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アカデミアを離れてみたら

ライフサイエンスを社会に活かす〈アカデミアを離れてみたら〉

大隈貞嗣(H.U.グループホールディングス株式会社、富士レビオ株式会社)

 私は現在、H.U.グループホールディングス株式会社および富士レビオ株式会社に勤務しております。H.U.グループホールディングスはいわゆる持株会社で、医療に関わる複数のグループ企業の集合体といってよいでしょう。富士レビオはその中でも、臨床検査薬、検査機器事業の中心となるメーカーです。新型コロナウイルス関連で比較的頻繁にメディアでも目にする名前になりましたが、臨床検査事業というのは一般にはそれほどは知られてこなかったのではないでしょうか。社の歴史は古く、1950年創業、世界初の梅毒検査製品の開発など、医療の基礎を支えてきた国内企業です。
 現在の職場には博士号取得者やポスドク経験者は珍しくなく、博士の就職という意味での壁は低くなりつつあると思います。一方で、博士として専門的な技能を求められると同時に、特に中途であれば企業人としてのスキルも必要とされる点には難しさがあるかもしれません。

理学部から医学部教員へ

 私は理学部出身で、関西の生命科学系の大学院に進学し、線虫の代謝シグナル制御に関する研究で博士号取得後、ポスドクを2年ほどしたところで運よく地方大医学部の助教職に就職しました。その時点で企業へも就職活動をし、ベンチャー企業へのインターンにも参加していましたので、当初から意識としてはアカデミア一辺倒ではなかったといえます。同時期にあるベンチャー企業からも内定をいただいており興味もあったのですが、職務内容がかなり専門からずれていたので、その際には大学教員を選びました。
 大きく言えばライフサイエンスとはいえ、医学部での仕事は、理学系ポスドクとはかなり違うものです。まず、研究モデルは線虫からマウスに変更しました。線虫は個体としての基本的な生命メカニズムを探求するには有用なモデルですが、免疫、血管、神経などヒトの具体的な生理に関する研究には向いていません。医学部での研究は、当然ながら医学的、医療的意義との関連を問われます。また、教育も重要な職務です。医師免許はないので臨床教育はできませんが、基礎医学についてはOJTで身につけました。遺伝学や分子生物学の知識は基礎医学教育においても有用で、単なる暗記ではなく背景や歴史を踏まえた教材作成は学生にも好評でした。退職した後も、私の作成した教材は後任の先生に活用されていると伺っています。また、残念ながら製品化には結びつきませんでしたが、特許申請にも携わりました。
 大学での業務は得るところが多いものでしたが、同時に限界もありました。まず大学院生の減少です。現在でも有名大学ではそれほど問題にならないのかもしれませんが、地方大学での大学院生の減少は顕著です。私の勤務先講座でも、最終的には社会人院生が1名となりました。本来、大学院生を労働力として当てにするべきではありませんが、技術員もいない状況でしたので、マンパワーの不足は研究業務においては痛手です。そのころ、少々大きな病気をして手術を受けたこともあり、ワンオペの体力にも陰りが生じます。
 そんな中で、教授が定年前に退職することになりました。私のポストは再任可の任期制でしたが、慣例的には、教授が替わった場合はスタッフも入れ替わるという文化がありました。制度的には残ることは可能でしたが、研究テーマは変更となります。

そして産業界へ

 いずれ変化が必要ならと、かねてより関心のあった企業にチャレンジすることにしました。42歳でしたので、転職としてはぎりぎりのところだったでしょう。
 就職活動として行ったのは、まずは第二新卒用の転職サイトへの登録です。また、医療系に特化したエージェントを見つけたのは幸運でした。結局、最終面接までいった企業としては3社目で、現勤務先に内定をいただきました。
 アカデミアから企業への転職に際してやっておけばよいと感じたのは、志望企業の分野に関連する英文レビューを読んでおくことと、SPI対策です。日本語の情報の多くは世界から一歩も二歩も遅れているため、英文レビューが読めるということはそれだけで大きな武器となります。自分のやってきた仕事については今さら変えることはできませんし、その説明は研究者なら嫌というほどやってきたことです。問題は相手の仕事に関心を持ち、理解することです。また、大人として最低限の社会知識があることも示さねばなりません。
 さて、現在の勤務先は、上述したようにH.U.グループホールディングスおよび富士レビオです。R&Dセクションの「研究開発企画課」という部署で仕事をしています。業務は多岐に渡り、文献調査、研究提案、契約締結、データ解析、当局への申請業務などなど。研究開発の入り口と出口に関わる仕事といったところでしょうか。入社して間もないにも関わらず、複数の大きなプロジェクトに関わっていることには、「博士」としての期待や信頼は無関係ではないものと思いますし、これに応えることが「博士」への信頼を社会に醸成する一歩なのでしょう。本来の専門である代謝疾患に関わるプロジェクトのほか、がん疾患に関するもの、そして新型コロナウイルス感染症(COVID-19)も大きな案件です。

COVID-19という嵐

 これは巡り合わせというほかないのですが、私が入社後1年弱というタイミングで、COVID-19のパンデミックが起こりました。インフルエンザやSARSの検査薬開発の経験とノウハウを持つ富士レビオでは、異例のスピードでCOVID-19検査薬の開発に突入します。私も中途とはいえ新人でありながら、嵐のような現場に参加しました。そして富士レビオのみならず、H.U.グループの総力を挙げた怒濤の仕事の結果、日本初のSARS-CoV-2簡易抗原検査キットや、世界初のSARS-CoV-2抗原定量検査キットの開発に成功しました。もちろん現在も新型コロナウイルス感染症は世界で猛威を振るっており、製品の改良、開発も継続しています。まだまだ嵐は過ぎ去ってはいないとはいえ、今振り返っても、貴重な経験をした実感があります。
 この間、アカデミア出身の私としては「企業の強み」というものを明確に感じました。もちろん企業もさまざまなのだとは思いますが、日本のアカデミアが見習う必要があると感じたものとして2つの点が挙げられます。
 まず、数十年間の経験やノウハウが着実に受け継がれており、状況に即応して引き出し、組み合わせ、応用できること。資源も情報も限られた中、富士レビオが今回の製品開発でスタートダッシュできたのは、これまでの膨大な人的・物的・知的蓄積を結集し活用したからこそです。一般論としていわゆる流動性は必要なものでしょうが、そのために過去の蓄積が損なわれてしまうようでは、本末転倒といえるでしょう。
 また、仕事のあらゆる側面においてプロフェッショナルがおり、かつプロフェッショナルとして扱われること。研究開発はもちろんのこと、販売、調達、包材、広報、品質、法務、知財、財務、人事などなど、製品を世に出すにはあらゆる分野の仕事が必要不可欠であり、「雑用」という仕事は存在しません。もちろん企業内には役職による上下関係はありますが、業務内容によるヒエラルキーはなく、それぞれの仕事へのリスペクトを感じました。

インドのインキュベーション施設で起業家を前に講演。インドの起業家の熱量に圧倒されました。
もちろん、学会参加も業務のひとつです。

企業という世界の文化

 業務内容や扱う分野の範囲は、アカデミアにいたころよりもはるかに広くなりましたが、身体的、精神的にはむしろ楽になりました。というのも、わからなければ誰に、どこに聞けばよい、あるいはここで無理ならあちらに渡せばよい、なにをどこまでやればよい、という点が明確だからです。私は医学やライフサイエンスの論文やデータを読み解いたり、それらを基に論理や文章を組み立てたりすることが専門ですが、ビジネスに関してはまだまだ未熟ですし、外国語、法律、統計、IT技術など、それぞれに秀でたメンバーがいます。1人で抱え込まずにそういったチームで問題解決を図る企業文化が、私には向いていたということでしょう。
 アカデミアから企業へ移る際によく言われる難点として、「好きな研究ができない」というものがあります。これはイエスであり、ノーでもあります。確かに、企業は組織で動きますから、個人の思いつきで勝手に社の資源を使うことはできません。ただし、企画提案は歓迎されており、アイデアが上に認められれば、使える資源や裁量は大きく、製品になれば研究者として論文も書けます(実際、私も共著論文を一報書いているところです)。もちろん、それがメリットをもたらす見込みを説明できなければなりませんが、これは結局のところ、アカデミアでも大きくは変わらないと見ることもできます。少なくとも、好きなことを好きなようにやってよい、という牧歌的な時代は過ぎ去ったという認識は、アカデミアでも共有されているのではないでしょうか。

インドのインキュベーション施設で起業家を前に講演。インドの起業家の熱量に圧倒されました。
休日は高尾山に登ったり。メリハリが大事です。

博士、知の種を蒔く人

 社会の中での企業とアカデミアの役割は違いますし、そこにきちんと線を引くことは必要です。しかしながら、COVID-19が明らかにしたように、世界における問題は複雑化、高度化しており、企業だけ、アカデミアだけで解決できるものではなくなっています。本来、大学院重点化は博士の多様な分野での活躍を想定したものと聞いていますが、残念ながら未だ十分に機能していないともいわれています。それぞれの役割をリスペクトしながら、社会や世界の問題解決に貢献していく、博士とはそういう知的な架け橋になるべき存在ではないか、と改めて感じています。
 実際、社内、社外問わず、お互いに博士号を持っていることがわかると一気に話題が広がり、打ち解けることが多いです。「同じ釜の飯を食った」とまではいいませんが、博士号を取得する、また取得した後の苦労はどの分野でも通じるものがあり、またそこに挑んだ知的志向性には信頼を感じます。
 ここに来て思うのは、やはりこういったことは文化と同じで、徐々に土壌が耕されてくるものである、ということです。その場しのぎの数合わせではなく、少しずつでも博士が社会の各所に進出していくことで、やっと芽が出てやがては森に……という流れをつくるような気持ちで、進んで行きたいと思います。


【おおくま・さだつぐ】

高知県生まれ。京都大学生命科学研究科博士課程修了。博士(生命科学)。三重大学医学系研究科助教を経て、2019年より富士レビオ株式会社に勤務、現在はH.U.グループホールディングス株式会社兼務。趣味は珈琲焙煎とジャムセッション。

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