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3.11を心に刻んで

清水奈名子〈3.11を心に刻んで〉

戦争体験と同じように、意図的に努力をして必死になって伝えていこうと思わないと、今回の原発事故についても風化していく一方だと感じる。
(栃木県北地域住民の言葉、2015年)
なぜ親は自分たちを避難させたのかを、知りたいと思った。
(3.11に関する授業の受講動機を説明した大学生の言葉、2019年)
*  *
東京電力福島第一原子力発電所での過酷事故が発生してから、2020年3月で9年となった。COVID-19と名付けられた新型コロナ・ウィルスが、世界保健機関(WHO)の事務局長によってパンデミックであると宣言されたのは、奇しくも2020年3月11日だった。毎年この時期は、東日本大震災と原発事故に想いをいたすために多くの行事が開催される。しかし今年は中止、延期を余儀なくされることになった。
 「やむを得ず中止となりました」との連絡を受けるたびに、関わっている方々の落胆した様子が思い浮かんだ。同時に、現在も続いている深刻な被害がさらに見えなくなり、語られなくなるだろうという、重たい気持ちになった。原発事故被害について普段は取り上げないメディアも、年に一度はこの話題に触れる貴重な機会が、失われてしまったからである。
 被害の風化と不可視化は、すでに多くの言葉によって語られてきた。放射能汚染の被害を受けた栃木県北地域の住民女性は、2015年当時、すでに「風化が進んでいる」と感じており、汚染を受けた地域においてこそ被害について語りにくいことを指摘したうえで、「意図的に」「必死になって」語り伝える必要性を筆者に訴えていた。データが残されず、語り伝えられない被害は、数十年経てばなかったことになってしまう。
 自らの決定的な失敗に向き合わないという日本社会が抱える問題を、原発事故後に私たちは乗り越えることができなかった。その必然的な結果として、現在のパンデミック下の混迷がある。その一方で、若者は大人たちが向き合おうとしない不都合な真実を「知りたい」と思う力をもっていると感じたのが、原発事故当時小学生であった学生が、3.11に関する授業の受講動機を語った言葉である。避難指示区域外であったものの、汚染の深刻さを知って子どもたちを避難させた両親の決断の理由を、知りたいのだという。次世代に事故とその被害の記録を残すことが、事故当時大人であった世代の、最低限の責任なのではないだろうか。
 
(しみず ななこ・国際関係論)

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