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アカデミアを離れてみたら

迷いの森のその先に〈アカデミアを離れてみたら〉

雀部正毅 (理化学研究所)

 思い立ったらすぐやる、という性格は子どものころから変わっていません。よく言えば思い切りがよくフットワークが軽い、悪く言えば考えなしで無鉄砲。そんな性格は、私のキャリア形成のみならず人生にも大きな影響を与えてきました。本稿では、お恥ずかしながら私の過去を振り返りつつ、アカデミアを出たり入ったりした人がたどり着いた場所についてお話しさせていただきます。特殊な事例が多く、あまり読者の方々の参考になるとは思えませんが、こんなバカがいるんだなあとご笑覧いただければ幸いです。

私のいまとこれまで

 私は現在、理化学研究所で広報(※1)職に従事しています。国際広報担当として海外向けの情報発信を行っており、英語版ウェブサイト・ソーシャルメディアの維持管理、英語でのプレスリリースや記事の作成、国際会議の運営、海外イベントの企画・出展、写真・動画撮影やビデオクリップ制作などが主な業務です。同僚の多くが外国人で、ミーティングや日常会話は概ね英語で行われるため、コミュニケーションをとるのもひと苦労なのですが、英語力が維持できるのはもちろんのこと、外国人の方々の言動に学んだり驚いたりすることも多く、刺激的で充実した毎日を送っています。
 広報担当者としてのキャリアはいま7年目。現在の職務にやりがいを感じていますし、自分にはよく合った天職だとも感じています。しかし、ここに至るまでの道のりは全く平坦ではありませんでした。

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AAAS Annual Meeting(ワシントンD.C.)での広報業務のひとコマ。中央でカメラを構えているのが筆者。撮影係になることが多いため、写真を撮っていただけることは稀。提供:物質・材料研究機構 国際ナノアーキテクトニクス研究拠点(WPI-MANA)中山知信氏。

 私の父は物理学の研究者でした。父は一年中研究に没頭し、家にいるときも論文を書いたり文献を読んだり、大学教員だったころには学生を家に大勢呼んだりしていて、研究というものがいつも身近にありました。そういう環境で育ったこともあり、私は大人になったら研究者になるものと信じて疑いませんでした。自然や生き物が好きだったので、進路選択のときは迷うことなく生物学を学べる理系を選びました。大学に入学した時点ですでに、この先は大学院に進み、海外で経験を積んで研究者になっていくのだ……と思い描いていたのです。実際、学部を卒業してすぐにアメリカの大学院に進学することができ、このあたりまではだいたい思い通りの道を歩んでいたはずだったのですが、諸事情から海外留学を切り上げて京都大学の博士後期課程に編入したあたりから、考え方が大きく変わっていきました。
 京都では、念願が叶って動物学の研究室に入ることができました。やりがいのある研究テーマに巡り会い、大変充実した毎日を過ごしていたのですが、将来のことを考えると見通しは明るくなく、先輩方も就職先を探すのに苦戦していました。「楽しく研究をしているだけでは生きていけない」という、当たり前の現実にぶつかったのです。日米でアカデミアの熾烈な競争を目の当たりにしてきたことに加え、「こいつらには一生敵わないな」と感じる凄腕の研究者(の卵)が自分よりも若い世代に数多いたこと、そして何より、研究者としての素養──自身の研究テーマに没頭し、とことん考え抜き、答えを見つけてアウトプットしていく熱量──が全く足りていないことをこの段階にきてようやく自覚したことから、私は完全に打ちのめされていました。とはいえ、そこは思い切りのいい私のこと。研究職でない道で就職しようと決断するまで、さほど長くはかかりませんでした。海外の大学院に行くなどの遠回りをしたこともあり、私は博士編入時点ですでに30歳近くなっていました。いま思えば、ずるずるとアカデミアにしがみつかず次の一手を打ったのは正解だったのでしょう。それでも、学位取得を投げ出してしまおうとしていた私を見捨てることなく、博士号だけはなんとしてでも取りなさい、と叱咤激励してくださった大学院時代の恩師には一生頭が上がりません。

紆余曲折の果てに

 研究者としての道を逸れて社会人となってからは迷走がいっそうひどくなり、全国を転々としながらじつにさまざまな仕事をしました。製薬会社で働いたり、四国で魚を育ててみたり、専門と全く違う分野でポスドクをしたかと思えば、氷雨降る東北の山奥で生物調査をしたり。その時々で最善と思われる道を選びつつ、納得しながら仕事をしていたとはいえ、我ながら支離滅裂な人生を送ってきたなとしみじみ思います。

写真02
東北の誰もいない山中、冷たい雨に打たれながら鳥類調査。博士号を取得した挙げ句にこのような刑に処されるとは夢にも思いませんでした(というのは嘘で、実際はとても楽しい仕事でした)。

 ただ、そんな紆余曲折を経ている中でも、せっかく研究者になるためのトレーニングは積んできたのだから、たとえ研究者を目指さないにしても、アカデミアから完全に離れるのではなく、なにかこの経歴を活かせる仕事はないかと考えていました。そしてついに、自分に合いそうな職種──研究機関の広報・渉外担当──を見つけました。折しも科学コミュニケータの育成事業が本格化し、仕事の機会もちらほら出現し始めていた時期でした。応募要件には「理系の大学院卒」「英語を使ったコミュニケーションが円滑にできること」が望ましいなどとあり、アカデミアや海外での経験が有利に活かせそうな職業に見えたのです。
 残念ながら、現実はそう甘くありませんでした。広報や科学コミュニケーションの実務経験がないことが特に致命的だったようで、たまに出る公募に応募しても、書類選考すら通らない日々が続きました。思いつくままにやりたいことをやり、これといった特技もないという、箸にも棒にもかからない経歴だったのですから、いま思えば当然です。
 そんな中、唯一門戸を開いてくれたのが、筑波大学にある国際統合睡眠医科学研究機構(IIIS)でした。2013年のことです。IIISは文部科学省の世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)に採択されて前年に立ち上がったばかりの研究所で、広報連携チームのリーダーとして迎え入れてくれるというのです。ホンマかいなと思いましたが、このチャンスを逃す手はありません。立ち上げの混乱に乗じて紛れ込んだ感は否めないのですが、こうして私は、広報担当者としての第一歩を踏み出すことができました。
 IIISは当時、体制がまだ整っていなかったため、私も広報業務だけやっていればいいというわけにもいかず、会議・ヒアリングや国際シンポジウムの企画運営、国への報告書の作成、外国人研究者の相談相手までこなし、あらゆることに首を突っ込むまさに「何でも屋」となりました。蓋を開けてみればチームも形だけで、広報経験者はおろか理系のバックグラウンドをもつ者すらおらず、結局、一人で手探りしながらもがいていくしかありませんでした。進む道もわからぬまま連日遅い時間まで働く日々は楽ではありませんでしたが、それでも研究者と二人三脚で成し遂げていく仕事は面白く、自分に合っていることを改めて実感しました。

人をつなぎ、人のつながりに助けられる仕事

 IIISは専門分野が違ったこともあり、大学院で学んだことが業務と直結したわけではありませんが、化学・生物学の基礎知識は役立ちましたし、申請書や報告書の作成、プレゼン資料の制作サポートなどに抵抗なく取り組むことができたのは、間違いなくアカデミアでの経験があったからこそでした。
 たとえばこれから研究機関の広報職を目指す方がいるとして、この仕事に博士号は必要か?と聞かれたら、正直なところ明確な答えはありません。博士号をもたない広報仲間でも、いい仕事をしている人はたくさんいるからです。一方で、海外の広報担当者(Public Information Officer, PIO)には、博士号をもっている人がかなり多い印象です。個人的な感覚としては、知識や経験の蓄積という点で博士の学位はあるに越したことはないですが、自身の専門分野がぴったり一致することは稀ですし、それよりも、スピード感をもって仕事ができるか、細々したことにまめに対応できるか、といった素養のほうがはるかに重要です。また、バランスのとれた上手な人づきあいができる能力や、約束した仕事をきちんとやり遂げる忍耐力も大切です(社会人として当たり前ですが)。
 広報は職業柄、人と出会う機会に溢れています。研究者はもちろんのこと、他機関の同業者、民間企業の方、イベントで出会う一般の方、訪問してきてくれた高校の先生方や生徒さん。さまざまな業種のさまざまな考え方をもつ人たちから刺激をもらいつつ、名刺の山がどんどん高くなる仕事です。全く接点のなかった人たちが自分を介して知り合いになり、新たな仕事を生み出すことになったりすることもしばしばあります。こうした「人つなぎ」は、広報担当者の大事な使命の一つだと私はつねづね思います。人とのつながりがあったからこそ助けられることもよくあります。
 前述のように、広報担当者になりたてのころは、身近に相談できる相手もおらず、全てが手探りの状態でした。そんなとき頼りになったのは、他機関で広報業務を行う仲間たちでした。特に、他のWPI拠点(当時は全国8箇所)の広報担当者たちはまさに同志とでも呼ぶべき存在で、困ったときに相談に乗ってくれたり、シンポジウムやイベントを一緒に運営したり、同じ時期に報告書作成に苦しめられたりと、職場の同僚よりもむしろ身近に感じていたと言っても過言ではありません。また、大学・研究機関の広報担当者が集う有志の会(科学技術広報研究会、JACST)に所属することで、さまざまなバックグラウンドをもつ人たちと知り合うことができ、多くのことを学ばせてもらっています。こうして機関の枠を超えて、同じ仕事をしている人たちと横断的につながっていける点が、広報の大きな魅力だと私は感じています。

いばらの道はまだまだ続く

 広報は私にとって楽しくやりがいのある仕事であり、この先もずっと続けていきたいと強く願っています。ただ残念なのは、広報というポジションがきわめて不安定であることです。研究成果の社会還元や国民への説明責任が重視されるようになり、広報専任の職員も徐々に増えつつあるものの、定期異動のある専門外の事務系職員が担当していることも多く、数年のうちに担当者が替わってしまうことも珍しくありません。広報専門で定年まで続けられるポストに就くことができる人は一握りで、ほとんどの人は任期付きポジションを転々とする羽目になります。また、機関の全体予算が減ったときに、広報ポストから真っ先に削られてしまうのも事実です。自分の組織のために身を粉にして働いてきたのに、任期切れで他機関に移らざるを得なかった凄腕の仲間たちを、これまで幾度となく見てきました。現在の状況下では、優秀な広報担当者は育たないと思います。
 もちろん、現状を嘆いているだけでは道は拓けません。自分らしくフットワークの軽さを活かして、「ぜひうちで働いてほしい」と思ってもらえる唯一無二の広報屋になるにはどうしたらいいか。今やらねばならないことに邁進しつつ、考えに考える日々はまだまだ続きそうです(そうこうしているうちに定年になりそう)。

※1 広報とひと口にいってもさまざまな種類があります(将来自身の大学を目指してほしい中高生を対象とした入試広報、製品のプロモーションのための民間企業の広報など)。本稿では、研究機関もしくは大学で、理系分野の研究成果を発信することを目的とした「科学広報」を便宜上ひと括りに「広報」と呼んでいることにご注意ください。


【ささべ・まさたか】

東京生まれ。北海道大学理学部、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校生化学部を経て、京都大学大学院理学研究科にて博士(理学)の学位を取得。(最終的な)専門は動物生態学。民間企業勤務や大学でのポスドクを経験後、研究機関広報の世界へ。趣味は旅、生き物観察、写真、千葉ジェッツふなばし(Bリーグ)。

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