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アカデミアを離れてみたら

実験室で、ふと自分を見つめて知財の道へ〈アカデミアを離れてみたら〉

福家浩之(安富国際特許事務所)

 弁理士は、特許、意匠、商標などの知的財産を専門に取り扱う資格です。弁護士や会計士と比べるとマイナーな資格ですが、研究の成果をビジネスで使える形に仕上げる、重要な仕事を担っています。
 博士号を取得後、知財業界に転身した私の経験と、弁理士の仕事内容をご紹介します。

実験の合間に考えた

 高校時代に、ノンフィクション作家の立花隆氏による科学ノンフィクション『マザーネイチャーズ・トーク』や『精神と物質』を読み、純粋に真理を追い求める研究者の仕事にロマンを感じ、研究者になりたいと思うようになりました。
 大学では分子生物学を専攻し、高校時代の夢をもったまま、とくに疑いなく大学院の博士課程まで進学しました。
 研究対象は、遺伝子の発現制御(RNAの転写後のプロセシング)に関するものです。博士課程の1年目ごろまでは、自分の研究がどのように展開するか、楽しみに感じていました。
 しかし、次第に実験の失敗が積み重なり、打開策を見つける力も足りないことを実感して、フラストレーションがたまり始めました。博士課程の3年目ごろからは、自分の実験技術やセンスでは、プロフェッショナルとして第一線で研究を続けることは難しく、いよいよ研究者の道はあきらめた方がよいと考えるようになりました。
 一方、研究生活の中でも、文献を読むことは苦にならず、膨大に論文を読み込むのはむしろ得意でした。論文を読むことで、それまでの知識体系を理解することに楽しみを感じていたのです。日々の実験の合間に、文章と接することのできる仕事はないだろうか、とぼんやり考えていました。

とりあえず挑戦

 仕事探しに本腰を入れ始めたのは、学位取得の見通しが立ち始めたころです。実は、最初に受けたのは新聞社で、二次面接まで進みました。もしそのまま内定を得ていたら、新聞社に就職していたかもしれません。
 その一方、いろいろと調べる中で、インターネットで「知財」や「特許」というキーワードに出会いました。さらに調べてみると、「弁理士」という仕事があること、その仕事には「技術」、「語学」、「法律」の3つが重要であることがわかりました。
 このうち「技術」についてはそれまでの研究経験が役立ち、「語学」については、中学・高校のころから得意科目であった英語が使えそうでした。残りは「法律」ですが、法律の知識をもたずに働き始める人も多いことがわかりました。知財の仕事がベストという確信はありませんでしたが、自分にもやれそうだし、とりあえず挑戦しようという気が湧き起こりました。
 博士課程4年目の秋にいくつかの特許事務所に応募し、そのうち1つから採用通知が届きました。それまで何年間も展望が見えない状況が続いていたため、学位取得と就職の見通しが立ったときには、大きな安心感がありました。
 知財業界に入って12年が経ちますが、今のところ、この仕事は私の性格に合っているようです。進路決定のときに、確信がないまでもとりあえず挑戦しようと決断したことが、結果的によい方向にはたらいたようです。

写真1
学生時代を過ごした京都の、鴨川と北山の眺めです。当時はいつでも行けると思って、寺巡りなどもあまりしませんでした。もっと観光しておけばよかったと思いますが、学生時代というのはそういうものかもしれません。

そして社会人になる

 大学院では不規則な生活を続けていたため、社会人生活に慣れるまでにはしばらくかかりました。最初は、朝の通勤時に無数の人が一斉に同じ方向に歩く様子にも圧倒されていました。ビジネスマナーも身についておらず、後から振り返ると恥ずかしくなるようなことも度々ありました。
 一方、仕事の内容は、やり出したら面白いものでした。知財の予備知識をほとんどもたずに働き始めたので、最初は知識を吸収するばかりでしたが、それが楽しく感じられたのです。長い間、専門分野の情報にしか触れていなかったことから、未知の分野への興味が高まっていたのかもしれません。
 就職時には28歳を過ぎており、他の人より遅れて仕事を始めた、という意識が強くありました。そこで、最初の数年間は仕事を覚えることに注力しました。同時に、早く弁理士になれるように、仕事の後は軽く夕食をとって午後10時まで自習室で勉強するという毎日を過ごしていました。それでも、弁理士として登録するまでには4年を要しました。

弁理士のしごと

 弁理士の主な仕事は、特許の取得の代理です。具体的には、顧客(主に、企業の知財部員)からヒアリングした発明内容を書類にまとめて特許庁に出願し、審査官とのやり取りを経て特許を取得します。
 特許を取得するためには、発明が新規性(既存技術と差異があること)と進歩性(差異の大きさが顕著であること)を満たす必要があります。通常、特許を出願した後には、特許庁の審査官から、過去の文献を引用して「発明に新規性や進歩性がない」と指摘されます。それに反論するために、引用文献と顧客の発明を詳細に比較することが、時間的にも労力的にも、弁理士の仕事の最も大きな割合を占めます。
 また、特許には、権利範囲の広さ(※1)や、権利行使のしやすさ(※2)などのバリエーションがあります。その中から、顧客のビジネス形態や費用対効果を踏まえて最適な形の特許に仕上げることも念頭におく必要があります。
 出願と権利化の仕事が身についてからは、特許紛争(※3)鑑定(※4)などの難しい案件にも携わっています。外国語文献の翻訳や先行文献調査などの周辺業務を行うこともあります。
 どの仕事を行うにしても、弁理士の仕事はサービス業であることを意識し、顧客には、知財上の課題を解決するうえでの「快適さ」を感じてもらえるように心がけています。

弁理士のよいところ、アカデミアのよいところ

 弁理士の仕事の魅力として、まず、人から感謝されることが挙げられます。先に書いた通り、この仕事はサービス業であり、結局は人間相手の仕事です。複雑な案件をわかりやすく説明できたときや、有利な主張材料を提案できたときに顧客から感謝してもらえると、大きなやりがいがあります。
 さらに、比較的短期間に満足感をえられるのも、弁理士の仕事のよさの1つです。1つの案件は約2~3ヶ月で区切りとなり、そのような仕事を常に複数かかえています。予想外の不調に終わることもありますが、手続きを前進させられることの方が多く、日々の仕事に取り組む動機にはなりやすいです。
 学生時代に手がけた実験は成功よりも失敗することの方が多く、過去数ヶ月の実験が全て無駄となることもありました。しかも、実験を積み重ねても大きなゴールに到達できるかわかりませんでした。私には、高校時代の夢だけでは、そのフラストレーションに耐えることはできませんでした。
 一方、弁理士はあくまでも代理人にすぎないため、最終方針を決定するのは出願人です。弁理士は、専門知識に基づくアドバイスは行えても、真の主役にはなれません。アカデミアでは、予算や任期などの制約があるとしても、自分自身で大きなゴールを設定できます。これは、アカデミアの大きな魅力ではないでしょうか。
 なお、弁理士の仕事とアカデミアとで共通しているのは、国際的であるという点です。日本人が国内外で特許を取得するのと同様に、外国人も日本で特許を取得するので、手続きが国境を越えて行き交います。日本の弁理士には、その全てに関与する機会があります。発明の新規性と進歩性も、全世界の既存技術を基準として判断されます。
 科学的な真実が最も重視されることも共通しています。アカデミアと同様、知財業界でも、いくら論理的に説明できても、試験結果がなければ相手を説得できません。比較対照試験(特許の世界では「比較例」や「参考例」と呼ばれます)の重要性も同じです。学生時代に比較対照試験の考え方を訓練できていたおかげで、仕事の中でも特にその部分は、当初からすんなりと理解できました。

「三本柱」のその後

 知財業務における三本柱、「技術」、「語学」、「法律」の重要性は、おおむね学生時代に予想していた通りでした。
 技術の観点では発明者と同程度の知識が必要ですが、私の場合、専門に近いバイオ系の案件は自信をもって対応できています。博士号を取得していれば、顧客から信頼してもらいやすいということもあります。さらに、私の所属事務所は化学の案件が多いため、今ではバイオ系以外に、プラスチック材料などの案件にも対応するようになりました。
 語学は、外国の特許庁や弁理士との意思疎通に欠かせません。海外で事業を行う企業は、その国ごとに特許を取得することが多く、私の所属事務所では欧米やアジアの国々への出願も取り扱っています。日本語よりも英語の仕事の方が多い時期もあります。
 法律については、既存の知財法は頭に入れておく必要があります。さらに知財法は、産業界からの要請や国際的な流れを受けて、数年おきに改正されます。日本だけではなく外国も含めて、こうした法改正をフォローする必要があります。
 これらに加えて、この仕事を続ける中でわかってきたことは、人とのつながりもまた大切だということです。
 過去10年間ほどで、弁理士の数は急増しました。その一方、日本における特許出願件数は漸減傾向にあります。弁理士1人当たりの仕事の数が減少し、知財業界は全体的に苦しい状況といわれています。その中で仕事を続けるために、既存の顧客からの信頼を保つと同時に、新しい顧客の開拓も必要です。関連業界の会合に顔を出して、私や所属事務所を知ってもらえるように努めています。

おわりに

 振り返ると、実験が不得手であるにもかかわらず、短期間で満足感を得たいという性格の私には、基礎研究は合っていませんでした。知財の仕事に就いた今は、無理なく自分の力を出せていると感じます(そう思うことで、研究者となる夢をあきらめて転身した自分を納得させているともいえます)。
 弁理士にはいろいろな経歴の人がいますが、最も大きな割合を占めるのは企業で研究開発を経験してから弁理士となった人です。アカデミアの経験者はそう多くはありません。アカデミアを経験した弁理士が増えるとさらに多様性が増して、知財業界の活性化にもつながるはずです。
 なお、工学系では、企業から大学に移って多くの特許を出願している方がおられます。このように、知財の経験を積んでからアカデミアに戻り、事業化を見据えて研究するというルートにも、注目してよいのではないでしょうか。
 アカデミアにいる方の中には、私と同様に、知財の仕事に合う性格の方もおられると思います。私の経験が、転身を考えている方の手がかりになれば幸いです。

※1 広い権利範囲で特許を得ようとするほど審査官からの拒絶は厳しくなりますが、いったん特許を得られれば広い範囲を独占できます。

※2 発明は大きく「方法の発明」と「物の発明」に分けられます。一般的に前者の方が特許を得やすいですが、第三者が秘密で実施することもありうるため、権利の行使は難しめといえます。

※3 例えば、自分の特許権に基づきライバル会社の事業を差し止めることや、ライバル会社の特許を無効化すること。

※4 特許の有効性や、特定の製品が特許権を侵害しているか否かを、中立な立場からコメントすること。


【ふけ・ひろゆき】

1980年生まれ。2008年に京都大学大学院で博士(理学)の学位を取得後、安富国際特許事務所に就職。2012年に弁理士登録。国内外の特許出願代理業務に従事。主に、化学、バイオ、化粧品、医薬等の発明を扱っている。最近の趣味は盆栽。

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