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3.11を心に刻んで

齋藤亜矢〈3.11を心に刻んで〉

緊張(テンション)がふっと解けるから、身体的な反応として笑いが出てくるんですよね。あれが起こると、次の瞬間から、さっきまでと違う方向を向いてものを考えたり、話したりすることが可能になってくると思うんですよ。
(畠山直哉『まっぷたつの風景』(赤々舎)、いがらしみきおさんとの対談より)
*  *

写真家の畠山直哉さんの言葉が、いま、とても響く。
 ものすごくシリアスなものに対面しながら、心理的に距離をとって何かぽそっと言うと、まわりがどっと笑う。緊張している物事にすこし隙間ができて、空気が流れる。それが震災後、特にメディアが投げかける言葉に足りなかった。人を元気づけたり励ましたりする言葉はあっても、物事に距離をとって、隙間を生むような言葉はなかったという。

  笑いには2つある。歯を見せてにこっとほほえむスマイルと、あはは、と発声をともなうラフ。その進化的な由来が異なるという説がある(オランダの生物学者ヤン・ファン・ホーフの説)。
 サルやチンパンジーは、自分より強い相手がやってくると、頭を低くしてあとずさりながら、口角を横にひき、歯をむきだしにする。かすれた悲鳴がもれることもしばしば。相手に服従をしめし、争いを避けるこの「グリメイス」という表情が、人間では、挨拶や友好をしめすスマイルに変化したという。ほほえみが、本来、恐怖や服従の表情だといわれると悲しい気もするが、政治家のつくり笑いなど見ればすぐに納得できる。
 いっぽうラフの起源は、遊ぶときに口をぱかっと開けるプレイフェイスだ。チンパンジーも、この表情で仲間を遊びに誘い、口を開けたまま追いかけっこやレスリングをする。叩いたり、甘嚙みしたり、真顔でやればけんかになるところだが、プレイフェイスによっておたがいに「遊び」という文脈を共有するからゆるされる。その緊張を解放するかのように、ぐふぐふと笑い声ももれる。息を吸う、吐くを高速で繰り返す、腹の底からの笑いだ。

  人間の社会に緊張と不安が渦巻いた数カ月前、新聞のコラムの執筆が一段とむずかしくなった。慎重に言葉を選ぶうちに、文章に、どこかぎこちない笑みやグリメイスのような表情があらわれる。書きたいのは、そういう文章ではない。少し距離をとって、ぽこっと隙間を生むような言葉だと気がついた。

 
(さいとう あや・芸術認知科学)

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