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ゆれるおっぱい、ふくらむおっぱい 

食べさせるおっぱい、見られるおっぱい、踏みつけられるおっぱい(イ・ラヨン/呉明熙訳)

『ゆれるおっぱい、ふくらむおっぱいーー乳房の図像と記憶』韓国版
『성스러운 유방사 어떻게 가슴은 여성의 얼굴이 되었는가?』
(せい(聖/性)なる乳房史 乳房はどうやって女性の“顔”になったのか?)
 
解題「食べさせるおっぱい、見られるおっぱい、踏みつけられるおっぱい」
イ・ラヨン/呉明熙訳
 

 ある温泉の風呂場でのできごとだった。お湯が熱かったので、湯船に体を完全にはつけず、足だけをお湯の中に入れて、坐っていた。隣にいたおばあさんが私をじっと見つめて、「いい夫に会える乳首だね」と言う。彼女の眼差しは、私の胸にとどまっていた。思いもかけない発言を耳にした私は、返すことばもなく、ただ、おばあさんを見つめるだけだった。彼女の声がお風呂場で、なぜかより鮮明に響きわたるようだった。湯船のむこうがわに坐っていた二人のおばあさんが、たちまち人魚のように素早く水をかき分けて、私の前に近づいてきた。

 「どんな乳首が、いい夫に会える乳首なの?」

 「乳首が上に向いていると、いい夫に会えるんだって」

 「そうなの」

 女湯の湯船の中で、女たちはいっせいに自分のおっぱいを見ながら、乳首について品評を始めた。「どうなの? 実際のところ、いい夫に会えたの?」と、おばあさんが私に尋ねた。残念ながら、当時、結婚していなかった私は、乳首といい夫との出会いの相関関係を立証する答えが出せなかった。この会話の最後はこのように終わった。

 「いい夫に会えるってことは、たいして特別なことではない。妻に心配をかけない夫こそ最高だよ」

 湯船につかっていたみんなが同意し、彼女たちは再び人魚のように水をかき分けて元の場所に戻った。

 女性の胸が性体験の有無と再生産能力を検証する差別的な対象になるという事実は知っていたが、「いい夫に会える」かどうかまで見通せる、シャーマン的な役割をするとは知らなかった。女性の胸は「誰」のものだろうか。20代後半、約2年間、定期的にある病院の乳房センターに通っていた。脇にしこりができたので、超音波検査を受けていたのである。2年間の経過観察をした結果、大きな問題はなさそうなので、もう来なくてもいいと言われた。そのとき、医者に印象的な言葉を言われた。

「胸を切開して組織検査をしたら、原因が正確にわかるが、あなたはまだ結婚していないので、わざわざ切開する必要はない」というのだ。幸い何の問題もなかったが、本当に不思議だった。私の身体を検査するのに、どうして私の結婚の有無が関わるのだろうか。

 日常生活から医学的なはなしまで、女性の身体は「何」であり、「何者」なのかという疑問がいつもつきまとう。胸は標準語だけでも「チョッ(젓)」「カスム(가슴)」「チョッカスム(젓가슴)」「ユバン(유방)」など、呼び方がとても多様である。これはその機能と意味が多様であるという意味でもある。チョッコッジ(젓꼭지)〔「乳首」の純粋な韓国語の語彙〕は、ユドゥ(유두)〔「乳首」の漢字音〕以外に、遠回しにB.P(breast point)とも呼ばれる。からかいの対象、保護されなければならない身体、エロスの対象、女らしさの象徴、母性的な器官などとしての女性の胸。女性の胸ではなく、人間の胸として接近した場合、違う観点が見えてくる。どうして男性の乳首や胸に接する態度は、女性のそれとは異なるのか。

 こんにち、胸に関する我々の想像は、もっと偏っているかもしれない。乳房を女性の身体としてのみ認識し、この身体の器官を母性とエロスという二つの世界を見せてくれるシンボルとして位置付けている。韓国人の乳房に関する認識が、文化的にどのように変化したのかについては、明確に整理することが難しい。5-6世紀の新羅時代の夫婦の土偶を見ると、女性の胸に丸い塊をつけて乳房を表現している。しかし、8-9世紀、統一新羅の「石造夫婦彫刻装飾館」を見ると、彫刻は女性と男性の身体の特徴を区別していない。乳房はかならずしも、女性と男性を区別するシンボルであるとはかぎらなかったのである。

 2018年、日本で出版された『ゆれるおっぱい、ふくらむおっぱい』は、いわゆるハイカルチャーから下位の文化までを含めて、日本、中国、ロシアとヨーロッパの一部の「おっぱい文化」を研究した、とてもうれしい本である。本書には、韓国の事例がまったくなかったため、解題を通して少しではあるが韓国の事例を加えたい。

母の胸――民族と家族の象徴

 韓国美術において、女性の胸が重要な役割を果たすケースは、母子像に見いだすことができる。韓国では、母子像は、20世紀以降、本格的に現れる。同じ時期、中国でも母子像が政治的な理由で新たな美術形式として登場する。東アジアにおいて、近代以降に現れた母子像は、母性イデオロギーをさらに強調するための道具だった。

 まだ人物画より山水画が主流だった1914年、蔡龍臣(チェ・ヨンシン)「雲娘子像」は、当時では珍しい母子像の形式だった。社会的に子どもに対する関心が高まるとともに、子どもを育てる女性の役割に対する関心も広まった。「雲娘子像」は、ハンボク(韓服)〔韓国の伝統衣装〕をきれいに着た女性が裸の子どもを抱いて立っている姿を描いた絵画だ。女性のチョゴリとチマ〔チョゴリはハンボクの上着、チマはハンボクのスカート〕の間から胸が見える。日本の抑圧が激しくなるにつれ、母子像も増えていく。当時、母子像は、植民地支配下において、女性の性的な役割を一層強調するとともに、民族的な結束を示すイメージでもあった。

 母子像ではないが、李仁星(イ・インソン)の1934年作「秋 ある日」に言及する必要がある。この作品は、当時朝鮮美術界の話題だった「朝鮮の郷土色」を具現化したと評価される、李仁星の代表作である。作品の中では、一人の女性が上半身をあらわにしたまま、横向きの姿を見せながら、少女と一緒に豊かな秋の野原に立っている。胸を露出した女性の肌は、土のような茶色に日焼けしていて、安らかで自然な姿だ。この作品に関しては、相反する意見がある。上半身裸の女性の体と自然を健康的かつ平和的に表現し、「韓国の美」を描き出したという肯定的な評価がある一方、胸をあらわにしたまま自然と一体になった女性の姿は、植民地支配国側のまなざしを反映しているため、真の「朝鮮の郷土色」ではないという意見もある。どちらにせよ、一つの共通点がある。胸を露出した女性の体が原始的な自然を表現する手段になったことである。

 朝鮮戦争を起点に、母性を強調する絵画は、さらに増加した。時代の状況ゆえに、いかなる困難に置かれても、最後まで子どもに食べさせる、犠牲的で強い母のイメージが好まれた。戦争によって血縁を失った喪失感を表現しようとする者たちは、母とそのおっぱいを吸っている息子のイメージにこだわった。

 林群鴻(イム・クンホン)「母子」、邊永園(ビョン・ヨンウォン)「母子」、梁達錫(ヤン・タツソク)「母情」、金斗煥(キム・トゥファン)「野戦病院」、韓黙(ハン・ムク)「母子像」、沈竹子(シム・チュクジャ)「母と二人の子供」、金貞姫(キム・ジョンヒ)「母子像」などが、この時期に制作された絵画である。これらの母子像で母の胸は核心的な役割を果たしている。絵の中の子どもはほとんど母の懐に抱かれ、母のおっぱいを触ったり、吸ったりしている。そうでなければ、母は片方の胸を露出した姿である。胸は、子供が母のお腹から出た後でも母体と繋がる命綱である。60年代以降にも、崔栄林(チェ・ヨンリム)「母と子ども」をはじめ、70年代には、朴恒燮(パク・ハンソプ)「母子像」、安判明(アン・パンミョンヒ)「母情」、田礌鎮(チョン・ルェジン)の彫刻「母子像」、そして民衆美術で呉潤(オ・ユン)「母子像」などに続き、母のおっぱいはとても重要な役割を果たしている。

 このように母のおっぱいは、強い生命力、献身、血の持続、家族のつながり、さらに民族の団結を表象している。これに反して、亡くなった母のおっぱいを吸っている姿は、脆弱な生命の壮絶な苦痛を示している。短編小説『運の良い日』〔玄鎮健著、1924年〕で、キム・チョムジは家に入る瞬間、不吉な沈黙の中でおっぱいを吸う音を耳にする。この時、「ゴックン、ゴックンとおっぱいが喉を通る音が聞こえなかったので、空っぽのおっぱいを吸っていると推測できるかもしれない」と述べている。「空っぽのおっぱい」とは、女性の死を象徴する。これ以上、子どもに与えるものがない「空っぽのおっぱい」は、生命の断絶を意味する。チェジュ(済州)四・三事件を描いた姜堯培(カン・ヨベ)の絵画「乳飲み子」は、この「空っぽのおっぱい」を吸っている子どもの姿を視覚化した。道端に倒れて死んでいる母の胸をはだけておっぱいを吸っている子どもがいる。生命を育まなければならない母のおっぱいが循環を止めて空っぽになった瞬間は、このように飢餓、虐待など、人生の悲惨さを伝える。

誘惑する胸

 18世紀に描かれた作者未詳の絵画「美人図」を見ると、女性は胸を布できつく縛っている。チョゴリは短いが、乳房の形は露わになっていない。その代わりに、腕を持ち上げて脇の肌を少し見せている。長くて幅の広いチマで、下半身を豊かに見せる。申潤福(シン・ユンボク)の「美人図」にもまた類似の服飾が見える。胸は平らだが、膨らんだチマの下からボソン〔韓国の足袋〕を履いた片方の足がそっと見える。西洋に女性の胸のボリューム感を強調するファッションがあったとして、韓国や中国、日本の場合は、大抵女性の上半身の曲線を表に出さないファッションであった。その代わりに、うなじのラインや足首をそっと見せる。

 ファッションは次第に変わっていき、18世紀からはチョゴリの長さが確実に短くなる。先ほど言及した「美人図」では胸が隠されていたが、次第に胸を露出した女性が描かれるようになる。士大夫階級の旦那を持つ女性は事情が異なるが、申潤福「市場で」では、頭に魚を載せている女性が胸を露出させた服を着ている。手のひら一つ分の丈しかない、とても短いチョゴリとお尻を豊満に見せる幅が広いチマは、18-19世紀の流行だった。18世紀末、朴齊家(パク・ジェガ)が著した『北学議』には、女性のファッションについての嘆きが書かれている。

チョゴリは日々短くなり、チマは日々長くなる。こんな姿をして祭祀膳〔祖先を祀る儀式に用いる膳〕の前やお客さんの間を行き来するとは、とても嘆かわしいことではないか。

 そのころ流行していたファッションではあるが、男性の目には依然として整粛なファッションとして認識されなかったことがわかる。19世紀の作者未詳の「美人図」では、短いチョゴリの前面から胸が露出し、乳首までそのまま見える。やはり片腕を上げるとチョゴリが持ち上がり、おっぱいの肉がよく見えるように作られている。

 日本、中国と同様に、韓国も近代以降、女性の身体をエロス化する方法が変わっていく。朝鮮の後期には、主に出産を経験した女性の胸を露出した。乳房は、エロスよりは母性の象徴であった。近代以降、西洋の衣服と西洋裸体画の影響を受け、平面的なおっぱいではなく、豊満なおっぱい、「エロティックなおっぱい」への関心が高まっていく。もちろん、それ以前に女性の乳房をエロティックな対象としてみる文化が全くなかったわけではない。金弘道(キム・ホンド)の春画集として知られる『雲雨図帖』の中では、女性の乳首を口に含んだまま性行為をしている絵が出ている。正確に言うと、乳房のエロス化は、近代以降はっきりと水面の上に浮き上がったことになる。

 西洋人のファッションは東アジアだけではなく、彼らが辿り着いた他の文化圏にも影響を及ぼした。そのことは、アメリカの原住民がヨーロッパ人の第一印象を表現した絵からも見てとることができる。ヨーロッパの女性を初めて目にしたアメリカの原住民は、くびれている腰を強調した絵でその印象を残している。その一方で、ヨーロッパ人が表現した原住民の第一印象は、胸を露出した姿が多い。胸が「セクシーな身体」として位置づけられていない文化圏においては、むしろ女性は男性同様、上半身を自然に露出していた。

 このように、近代以降、女性の乳房は再生産の道具からエロスの対象として本格的に変貌した。エロスは社会的な産物である。例えば、清代の春画では女性が何も羽織らず、纏足に鞋だけの姿で性行為をする絵画が非常に多い。当時の女性の足は、最も秘すべき「主要な部位」だったため、裸の女性が足だけを隠した時、却ってもっと性的な刺激を与えることができたからである。

ソルリの「ノーブラ」が示している問題

 60年代アメリカで「ブラジャーを燃やすこと〔Bra Burningのこと〕」が女性にとって一つの運動だったように、乳房を巡る歴史を探ってみても、社会における女性の身体の置かれた位置がわかる。女性の乳房は、母としてのおっぱいと、誘惑するおっぱいに分けられているが、両方ともに男性の視覚から対象化された女性の身体という共通点がある。21世紀の女性もいまだにブラジャーを論争のテーブルの上に出している。

 数年前から歌手であるソルリ〔韓国の女優、歌手。アイドルグループf(X)の元メンバー。しばしばSNSにノーブラの写真を掲載し、議論を巻き起こした。2019年10月14日死亡〕が「ノーブラ」姿の写真をSNSに載せ、議論となった。2012年「ナッコムス」〔ナヌン コムスダの略。政治問題を語る韓国のポッドキャスト〕のビキニ応援〔当時、ナッコムスのキャスターの一人が収監され、彼を激励するために、ある女性リスナーが自分のビキニ姿の写真を監獄に差し入れたこと〕を激励しながらゲラゲラ笑っている集団とソルリのノーブラを非難する集団には、事実上、大きな差はない。むしろ彼らは広い意味では同じ集団である。男性を応援するおっぱいと、男性の視線を気にせず、自ら気楽になった乳首を眺める二重の視線である。

 映画祭の授賞式で、女優はしばしば「破格な露出」で話題になる。しかし、いくら「破格な露出」とはいえ、きちんと乳首を隠す。乳首が見えたら、これは事故として扱われる。ノーブラに対する反感は、正確には乳首に向かう。脇毛とともに乳首は女性がいくら扇情的な服装をしても、あらわにしてはいけない身体の部分である。20世紀後半、ミニスカートを履いて脚を露出した女性は、今は脇毛や乳首の社会的な位置を巡り議論中である。

 女性のおっぱいは多様な形で攻撃を受ける。慰安婦少女像の胸にわいせつな行為をした事件もあった。女性の彫刻像さえも胸が威嚇される。光州民主化運動の当時、女性が経験した暴力は、男性に対する暴力とは異なっていた。大刀で胸をめった刺しにした暴力に関する証言と証拠資料がある。戦争で女性の身体を傷つける方法と同様である。殉教した女性聖人の絵に乳房をえぐった場面が見えるように、女性の胸は虐殺の歴史において、さらに集中的に攻撃を受けた。胸に対する暴力も記録されなければならない。

 ハン・ガンの小説『菜食主義者』の中で、主人公のヨンヘは「信じるのは私の胸だけ」といいながら、ブラジャーをつけない。人間の手と足、三寸の舌などは、すべて他人を攻撃できる武器になるが、胸だけは誰にも危害を加えないんだ、と。そうだ。人間の体の中で、他人を攻撃しないものは、本当に胸だけだ。傷つけられることはあっても、誰も攻撃しない。その胸が、いちばん気楽でいられる状態にしておこう。

 

*原文には言及されている絵画の図版の掲載やリンク先の紹介はありませんでしたが、訳者の呉明熙さんの尽力により、公的なサイトで見ることができる作品については、日本語訳のウェブへの掲載に際し、リンクを付しました。

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