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3.11を心に刻んで

近藤武夫〈3.11を心に刻んで〉

他人の考えや感情は何らかのルートを介してあなたに伝えてもらわなければなりません。でも、あなた自身の考えや感情はじかにすぐ触れられるから、リアルなのです。
(デヴィッド・フォスター・ウォレス、阿部重夫訳『これは水です』田畑書店)
*  *
私は2011年3月11日には、米国西海岸の大学に所属していて、日本国内にいなかった。それは時差のため3月10日の夜のこと。国際電話もつながらず、海外からは何が起こっているのか情報が得られなかった。つまり私は、あの日、あの地震を体験していない。
 その後帰国してからは、障害のある子どもたちの支援に福島県に入った。海辺の町のすべてが押し流され、うずたかく、文字通り山脈のように積み上げられた瓦礫や車を目にした。2016年の熊本震災直後の益城町を訪れた際は、避難、復興やボランティア、行政の動きに、3.11の経験が活かされていることを学んだ。1995年1月17日の阪神淡路大震災、つまり1.17の経験もまた、熊本の復興に活かされていることを知った。今、私は縁あって神戸市の皆さんと研究活動をしているが、地元の人々から1.17の体験が昨日のことのように語られる場面は珍しくない。人々の思いは連綿とつながり、現在も命を救っている。
 同じ体験をしていることは、人々が互いに思いを共有するときに、大きな意味を持つ。相互理解の根底には、体験の共有と共感がある。ただ、3.11も1.17も、私はそれをじかに体験していない。また、あなたと私が一緒に見ている同じ海の色も、私とあなたでは全く違うものに見えているかもしれない。私たちの共感の根っこは揺さぶられる。体験した者とそうでない者では、目の前に見えている世界が違うものに見えることがあるに違いない。ゆえに相手との違いを前提とし、相手が見る世界について学び、想像し、尊重することの大切さは、私たちの常識になりつつある。反面、「私は理解できているか? 当事者たりうるのか?」という隔たりやジレンマが生まれてしまうこともある。
 ただ、そうしたジレンマがあることにも、意味を感じることがある。私の学問の基礎である心理学は、間主観性にまつわる問題を認めたうえで、それでも現象を誰かと共有するための方法を、150年間ずっと、探し続けてきた。人間には自他の経験の違いを超えて、誰かとの共感を志向する、やむにやまれぬ衝動がある。私自身を含め、あの揺れそのものを体験していない人間たちが、その爪痕を知り、追体験しようとする行動に、人間にとって、何か本質的な意味があるのだと信じている。
 思えば、私が3.11を海を越えた場所で知った3月10日は、10万人が亡くなった東京大空襲の日だった。3.11を経験していない人々が、記憶と経験を未来へつないでいく営みを、ちょうど戦争体験をしていない子どもたちが、次の世代へ反戦と平和への共感を自らのものとしてつないでいくように、支えていかねばならないと思う。私の中で、3.11というキーワードは、それらを分かちがたい意味のあるもの、命と共感のつながりを象徴するものとして結びつけている。
 
(こんどう たけお・特別支援教育)

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