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3.11を心に刻んで

阿部恭子〈3.11を心に刻んで〉

人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果たすこと、日々の務めを行うことに対する責任を担うことに他ならないのである。
(V・E. フランクル『夜と霧』霜山徳爾訳、みすず書房)
*  *
私は生きて、使命を果たさなくては──。2011年3月11日、人工的な光が奪われた大地を照らす、満天の星空を眺めながらそう誓った。かつて見たことのない無限に広がる星空は、残酷なまでに美しく、襲い掛かる不安に挫けそうになる心を奮い立たせていた。
 「沈黙を余儀なくされる弱者の声になる」──それは、私が初めて好きになった人との約束であり、私の使命だと信じてきた。出自が公になることによって、仕事や住まいを失うリスクを伴うことから、不条理な差別や排除に苦しめられながらも沈黙を強いられてきた人々が「加害者家族」であり、「先生」と呼んでいた初恋の人もまた「沈黙を余儀なくされる弱者」のひとりだった。
 私は小学5年生の頃、「悪人の家族の運命」と題して、ナチスの子どもたちが辿る人生に焦点を当てた作文を書いた。この発想が「加害者家族支援」の原点である。担任からは「子どもらしくない」と全く評価されなかったが、「先生」は、多くの人が見過ごしている事実によく気がついたと褒めてくれた。そのセンスを活かして、支援の網の目からこぼれる人々を助けられる人に成長してほしいと、いつも私に言っていたのだった。
 2008年、私は長い間タブーとされてきた加害者家族支援の扉を開いた。ようやく活動が軌道に乗りかけた頃に襲った大震災。スタッフの多くが深刻な被害を受け、先が見えない状況だった。
 停電から3日目の夜、電気が戻った瞬間、相談電話の携帯を充電器に繫ぐと、すでにたくさんの着信があった。
 テレビは、世界中の人々が被災地に心を寄せている映像を伝えていた。しかし、電話が繫がるのを待っていた加害者家族は、悲しみに寄り添ってくれる人もなく、孤独だった。相談者の話を聞くにつれて、必ず震災を乗り越えなければという思いが込み上げてきた。
 2020年、新型コロナウイルスの試練が続く。それでも歩み続けることができるのは、きっと3・11、あの日があったから。
 
(あべ きょうこ・NPO法人World Open Heart 理事長)

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