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アカデミアを離れてみたら

外資系バイオテクノロジー企業の一風景〈アカデミアを離れてみたら〉

花岡秀樹(イルミナ株式会社)

 私はかつて、オートファジーという生命現象の研究をしていました。2002年に博士号を取得した後、2007年までポスドクを続けました。その後、外資系のバイオテクノロジー企業へと転職し、以降、転職を重ねながら、アプリケーションサポートから製品開発、マーケティングといった仕事をしてきました。
 アカデミアを離れたのは、「最初に定職(?)のオファーが出てきたのが産業界だったから」です。当時の状況を振り返ってみます。

手をあげてくれるのはどなたでしょう?

 私がポジション探しを始めたのは2006年の後半です。動機としては、下記の3つがありました。
 ① ポスドクは1回3年として、1、2回(3〜6年)やれば充分と思っていた
 ②(当時)転職35歳限界説があり、産業界へ転身するなら急ぐべきと思っていた
 ③ 子供が産まれ、より安定かつ高収入の仕事を望んでいた
 まず①についてですが、ご存じのように、ポスドクは授業をもてないなど、やはり正規教員との間には経験できることに差があります。その点で、いつまでも同じ経験を繰り返すことには魅力を感じていませんでした。当時の所属先の研究室で、すでに在籍期間は2年を過ぎていて、次はもう単なるポスドクはしないと決めていました。
 そして②についてですが、当時の転職市場では、「35歳以降は条件のいいオファーは激減する」といわれていました。当時の私が31歳。ポスドクを続けることが可能なだけに、どこかで自分から動き出さないと、このままずるずると35歳を迎えてしまうと感じていました。
 ③については、いつまでに何か決めなければ、ということはなかったのですが、あらゆる局面でいろいろと影響が出てくる要素ですね。
 以上を踏まえて、アカデミアならば正規教員、ないしテニュアトラックなどに限定して応募していました。同時に転職エージェントに登録し、産業界で経験を生かせそうなところがあれば、応募していました。アカデミアに3つ、企業に4つほど応募を進めていく中で、2007年の3月にはアカデミア2つ、企業2つから落選通知をいただいていたかと思います。
 アカデミアと産業界と両方に応募しているように、どちらかと決めていたわけではありません。ただ、「最初にオファーが来たところにお世話になろう」という原則だけを決めていました。求められるところで仕事をするのが、結局は自分と就職先、双方の幸せにつながるのではないか、と考えていたからです。そして私はこの原則通り、最初に声をかけてもらった、外資系バイオテクノロジー企業の日本法人に就職しました。
 振り返ってみると、このスタンスが功を奏したようにも感じます。ひとたび産業界に身を置くと、転職のハードルは一気にさがるからです。
 就職した当初、私はフィールドアプリケーションという職務につきました。私の担当製品(当初は次世代DNAシーケンサ)に関して、技術営業のような形でお客様に紹介したり、販売後はお客様に使い方を説明するとともに実験計画の相談に乗ったりと、事業活動を技術的側面から支援する「よろずや」のような職務です。その後、事業の拡大に伴い、担当製品を広げるとともに、最終的に日本法人では部門長として、実験系およびデータ解析系、総勢20名ほどのチームを率いることになりました。
 その後、7年の日本法人勤務を経て、私はアメリカ本社に移って仕事をすることになります。

(外資あるある)もう、本社の人たちは何を考えているんだ。私にやらせて。

 私が働いているライフサイエンス業界では、外国(特にアメリカ)に研究・開発部門を有する本社があり、日本法人は製品の販売やサポートをする販社(販売会社)機能のみ、という会社が数多くあります。そうすると、日本法人の社員は下記のような悩みを抱えがちになります。
 
“日本のお客様の要求基準は、品質においても対応においてもとても高い。が、アメリカ本社の対応がそれに見合わないため、日本子会社(社員)がギャップを埋めるため苦労する”
 
“組織にせよ、開発予定にせよ、さまざまな物事がよく変わり、それに現場が振り回される”
 
 「外資系の日本法人というのは、東京に本社がある大企業の埼玉支店みたいなもんだ」という表現を聞いたことがありますが、言いえて妙だと思います(注:埼玉を否定的にとらえるものではありません)。自分たちの声が届きにくい、もっとこうしてくれたら、と感じる日々を通して、「本社で仕事をしてみたい」という気持ちが膨らんでいきました。文句を言うよりも、自分でやりたいという心境です。
 さて、外資系企業において、人事は日本企業のように情に流されずフェアでしょうか? そんなことはありません。外資系では一般に、人事部が人事権をもっているのではなく、各事業部すなわち上司が、昇進などの人事権を握っています。そのため結局のところ、どれだけ目立っているか、上とのコネがあるかが大きく影響するのです。
 私の場合、入社2年目くらいから、「アメリカ本社に行きたい」という希望を公にして、歴代の上司にアピールするほか、出張のたびにその旨を発信していました。すると2014年初夏、以前に一緒に仕事をした本社の人間が、「今度自分のチームでポジションが空くから興味あるか?」と声をかけてくれたのです。もちろん、即答で「興味ある」です。
 その後、同僚たちによる面接、ビザ取得、外資系の移住コーディネート会社への手配など、半年以上のすったもんだを経て(引っ越し荷物は船のコンテナ1箱分(大きい)と言われて目が点になりました)、2015年に移住しました。40歳、妻と子供2人を含む家族4人で、アメリカへの片道切符の移住です。
 なお、外資系企業の日本法人に入った場合、サイエンス寄りの仕事であれば、アメリカなどの本社勤務は狙いやすく、また狙うとよいと思います。いわゆる理工系の仕事は、日本国外の方が給与水準も高く、厚遇してもらえます。

会社って、オフィスに出勤するのが普通ではないの……⁉

 こうして2015年3月から、私はサンフランシスコ郊外、いわゆるシリコンバレーに住んで、アメリカ本社勤務を始めました。自宅から会社まで車で30〜40分なのですが、近所の同僚たちと、会社が借りてくれたヴァンに乗り合いして通勤することが徐々に増えました。部署の違う同僚たちと他愛もない雑談をして通勤するのは、なかなか愉しいものでした。
 本社での職務はプロダクトマネージャー職。担当製品について、上市するまでは開発プロジェクトを率い、上市後は売り上げ目標達成を担う仕事でした。最初に、開発したい製品・サービス、そしてそこから期待される売り上げを会社上層部にプレゼンし、プロジェクトへの人員を含むリソースの配置を承認してもらいます。その後、初期は研究開発部隊とともにプロトタイプ、要素技術開発を目指し、商品化の目処がついてくると、販売に近い部門とともに、発売時期や製品仕様の絞り込みに入ります。さらに、調達部門とともに、生産コストを考慮したうえで、数量等の計画立案も行います。これらは、日本企業等で実際の製品開発に従事していれば当たり前の業務なのですが、いわゆる販社にいたころの私には全く見えていなかったプロセスでした。
 さて、具体的な職務とは別に、働き方に関しても、いろいろなカルチャーショックがありました。入社当初、衝撃だったのは、同じ部署の人が全員出社している日が予想外に少なかったことでしょうか。今でこそ日本でも在宅勤務が広がりましたが、アメリカ本社では当時から、ごく自然に在宅勤務が発生していました。「毎週水曜と金曜は在宅です」といった具合です。理由がない限りは出社するのが基本と思っていた私には、これはカルチャーショックでした。しかし、日本にいたころ、「何でそことここが情報交換していないんだろう」と不思議に思っていたことの謎が解けました。同じチームの同僚でも、時間を決めないと、会う機会が意外に少ないのです。日本で部署間が丁寧にすりあわせるやり方は、多くの人が1ヵ所に物理的に集う環境があってこそなのだと感じました。
 そして、人の出入りの激しさ、また引継ぎの粗さにも驚きました。私の部署は10人ほどなのですが、2年でおよそ半分程度が入れ替わりました。何か問題があるのではなく(雰囲気も業績も良かったです)、単にそれが自然なのです。担当者が替わって開発予定がころころ変わったり、話が通じなくなったり。日本から「何で?」と感じていたことが、この環境では当たり前に発生せざるをえないのだなと納得しました。
 引継ぎが粗いのも当然です。丁寧に引き継いでも、数年後にはまた他の人が担当している可能性が高いのですから、組織としても個々人としても、そこにコストをかけても効率が悪いという話になります。最低限のことだけを共有して、+αは新しい担当が自分で話を聞いて把握していけよ、というのが自然に実施されていました。
 レイオフ(解雇)も身近にありました。驚いたのは、「仕事ができるか」よりも、「担当製品が何か」といった要素が強く影響することです。その意味では、レイオフは単に運不運であるとも言えます。身近にあった例として、「解雇通告を出した後に、やはり必要だということになり、解雇通告の撤回、再雇用のオファーが出た」「解雇された人が3ヵ月後に他部署のより上の立場で戻ってきた」というのがあります。いい意味で、なんでもありなんだな、と感じました。
 なお、仕事に就くにあたっては、雇用契約書に署名します。一般的な契約書には、次のように書いてあります。「この契約はお互いの自由意志に基づくものであり、いつでも、理由の有無にかかわらず、お互いに契約を解消できる」 。当初、厳しいな、と思いましたが、一方で、「会社が嫌なら、さっさとやめる」という姿勢は、お互いにフェアともいえます。結果として、会社に批判的な人、つまらなそうな人が、日本と比較して少ないという印象もありました。
 そして、金曜午後には早々に帰宅する。これも、自然な文化として存在していました。特にアメリカ西海岸には、地球上で最後に金曜午後がきます。西海岸の金曜午後に、アジアは土曜日、ヨーロッパは深夜、東海岸は退社済み。つまり、西海岸の人間としか仕事ができません。すると、西海岸で国をまたぐ仕事をしている場合、金曜午後はさっさと帰るのが合理的な行動となります。日本から見ていたときには「もっと働いてくれよ」と思っていましたが、それが自然な環境では、批判すべきことでもないなと考えが変わりました。私たちが子供のころ、親世代は土曜日も働いていたので、当時は土曜日に働かなければ批判されたかもしれません。が、今となっては土曜日に働かないことを批判的にみる人はいないでしょう。ひとつの価値基準で判断してはいけないのだなと感じました。

写真1
本社の同僚、プロダクトマネージャーチームのピクニックランチ(2015年)。写真の8人のうち、今も同じ会社に残っているのは1人のみ。

そしてまた日本へ

 当初はアメリカに永住するつもりだったのですが、渡米後3年になろうとするころ、そのままアメリカに残って仕事をするか、日本に帰国するか、多少迷うようになってきました。ベイエリアは思ったより寒かった、生活コストが異常に高かった、永住権申請処理がなかなか進まなかった、など、理由はいろいろあります。
 とはいえ、家族4人が日本とアメリカのあいだで拠点を移すには、数百万円の出費も含めてそれなりの騒ぎなので、簡単に決められるものではありません。退社した古巣内部での異動も含め、何か選択肢はあるものなのか、日系企業と外資系企業のそれぞれについて、得意なエージェントさんにお任せして見ていただきました。結果として、数社との面接を経て、最終的に今の会社に転職する形で帰国することになりました。
 私が最初に民間就職した2007年と、今回の2018年の転職経験を比べると、10年間でずいぶん日本企業も中途採用に積極的になったなと、隔世の感を受けました。ライフサイエンス業界の日系大手は、かつてはほとんど新卒のみだった印象があるのですが、他業種からの参入が活発化していることもあるせいか、今回の転職ではいろいろなポジションのお話を聞かせていただく機会がありました。
 アカデミアと産業界との垣根も、より低くなっているかと思います。これからは、両業界を行ったり来たりする人間も、どんどん増えていくのではないでしょうか。

アカデミアを出て、世界が開けた

 さて、アカデミアでの経験は、企業でどのように活かせたでしょうか? 
 私の場合、最初に企業へ就職した当時は、ポスドクを経てから研究職以外の仕事をする人間が比較的少ない状況でした。お客様により近い視点で製品の活用法を提案できるという面で、アカデミアでの経験はとても役にたったと思います。さらにその後、職務や勤務先が変わっても、物事を客観的かつ論理的に判断して、結論を導こうとする姿勢は、あらゆる場面で助けになりました。そして、データや現場により近い人間の声を基に判断をする、資料を鵜呑みにしないといった、いい意味での独立した形での思考トレーニングも、企業活動において役立つものでした。
 アカデミアを離れて産業界に出たことで、私の世界は広く開けました。その過程で芽生えた、「いつの日かアメリカ本社で仕事をしてみたい」という小さな希望も叶えましたし、日本に帰ろうかなと思ったときには、帰ることもできました。本当に運に恵まれて、幸せにやらせてもらっているなと感じます。もちろん、今でもサイエンスは好きなので、研究をしている人を羨ましく思うこともありますし、アメリカにまた戻りたいなと感じることもあります。しかし、その時々で迷うことはあっても、後悔はありません。
 最後に私の恩師、大隅良典先生がくれた言葉を紹介します。
 「人生にコントロール実験はないんだよ」
 選ばなかった道の結果はわからないのですから、選んだ道が豊かになるように尽くしましょう。


【はなおか・ひでき】

1975年生まれ。東京大学工学部化学システム工学科を卒業後、総合研究大学院大学(愛知県岡崎市の基礎生物学研究所)にて学位取得。産業技術総合研究所、東京大学での博士研究員を経て2007年、アプライドバイオシステムズジャパンに転職。次世代DNAシーケンサの日本市場導入に関わった後、渡米してUS本社に勤務。2018年、現職への転職に伴い帰国。現在はイルミナ株式会社でシニアマーケティングマネージャーを務める。科学技術とスポーツと犬が好き。他に、2019年より株式会社AutoPhagyGO創業を支援。

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