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アカデミアを離れてみたら

ポスドク街道11年の果てで進退窮ま……らなかった話〈アカデミアを離れてみたら〉

リレー連載 アカデミアを離れてみたら について

 

牧野崇司 (株式会社ブレインパッド)

 私の来歴を簡単に説明すると、仙台で学位を取得して以降、筑波、トロント、山形と大学を渡り歩きながら、丸11年をポスドクとして過ごしました。専門は花と虫の関係を探る「送粉生態学」という分野で、ハチに背番号をつけて追いかけたり、調査地に毎週通って花の色の組成を調べたりと、アウトドア寄りの研究生活を送っていました。それが一転、現在はデータサイエンティストとして、民間企業でオフィス勤めをしています。この「一転」の過程を、同じように悩める誰かの参考になればと思いつつ、本稿でご紹介します。

花色の研究で通い詰めたポスドク時代の調査地。よく見ると中央にニホンザルが写っています。
花色の研究で通い詰めたポスドク時代の調査地。よく見ると中央にニホンザルが写っています。

いよいよ危ないかも

 アカデミアを離れることを考え、実際に行動に移したのは、ポスドク生活11年目の冬(2016年12月末)でした。それまでアカデミア以外の選択肢には目もくれず、自身に関連しそうな分野の助教・講師・准教授の公募に応募し続けていましたが、面接に呼ばれることもほとんどなく、ポスドク時代の後半を過ごした山形での5年間は、お祈りの封筒を毎月のように受け取っていました。一方の研究生活は、山あり谷ありでしたが基本的には楽しく、大好きな山形の自然を相手に調査を行い、定期的に良い雑誌に論文を出し、自分の研究費も獲得し、圧倒的とは言えないまでも、さりとて悪くはない研究業績を積み上げていました。そうした業績と、その昔誰かから聞いた「地道に良い仕事を積み上げていればそのうちアカデミアで職に就ける」との言葉を心の支えにしながら、特に腐ることもなく楽天的に過ごしていたのですが、さまざまな理由から「いよいよ危ないかも」と思うに至りました。
 理由は大きく5つあります。1つめは、数年前と比べて関連分野の公募の数が明らかに減少し、ただでさえ厳しい競争がさらに激化しそうだったこと(予想通り、民間に転職した後も公募はどんどん少なくなっていきました)。2つめは、年齢制限の噂と、迫り来る40歳の節目です。要項には書いていないのに年齢制限を課しているという公募の噂は絶えず、すでに38歳だった私が制限を受ける可能性は高まる一方でした(こちらも後に政府が若手重視の方針を打ち出し、状況はさらに悪化することになります)。3つめは、公式にアピールできる教育経験がほとんどなかったこと。ポスドク時代の最後の2年は非常勤講師を兼任したものの、キャリアのほとんどをポスドクとして過ごしてきた私のオフィシャルな教育経験の少なさは、それからメインで出すことになるであろう准教授の公募では分が悪いものでした。4つめは、アカデミアで就職できたとして満足に研究ができるのか、という疑念です。アカデミア末期、私の所属組織では、節電のため、昼休みに事務室の電灯が消され、夜間は学生の立入制限がかかり、さらに土日はエレベーターが止まるなど、環境が悪化の一途を辿っていました。加えて、教員にかかる負担も、傍から見て考えさせられるものがありました。特に担任制度のため、不登校になってしまった学生のアパートに教授や准教授が訪問しに行く姿を見て、「時代とはいえ、そこまでしなければならないのか」と悲しくなったことを覚えています(心のケアの専門家に依頼できる体制こそ必要ではと思うことしきりです)。そして最後の5つめは、公募で不採用となる理由が見えなかったことです。分野がドンピシャだったある公募で不採用になったとき、採用された競争相手と私の業績を比べて「?」となりました。もちろん研究業績以外の何かが評価されたわけですが、それが教育歴なのか、人格なのか、わからないことには手の打ちようがありません。結果、自身が一番大事だと考えて積み上げてきた研究業績に、運命を託すのは危険だと思うに至ってしまいました。常に無職を見越して2〜3年先の蓄えを残してはいたものの、とうとうアカデミア以外の道を探すことにしたわけです。

まさかのトントン拍子

 職探しのために頼ったのは、大学院生やポスドクの就職を扱う「アカリク」というエージェントでした。じきに39歳になる高齢ポスドクを雇う企業など存在するのかと、半ばダメ元で相談のメールを送ったところ、一度面談しましょうとのお返事をもらい、帰省のタイミングを利用して東京のオフィスに立ち寄りました。山形新幹線で東京に向かう私の心は疑心暗鬼そのもので、キャリアを活かせる職に心当たりもなく、下手すれば「ないですね」と死刑宣告される可能性すらあると、悪い想像をこれでもかと膨らませて面談に臨みました。
 そんな私の心配をよそに担当者が提案してくれたのが、データサイエンティストという職業でした。「インターネット黎明期にネット関連の求人が急増したように、機械学習や統計の知識を備えた人材の需要が増えている。研究で統計を扱ってきたあなたに相応しいのでは」と、10枚近い求人票を手渡されたのです。思いもよらない職の登場と、その数に驚きました。「民間に職などないと決めつけず、専門家に相談することが大事」というのが、本稿で一番伝えたい教訓かもしれません。
 求人票を手にしてもなお半信半疑の私をよそに、年明けからトントン拍子に話が進みます。履歴書と研究業績書を作成したあと、エージェント経由で気になる企業から順に応募していったところ、1月半ばには1社から面接のお誘いが届きました。2月にはその企業の二次面接のほか、新たに2社の面接を受けることになりました。そこからさらに追加の面接を経て、3月半ばにはその3社から内定をもらうことができました。公募に落ち続けた身からすれば驚きの打率です。
 面接で主に聞かれたのは、志望動機や研究で使っているソフト・手法などでした。志望動機については、下手に取り繕うことはせず、「ネガティブに聞こえるかもしれませんが」と前置きしつつ、前項で書いた経緯をほぼ包み隠さず伝えました(もちろん「心機一転民間で頑張ろうと考えています」との心構えも伝えています!)。それから「研究とは違うがモチベーションを保てるか?」という質問もありました。面接中は(高齢ポスドクにどんな厳しい質問が飛んでくるのだろうと)内心ドキドキでしたが、どの企業も私の話を真摯に聞いてくれました。無闇に恐れる必要はないと、あの頃の私に伝えたいです。
 内定をいただいた3社のうち、一次面接から社長面接まで、終始一貫して落ち着いた雰囲気で、自分に一番合っていそうだと感じた今の会社にお世話になることに決めました。アカリクさんにはその間、不採用の場合に備えて次の候補を提示してもらったり、遠方から東京に出向く私のために3社の面接が1日にまとまるよう交渉してもらったりと、最後まで大変お世話になりました。

内定をもらい大慌てで山形から引っ越した3月末。東京ではもう桜が咲いていたのを妙に覚えています。
内定をもらい大慌てで山形から引っ越した3月末。東京ではもう桜が咲いていたのを妙に覚えています。

今の業務

 現在は、クライアント企業のデータを分析して課題解決のお手伝いをする、いわゆる受託分析を担当しています。ただ、入社から現在までにはちょっとした寄り道がありました。というのは、受託分析を担当する予定で入社したのですが、直後に別部署から退職者が出た都合で、急遽、データサイエンティストの育成を支援する部署に異動することになったのです。データを分析できる人材の育成は多くの企業が抱える問題で、私は社内外で開催される講座の講師を務めたほか、講座で使用するテキストやプログラムコードの開発、e-Learningのスライドやテスト問題の作成、さらには先方の業務に合わせたカスタマイズ研修の企画、実施にも携わりました。これまで扱ってきた生物のデータとは勝手は違いましたが、R(統計ソフト)の操作や統計の知識はそのまま活かせましたし、スライド作りや講義などにもアカデミアでの経験がとても役に立ちました。現在は当初の部署に戻り、クライアント先に常駐しながら、データ分析を通じて先方の課題解決を支援しています。
 名刺交換や電話の受け答えもままならず、世に言うビジネスマナーを知らないまま飛び込んだ民間企業は、それまでどっぷり浸かっていたアカデミアとは勝手の違うものでした。3ヶ月の試用期間で辞めることになったらどうしようと、おっかなびっくりで過ごしていましたが、上長をはじめとする周りのサポートにも恵まれ、少しずつ担当できる業務の幅を広げながら今日に至っています。

アカデミアを離れて見える世界

 収入が大幅に増え、「1年先の将来すら闇の中」の状態から解放されたことで、暮らしの質は物質的にも精神的にも劇的に向上しました。先延ばしにしていた結婚もできましたし、ずっと飼いたかった猫を飼うこともできました。いつ収入が途切れても慌てることのないよう節約に努め、貧乏学生の延長のような生活をしていたあの頃も、それはそれで楽しく過ごしていましたが、今を経験したあとであの生活に戻るかと問われれば少し考えます。
 また、転職に踏み切った理由にも書きましたが、今の大学の窮状を見ると、任期なしの職でアカデミアに戻れる機会があっても二の足を踏みそうです。もちろん研究は大好きですが、わずかばかりの研究活動と引き換えにこなすべき雑務の量を想像すると、はたしてそれで楽しく過ごせるのかは疑問です。
 そうは言っても、オフィスの窓から気持ちの良い青空が見える日は「野外で調査したい!」という衝動に駆られることも事実です。しかしその一方で「安定した今の暮らしを手放せない」と思うこともまた事実です。研究も大事でしたが、それ以外の時間も大事です。両立ってこんなにもままならないのかと思います。

研究も楽しいけれど、今の暮らしも良いものです。。
研究も楽しいけれど、今の暮らしも良いものです。

おわりに

 現在進行形で悩める方々に向けて、原稿の締めくくりにどんなメッセージを残せばよいのか、ずっと考えていました。「なんとかなりますよ」と言いたいところですが、人はそれを生存者バイアスと呼びそうです。私が路頭に迷わなかったのは、巡り合わせのよさもあることでしょう。それでも確かに言えるのは、アカデミア生活で磨かれた論理的思考や、論文執筆をはじめとする諸々の能力は、アカデミアを離れてもなお役に立つ汎用スキルだということです。ポスドクという立場でしかできない貴重な人生経験もたくさん積めましたし、いくつかの自信作を学術の世界に残すこともできました。最終的に安定した職にも就けましたし、アカデミアで過ごした時間はひとつも無駄ではなかったと、私は思います。
 以上が、ポスドクをこじらせた末に民間企業に軟着陸した私の体験談です。ほんの小さな一例ですが、大事な選択に迫られている誰かの、何かしらのヒントになることを願っています。


【まきの・たかし】

1978年生まれ。東北大学で博士(生命科学)の学位を取得後、筑波大学(日本学術振興会特別研究員PD)、トロント大学(同海外特別研究員)、山形大学(研究支援者)を渡り歩いたのち、2017年に株式会社ブレインパッドに転職。専門は花と虫の関係を探る「送粉生態学」で、蜜を集めるハチの移動経路や、植物群集の花色構成を野外で調べるほか、屋内で人工花を使ったハチの行動実験なども行った(詳しくは個人サイトを参照)。共編著に『視覚の認知生態学──生物たちが見る世界』(文一総合出版)。趣味は散歩。

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