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アカデミアを離れてみたら

研究者から、研究を支援する高度専門職(URA)へ〈アカデミアを離れてみたら〉

森本行人(筑波大学)

 私は、2011年に博士(経済学)の学位を取得しました。当時所属していた大学で初のURA(University Research Administrator、リサーチ・アドミニストレーター)となった後、現在は筑波大学でURAとして勤務しています。

アルバイトが転機に

 大学院では、歴史的な観点から、情報と経済(なかでも特に、郵便の歴史)に関する研究をしていました。博士号取得のハードルは高く、博士課程への進学当初から、3年では取得できないことを覚悟していました。結果として、7年かかって博士号を取得しています。
 博士課程の4年目以降には、大学と高校の非常勤講師をしながら研究していました。毎朝6時半ごろ家を出て高校へ行き、授業が終われば研究室へ戻り、高校の教材研究(授業をするための準備)をしてから自分の研究をします。高校の非常勤としては、4単位の日本史を4クラス受け持っていたので、どうしても自転車操業になっていきました。24時間研究に没頭できた時と違って、研究にとれる時間は1日あたり2~3時間程度。それでも、この自転車操業の生活の時に限って論文が査読に通ったりしたので、人生わからないものだと思いました。
 そんな中、思わぬところで転機が訪れます。
 高校では、3年生ばかり教えていました。そのため、2月と3月は授業がありません。大学の非常勤を担当していたのは春学期。つまり2月と3月は、無給になってしまうのです。
 ちょうどこの無給の時期に、所属していた大学で、3月までのアルバイト募集を見つけました。研究支援のアルバイトです。仕事場は学内の同じキャンパスにあったので、仕事が終わればそのまま研究室へ歩いて行けます。迷うことなく応募しました。これが、私にとって初めての研究支援でした。幸い、4月以降もお誘いを受けたため、そのまま研究支援の職場で非常勤職員を2年しながら、博士号を取得します。
 研究支援としての初仕事は、研究者総覧のウェブサイトの改修にかかわる業務でした。当時の業務は、20名ほどのパートの方に、旧システムの研究業績一覧を新システムの仕様に沿って適切な箇所に入力してもらう作業の監督で、入力する方からの質問に答えつつ、新システムにきちんと反映しているか確認する、というものでした。
 研究業績一覧というのは、研究者としては当たり前のものですが、見たことがない人にとっては、各項目の位置づけや意味をイメージするのがとても難しいものです。専門分野以外でも、自分の研究者としての経験を役立てることができるのだと、この時はじめて知ったのでした。

研究支援のプロになる──URAとの出会い

 そんなさなかの2011年、文部科学省が「リサーチ・アドミニストレーターを育成・確保するシステムの整備」事業を開始しました。時代とともに、大学等の研究者に研究活動以外の業務が多くのしかかるようになってきたことを踏まえてのことです。私の当時の所属先でも独自のURA制度が設けられ、学内で3名のURAが誕生しました。そして私もそのうちの1人として、常勤でURA業務に従事するようになります。
 URAとは、一言で言うと何でも屋──所属する大学における、研究支援を中心とした何でも屋です。かつて大学には主として研究者と事務職員しかいなかったところに、その間あたりに位置する第三の職が生まれた、というイメージでしょうか。生まれたばかりの新しい職業ですから、私が職を得た当時は今よりもいっそう、定義が不明瞭な存在でした。大学の先生方が「URAだったらこういうことやってくれるでしょ?」と仕事を振ってこられ、なにせこれといった定義がないので、そっか、と引き受け、なんとなくできてしまう、ということの繰り返しです。
 ただ当時から、科研費の申請書類のチェックは、URAの仕事として大きなもののひとつでした。もちろん事務の方々にもチェックのフローがあり、それは実際よくできています。ただ、事務の方々がチェックするのは一般的なことにとどまり、通常、内容には立ち入りません。そこで、内容に踏み込んだチェックを行うのが、URAの重要な業務のひとつなのです。その他、科研費の会計処理や、研究者総覧の作成といった仕事もおこないました。
 とはいえ、当時のURAのポジションは、いわゆる任期付きでした。私がURAになった当初は、任期なしの職員の募集は全国的にみても少なかったのです。しかしその3年後、他の大学で、何年かまじめに働くと任期の定めのない職員になれるURAの公募がありました。他大学の研究支援に求められていることも知りたかった私は、これに応募しました。それが、今の職場である筑波大学です。筑波大学のURAはそのほとんどが理系で、文系の博士はかなり珍しがられたのを覚えています。
 筑波大学のURAの仕事は、おもに研究戦略の策定・実行、そして研究資金の獲得支援です。前者は、字面からイメージされるような「研究そのものの戦略」というよりはむしろ「研究のバックアップ戦略」を考え、実施していくもので、学内の研究力を分析したり、学内公募を企画・運営したり、外部に向けた研究広報を強化したり、どうしたら研究者がより研究に集中できるような環境にできるかを検討したりします。そして後者に関しては、先述のような科研費申請書類の改善支援をおこなったり、研究費獲得に関する相談会や模擬ヒアリングを開催したり。URA全体のおおよそ半数が大学本部、半数が各部局に所属し、大学や各部局のボトムアップにかかわる、実にさまざまな業務を柔軟に進めます。
 なお、URAが誕生してから年月がたって、各大学の内部ではURAの定義が少しずつ固まってきたようではありますが、その定義は大学によって異なります。全国の大学を見渡すと、URAは主に研究資金の獲得支援を行うという大学もあれば、もっぱら産学連携に関する仕事を行うという大学も多くあるようです。

研究の評価指標をつくる

 筑波大学の本部URAとして働き始めてから3年目に、学内交流を目的として、筑波大学人文社会国際比較研究機構(ICR)に異動することになりました。ここで着手した仕事は、やや特殊とはいえ、URAならではともいえるものですので、特に紙幅を割いてご紹介します。
 ちょうどこのころ、文部科学省から人文社会科学系(以下「人社系」)の学部や大学院に対する問題提起があり(※1)、人社系研究の成果発信、そして社会との関連づけが強く求められ始めました。そこで私は、人社系の研究成果の重要性評価に使えるような指標の開発に着手することになったのです。
 それまで、人社系の学術誌は、重要性を国際的に評価することができませんでした。たとえば理系でよく使われる指標である雑誌のIF(Impact Factor)は、論文の被引用数に基づくもので、エルゼビア社のScopusなどの論文・引用データベースがもととなって算出されていますが、Scopusに収録されている学術誌の多くは使用言語が英語であり、それ以外の言語で書かれた論文はほとんど収録されていません。人社系の研究者がその研究成果を国内の学術誌に発表している場合、使用言語はたいてい日本語のため、評価の対象となっていないのが現実でした。
 そこで、筑波大学の人社系の先生方にも協力していただきつつ、他大学の人社系URAにも声をかけて、全ての分野の論文を統一的にはかることができる指標について、議論を重ねていきました。そうしてできた指標が、iMD (index for Measuring Diversity)です。この指標はその名の通り、雑誌の多様性をはかるもので、1年間に掲載された論文の著者の所属が多いほど、また所属機関の立地する国が多いほど、大きな値となります。つまり一般的に、学内紀要より全国レベルの学会誌、さらにそれより国際的なジャーナルで、高い数値が出るようになっています(※2)
 構想から数年経ち、この指標は結果として、大学から特許出願するまでに至りました。少額ながら科研費も得て行ったこの仕事は、自分としてもとても楽しいものでした。それまでにも、国内誌を含む学術誌の統一的な評価を目指した本格的な指標作りの議論はあったものの、研究者だけではまとまらなかったようです。研究者と、人社系のバックグラウンドを持つURAが協力できたからこそ得られた成果ではないかと自負しています。

写真1
企画・運営に携わった研究大学強化促進事業シンポジウム(2019年)にて。筆者は司会を担当。iMDをはじめとする研究評価指標について議論が行われました。ここで出会った登壇者のレベッカ・ローレンスさんと、後述の「筑波大学ゲートウェイ」を一緒に立ち上げることになります。

いつの間にかアカデミアを離れていた

 私の研究は、大型装置などは必要なく、試薬を使うこともなく、PCと史料さえあればどこでもできるものです。URAとなってからも、分担執筆や指導教官の退官記念論文集への寄稿など、依頼があれば対応していました。職種としては研究者ではないものの、研究は続けられたのです。過去に経験してきた高校・大学の非常勤講師や大学の非常勤職員と同様、URAと研究とを両立させることは、それほど難しくはなかったのかもしれません。
 しかし、時がたつにつれ、先述のiMDについて講演したり、それに関する学会報告用の論文を書いたり、大きなシンポジウムを企画・運営したり、海外の展示会に出展したりと、徐々に今の仕事が忙しくなり、自然と、本来の専門である情報と経済の研究をしなくなっていきました。毎日のようにさまざまな研究に触れていられる現場で、研究者としての経験が役立つことも増えているため、自分としてはアカデミアを離れたつもりはなかったのですが、少なくとも研究のプレーヤーとしては、いつの間にか離れていた、というのが実感です。

人社系URAの野望

 ICRでの勤務を3年間経験した後にいったん大学本部に戻り、2019年度には経済産業省に1年間出向して(省庁における予算の組み方やお金の流れを勉強してくるためでしたが、URAの省庁出向はあまり一般的ではありません)、その後また大学本部に戻って、現在に至ります。
 いま博士課程の方や博士号をお持ちの方に、URAの仕事をお勧めできるかといえば、立場上はできません。研究者の方々に、第三者の目から「もっとこうすれば伸びますよ」とアドバイスするのもまた、私たちURAの仕事だからです。
 ただ、私自身はとても楽しくやっています。やりたいことがあれば、実行までの手続き上の理不尽な壁がほとんどないのが魅力です。現在の場合、研究推進について何かを企画して、所属する室の室長レベルでOKが出たら、もうそれで実行可能です。室長レベルで判断しかねるという案件は副学長に諮ります。副学長も判断しかねたら学長です。この速さ。ICRにいたときなどは特にそれが顕著で、機構長の部屋が隣の隣にあり、扉をコンコンとやって、「これやりたいんですけど、いいですか」と気軽に相談できました。所属組織の中枢に比較的近いところで、やりたいことを主体的に提案して、実行に移していけるのです。バックグラウンドが文系であれ理系であれ、こうした醍醐味は共通ではないでしょうか。(ただこれは諸刃の剣でもあって、普通は副学長からいろいろなところを経てやってくるはずの仕事が、提案をしたついでに、直接降ってきてしまったりもするのですが……。)
 人社系のURAとしての私の究極目標は、国内の人社系の研究成果やそのクオリティを、日本のみならず世界に示すことです。そのための取り組みの1つが、先ほどご紹介したiMDであり、もう1つがオープンサイエンスの推進です。後者については、具体的には筑波大学ゲートウェイ(※3)が2020年11月に公開予定です。これは、F1000 Research(※4)というプラットフォーム上に設置されるゲートウェイです。このプラットフォーム上に投稿された論文は、誰でも無料で読むことができますが、なかでも筑波大学ゲートウェイの特色は、日本語の論文でも投稿可能だということです。従来は、海外から、あるいは国内でも研究機関の外から日本語の学術誌にアクセスすることは困難でしたが、このゲートウェイを通して公開された論文であれば、世界のどこからでも、無料で読めるようになります。人文社会科学の研究成果は見えづらいと言われますが、こうしてさまざまな人が人文知にアクセスできるようになれば、もっと豊かな社会になるのではないでしょうか。
 もちろん、また別の方法もあるかと思います。一緒に考えてくれる人社系の博士が、URAにもっと増えていってほしいと願っています。

※1 国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて(平成27年6月8日文科高第269号文部科学大臣通知

※2 IFは「たくさん引用されていれば、たくさん読まれているだろう」という見地からの指標で、iMDは「たくさんの国や所属機関の人が共著者になっていれば、たくさん読まれているだろう」という見地からの指標といえます。実際、IFがついている雑誌については、IFが高い雑誌はiMDも高い傾向があります(https://icrhs.tsukuba.ac.jp/tsukuba-index/)。

※3 https://ura.sec.tsukuba.ac.jp/utgateway

※4 F1000 Researchプラットフォーム(https://f1000research.com/ )はTaylor&Francis GroupのメンバーであるF1000 Research社によって運営されており、ここに投稿された論文は、投稿された時点でDOIが付与され、誰でも無料で読めるほか、査読プロセスもウェブサイトで公開されます。このプラットフォームにはすでに、さまざまな研究コミュニティのゲートウェイが存在します。


【もりもと・ゆきひと】

京都生まれ。関西大学大学院経済学研究科にて博士(経済学)の学位を取得。関西大学URAを経て、2013年度より筑波大学本部URA。2017年に人文社会分野から特許出願(特願2017-138751)、2018年にはURA業務の一環として、科研費の奨励研究獲得。日課は愛犬との散歩。

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