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3.11を心に刻んで

細見和之〈3.11を心に刻んで〉

爆心地に私たちが見たもの、それは何もない空間だった。そこには焼け崩れた家も瓦礫もなく、ただ白くのっぺりした地面が拡がり、わずかに土壁に入っていた竹片らしいものが点々と散らばっているだけだった。

(徳永恂『結晶と破片──現代思想断章』国文社)

*  *

 上の文章は、私の学問上の恩師、徳永恂さんが原爆の投下後、長崎へ入る最初の汽車で現地を訪れたときのことを描いたエッセイ「忘れえぬ光景」の一節である。当時、熊本の旧制第五高等学校の学生だった徳永さんは、長崎に新型爆弾が投下されたというニュースに接して、長崎の実家の安否を気遣って、友人とともに爆心地を訪れることになったのだ。敗戦間際、すでに空襲にも焼跡にも爆死体にも慣れっこになっていた徳永さんだったが、爆心地の何もない「ただ白くのっぺりした地面」はそんな彼を打ちのめした。徳永さんはさらにこう書いている。「あの爆心地の何もない広場、無のうちに露出していた白い地表。その光景が与えた衝撃は、人間を超えたものから到来し、人間を人間以下のものに突き落すかのように私を叩きのめした」。
 徳永さんが大学生となってからの主な研究対象はウェーバー、ハイデガーだったが、1960年から2年間、フランクフルト大学でアドルノに師事して以降は、アドルノ、ベンヤミンも大事なテーマになり、その延長で徳永さんは、アドルノとホルクハイマーの記念碑的な共著『啓蒙の弁証法』を翻訳する長期にわたる仕事を続けていった。私はその翻訳の最後の局面で、徳永さんの研究室で学ぶ身となっていた。翻訳の校正刷をまえにして、他の受講生とともに、私も訳文のひとつひとつを原文と照合していったのだった。
 ウェーバー、ハイデガー、アドルノ、ホルクハイマー、ベンヤミン……。彼らはいずれもヨーロッパ近代に対して、それぞれの立場から、場合によっては敵対し合う立場から、根本的な批評を向けてきた思想家だ。そして、彼らにそくしてヨーロッパ近代について考えてきた徳永さんの根底には、あの「ただ白くのっぺりした地面」がたえず存在していただろう。「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である」というのは、アドルノのあまりに人口に膾炙した言葉だが、徳永さんのなかではそこに「原爆のあとで」という区切りがいまもはっきりと重なっているに違いない。
 思想家についての研究には、ある種のこだわり、深いモティーフが必要だとあらためて思う。そうであってこそ、思想家についての研究それ自体が、固有の思想的な営みとなることだろう。私たちは東日本大震災をそういうモティーフのひとつにできるだろうか。

 
(ほそみ かずゆき・ドイツ思想)

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