのものに対する暴力だ。いかなるものを提供しようが、現大統領が提供するものは常に無意味なのだ。
 
 人生の意味の探求は、人生をどう生きるのかにかかっているが、同時に、それをどう言葉で述べるのか、また、自分のまわりにほかに何が存在しているのかにもかかっている。本書に収めたエッセイのひとつに、わたしは、「そのものを真の名で呼ぶことにより、わたしたちはようやく優先すべきことや価値について本当の対話を始めることができる。なぜなら、蛮行に抵抗する革命は、蛮行を隠す言葉に抵抗する革命から始まるのだから」と書いた。
 
 「勇気づける」の意味は、文字通り、勇気を植えつけることだ。「崩壊(ディスインテグレーション)」は、統合(インテグリティ)や完全性(インテグレーション)が失われることである。言語に関して注意深く、正確であることは、意味の崩壊に対抗し、希望と展望を植えつけるべき愛すべきコミュニティとの対話を勇気づけるひとつの手段である。本書に収めたエッセイでわたしが試みたのは、ものごとを真の名で呼ぶことなのだ。

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著者略歴

  1. レベッカ・ソルニット

    (Rebecca Solnit)
    1961年生まれ。作家、歴史家、アクティヴィスト。カルフォルニアに育ち、環境問題や人権、反戦などの政治運動に参加、1988年より文筆活動を開始する。写真家のエドワード・マイブリッジ伝“River of Shadows”により、2004年、全米批評家協会賞を受賞。2008年にソルニットが発表したエッセイをきっかけに、「マンスプレイニング」(Mansplaining)という語が欧米で一気に普及し、そのエッセイをもとにした“Men Explain Things to Me”(『説教したがる男たち』)は世界的なベストセラーとなった。20冊以上の著書があり、近年、日本でも注目が高まっている。日本語版が刊行されている著書に、『暗闇のなかの希望』(井上利男訳、七つ森書館)、『災害ユートピア』(高月園子訳、亜紀書房)、『ウォークス』(東辻賢治郎訳、左右社)、『説教したがる男たち』(ハーン小路恭子訳、左右社)、『迷うことについて』(東辻賢治郎訳、左右社)がある。

  2. 渡辺由佳里

    エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家、マーケティング・ストラテジー会社共同経営者。書評ブログサイト『洋書ファンクラブ』主宰。兵庫県出身。職歴は助産師、日本語学校のコーディネーター、広告代理店アカウントマネージャー、外資系企業のプロダクトマネージャーなど。1993年にアメリカ人の夫の転勤で香港に移住し1995年よりアメリカのボストン近郊在住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。著書に『ジャンル別 洋書ベスト500』(コスモピア)、『どうせなら、楽しく生きよう』(飛鳥新社)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)等が、訳書に『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社)、『毒味師イレーナ』(ハーパーコリンズ・ジャパン)等がある。『ニューズウィーク日本版オフィシャルサイト』で洋書レビューエッセイとアメリカ大統領選レポートの連載を、CakesとFindersで時評を連載。

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