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3.11を心に刻んで

添田孝史〈3.11を心に刻んで〉

「水入らないんですもの。水入らないということは、ただ溶けていくだけですから、燃料が」
「放射性物質が全部出て、まき散らしてしまうわけですから、我々のイメージは東日本壊滅ですよ」
*  *
大地震の3日後、2011年3月14日の夜。東京電力福島第一原発2号機は絶体絶命の窮地に陥っていた。 
 1号機、3号機は建屋上部がすでに爆発していたが、2号機はそれよりさらに悪い事態を引き起こしそうだった。圧が下がらず、水が入らなかったのだ。建屋より重要な格納容器そのものが吹っ飛んでしまう恐れがあった。その場合、政府が描いた最悪シナリオでは、首都圏の大部分まで含む半径250キロで約5000万人が避難する事態に進展することが予測された。「これは空想ではない。紙一重で現実となった話なのだ」(菅直人『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』)。
 「東日本壊滅」に至らなかったのは、現場の努力だけでなく偶然の要素が大きかった。格納容器に穴は開いたものの、バラバラに爆発はしなかった。さらに、4号機には工事の遅れのため大量の水が貯めてあり、それが地震の揺れで核燃料プールに勝手に流れ込んで冷やしてくれるなどの幸運が重なった。
 ところが、その危機感は、すっかり忘れ去られてしまったようだ。東電は、事故は想定外だったと主張し、賠償を渋り続けている。実際には、事故の3年前に、東北電力は大津波を予測した報告書を完成させていた。しかし、それが公表されると福島第一の運転継続が難しくなるため、東電は圧力をかけて書き換えさせた。その決定を下した東電社内会議(2008年11月13日)のトップは、当時の社内メールによると吉田氏だったとみられている。彼は想定潰しの責任者でもあったのだ。報告書改ざんの事実は2019年に東電幹部の刑事裁判でようやく明るみになった。その隠蔽に、原子力安全・保安院も手を貸していた。
 2013年に亡くなった吉田所長も、原発が日本を危機に陥れた事実、経緯を歴史から消し去ってしまうことを望んではいなかったと思う。正直に事故を検証することさえできない電力会社や国に、原発を再稼働させる能力や資格がないことは明らかだ。
 
(そえだ たかし・科学ジャーナリスト)

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