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3.11を心に刻んで

水島久光〈3.11を心に刻んで〉

わたしたちから失われているときにだけ手にすることのできるものがある。そして、ただ遠くにあるというだけでは失われないものもある。
(レベッカ・ソルニット『迷うことについて』東辻賢治郎訳、左右社)
*  *
震災3年目から、毎年3月11日には、レンタカーを借りて丸一日被災地域を回るようにしている。今年(2020年)も朝いちばんに一ノ関駅を出発し、陸前高田から気仙沼、志津川、石巻を通って、最後は仙台の荒浜を訪ねた。定点観測というわけではないが、いくつか決まったところで写真を撮るようにしてきた。特にここ1、2年は驚かされることばかりだった。多くの街の風景が塗り替えられ、伝承施設や追悼空間が整えられた。
 カーラジオが官房長官の会見を報じていた。「地震や津波の被害を受けた地域では、住まいの再建やまちづくりがおおむね完了して、産業や企業の再生も順調に進展するなど、復興は総仕上げの段階に入っている」──この「復興の完了」という言葉は衝撃だった。さっさと片づけて前にすすむ、そのニュアンスの冷酷さ。カーナビには出てこない真新しい街路で車を停め、ガラス張りのカフェで珈琲を飲み、深呼吸した。
 思えば「復興」は「戦後」という言葉とペアで使われていた時代があった。そして「もはや戦後ではない」と言われたのが1956年。なんだか似ている──ここでもやはり10年が一区切りと見做されていた。しかし街路が整い、オリンピックが来ても、人々は「戦後」という言葉を使い続けた。そして今年は「戦後75年」。皮肉にも「コロナ」でオリンピックは先送りになり、「戦後」を問う機会も多くが見送られた。
 災禍で失ったものを数え上げるのは容易ではない。そこから新たに築くべきものもあろう。ところがこうした話し合いは、いつもどこかにもどかしさを残す。それはそれらが、「生活」という言葉で括られることと関係しているようだ。「生活」について考えることは難しい。条件さえ折り合えば、自然に出来上がっていくというものではない。もしも人々がともに暮らす時間の厚みが「生活」の一面なのだとすれば、そう簡単に「復興は完了」しない。
 「コロナ」という過ぎ去らない災禍は、我々に「新しい生活」を要求してくる。悩ましい。それにあわせて震災からの9年と半年を問い返す。あの津波はいったい何を押し流したのか。放射能は何を蝕んだのか。それらは「あの時」突然失ったものなのか。それよりも前から、あるいはそれ以降も、ずっと傷を負い続けているものなのか、を考える。多分これらの答えは、まだずっと遠くにある。
 
(みずしま ひさみつ・メディア論)

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