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アカデミアを離れてみたら

「アカデミアを離れてみたら」特別編 嘉田由紀子さん(参議院議員、前滋賀県知事)に聞く

 本連載のテーマにおいて「伝説」というべき方へのインタビューをお送りします。今回は、参議院議員で前滋賀県知事の嘉田由紀子さん。研究者から政治家への転身のいきさつ、怒濤の選挙戦、そして政治とアカデミアの問題まで、縦横に語っていただきました。

(聞き手=編集部)

埼玉、アフリカ、そして琵琶湖へ

──まずは、政治の道を目指されたきっかけから、お話しいただけないでしょうか。

 そもそも私が学問、広く社会学を目指したのは、子ども時代からの経験がきっかけです。私は埼玉県の養蚕農家で育ったのですけど、昭和20年代、30年代の農家の女性の暮らしは、家制度の男尊女卑の中、結核になっても薬代もないくらい大変な状態でした。母の暮らしを見ていて、農村女性の厳しさをどうにか改善したいと思って、社会学を志しました。
 農業をやりながら、梅棹忠夫さんや中尾佐助さんといった、京都大学(京大)から海外へ学術調査に行かれた方々の本を読んで、電気もガスも水道もないアフリカに行きたいと、高校時代から思っていました。1960年代です。女一人アフリカに行くにはどうすればいいか考え、やはり京大の探検部に入るしかないと考えて、埼玉の農村から京大の入試を受けました。入学してみたら、京大探検部は女人禁制だとわかったんですが、そこに押し入って、大学3年の時に1人でアフリカに行きました。
 半年アフリカで暮らして、あらためて発見したのが、コップ一杯の水、ひと皿の食べ物の価値です。自分はやっぱり、女性の問題も研究しながら、水とどうやって人類は共生してきたのかという研究をしたいと思いました。ただ当時、そういう研究テーマを受け入れてくれる日本の大学はなかったので、3年間、アメリカのウィスコンシン大学の大学院に留学しました。
 そこの指導教員がヒントを下さった。「水との共生の研究だったらアフリカでもアメリカでもない、日本に帰りなさい。日本の水田農村は、水との共生社会を1000年以上も維持している」と。また、留学前に結婚をしていて、長男をアメリカで授かり、当時は子育てにも悩んでいたのですが、社会心理学の先生が、「ユキコのようなアチーブメント意識の強い女性には、専業主婦は向かない。仕事をしながら納税者になり、社会で子どもを育ててもらいなさい」とアドバイスを下さったのです。ありがたかったです。
 そこで日本に帰国して、水田農村における水と人間の関わりの研究を始めました。日本の身近なところで、子育てしながらできる研究ということで、琵琶湖周辺の集落──3000集落ほどもあるんですが──を回りながら、水と人間の関わり、恵みと災いについて学ばせてもらうというフィールドワークを、徹底してやりました。子どもや女性・家族の問題、仕事との両立を身をもって体験しながら、同時に水と環境の研究をするという二本柱でやってきたわけです。
 ちょうど博士課程が終わった時に、滋賀県の、当時の武村正義知事が、琵琶湖研究所(※1)という、かなり基礎学問のできる研究機関を作ってくださるということで、1981年春、その準備室の、初代の社会学の研究員として採用してもらいました。

知事の姿勢にカチンときた

 そういうなかで、なぜ私は政治家か。これには、国や地方自治体による河川の政策や、地域の住民運動が深くかかわっています。
 まず明治時代、1896年の河川法制定当時には、洪水対策としての「治水」が最も重視されていました。昭和の高度成長期の真っただ中の1964年には新河川法が制定されて、治水に加え、水を利用する「利水」が加わった。
 ただ、治水と利水だけでは、川がコンクリート張りになって、生きものが暮らせなくなっていきます。私自身、それを目の前でみてきました。そこで私は平成に入って、琵琶湖周辺での住民参加型のホタル調査「ホタルダス」をおこなうなど、住民参加型調査によって川や琵琶湖の環境を改善していこうという提案をしてきました。そしてそれらの調査は、1996年に開館した住民参加型博物館、琵琶湖博物館の設立につながっていきました。
 当時、日本の他の地域でも、こうした川の運動やダムの運動がいろいろあって、その流れをうけて1997年、河川法の改正がありました。それまでの治水・利水にプラスして、環境保全と住民参加を、という趣旨の改正です。
 ちょうどその河川法改正の後で、各河川の整備のしかたを議論する「流域委員会」というものが日本中にできました。琵琶湖・淀川水系については、2001年、国土交通省の近畿地方整備局が「淀川水系流域委員会」を設置します。私も研究者として、法改正の結果を現場に反映したいという思いを持っていたので、この委員会に最初から参加しました。
 委員会では400回以上も議論をして、2003年1月、「ダムは原則として建設しない」という提言を出したのです。これをうけて近畿地方整備局は、2005年の7月1日に「淀川水系5ダムについての方針」を発表しました。そこでは、滋賀県内に計画されていた大戸川ダムと丹生ダムの2ダムの事業について、「当面実施せず」とされたのです。
 しかしその直後、当時の國松善次知事が、ダムは必要だ! と国土交通省に陳情に行ってしまったのです。一方では環境保全と言う知事が、一方ではダムの是非について何の議論もせずに、琵琶湖について研究している研究者の誰にも、一言も意見を聞かずに、ダムは必要だと。ここで私はカチンときました。
 400回も議論をして、ダムだけでは洪水を減らせないと結論された。いくらダムを作って、ダムや堤防の中に洪水を閉じ込めようとしても、時としてあふれます。特に、温暖化が進んで気候変動がおきたら水害も激甚化します。あふれた時に被害を減らすため、流域全体で治水をおこなう「流域治水」という仕組みを提案しているのに、全然、知事が扱おうとしない。学者が何十冊本を書いても、何百回議論して提案しても、知事の一言で、またダム推進になるんだ。これは自分が知事をやるしかない、という風に、スイッチが入っちゃったのです。
 それが2005年の7月です。翌2006年の7月2日の知事選挙にむけて、2006年の4月1日に立候補の決意をしました。

3人からの出発

 大変でした。だって、全然選挙の経験がないんです。 小坂育子さんという、ホタルダスや湧き水の住民参加型調査を一緒にやっていた親友の方と、若いパソコン技術者の教え子と、最初は3人で始めました。
 知事選挙、3人とも何にも知らない。選挙ポスターって、あちこちの道路端の掲示板に貼ってあるじゃないですか。あれ、選挙管理委員会が貼ってくれるんだと思っていたくらいです。誰が貼るんだと思う?

──それぞれの陣営のスタッフでしょうか。

 ですって。私、それを知らなかったんです。知事選挙のポスターって何枚必要かというと、滋賀県全体ですから、4900枚。こっち3人しかいないのよ。4900枚どうやって貼るんですか、というところから始まって、とにかく大変だったんです。
 4月18日に、琵琶湖の浜辺で記者会見をしました。それで一応記者さんは来るけど、みんな泡沫候補だと思っている。その時の選挙の構図は、2期を終えて3期目を目指す現職と、共産党。そこに私が3人目の候補者です。誰も勝つと思っていない。
 結果的には、ポスター貼りには息子2人が協力してくれました。当時、長男は県立病院の医者をしていて、次男は大学院生です。長男は、「わかった、あんたが決意するなら、俺は医者をやめて選挙手伝う」と言って、ポスター貼りなどの準備をしてくれました。かつてホタルダスの調査をしてくれた3000人の名簿をもとに、この村にはこういう人がいるから、この人にはここに貼ってもらう、とか整理して、ポスター貼りを頼みに行くわけです。次男も、選挙事務所で人の出入りに応対してくれて、まるで家族選挙です。
 あとは、住民運動をやっていた人たちも応援してくれました。この人たちはやっぱり心強いですね。私は30年間滋賀県内を歩いて、本当にいろんな人とつながりを持っていたので、その人たちがまさに党派を超えた、草の根のつながりの応援をしてくれました。
 ただ、私の連れ合いは大学の教授をしていたのですが、反対でした。私は嘉田家の長男の嫁だったんですが、嘉田家では政治活動はタブーだと言われたのです。「長男の嫁が政治に出るなんて」、「知事選に出るなら離縁や」と。そして離婚されたんです。だから、学者として選挙に挑戦すること以上に、離縁されたことが私にはつらかったです。
 埼玉の実家の父は市議会議員で、姉も父の跡をついで市議会議員でしたが、そちらも大反対です。「市議会議員の選挙だって大変なのに、あなた知事選ってなに言ってるのか!」って。

インドのインキュベーション施設で起業家を前に講演。インドの起業家の熱量に圧倒されました。
2006年4月18日、琵琶湖畔での出馬宣言。提供:嘉田由紀子事務所。

三途の川を渡ったみたいだった

──研究者仲間の方々は、手伝ってくださらなかったのですか。

 そこなんです。今回、一番言いたいのはそこなんです。
 三途の川を渡ったみたいでした。
 社会学、なかでも環境社会学の研究者として、やっぱり地域の環境保全に貢献できる研究をしたいということで、参加型博物館を作ったりしてきたけれども、これからはダムだけに頼らない流域治水とかを、いろんな理論に根ざして実現しようと思う、そのためには、本何十冊書いてもダムひとつ止まらないんだから、私は知事選挙に出るよ──と言った時に、学者は、ゼロではなかったけど、ほとんど関わってくれませんでした。選挙事務所にも来てくれません。
 ただ、裏では応援してくれていた。環境社会学の学会の人たちも、「滋賀県に知り合いはいないか」「嘉田さん頼む」と、電話やハガキで応援してくれてはいたんですが、2カ月間の間に、環境社会学の人だれ一人、選挙事務所に応援に来てくれませんでした。
 「嘉田さんって政治の世界に入るんだ」と。政治は汚い世界と思われていたのでしょうか。もちろん、政策を実現するには大事だ、と評価をしてくれる人もいるけれども、一般的には「あっちの世界」。だから、三途の川を渡った、そんな寂しさを、実は覚えました。

──表には出てこられないというのは、なぜなんでしょうか。

 人によって違うとは思います。ただ、今の日本学術会議問題とも関わると思いますが、教育基本法第14条に、「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」という一文があります。だから特に大学の教員は、政治に関わってはいけない。それから公務員も、政治に関わってはいけない、特に公務員の地位利用をしてはいけない(※2)。そういうこともブレーキになっていたんだろうと思います。
 本当に、寂しかったですよ。アカデミアを離れてみたら、三途の川だった。

完全に泡沫候補

 必要性の低い公共事業を見直して、そしてもっと教育とか、文化とか、子育てとか、人を育てるところにお金を入れようと。そこで3つの「もったいない」を政策で訴えました。1つめは、税金の無駄遣いはもったいない、新幹線の新駅(当時、滋賀県栗東市に計画されていた)やダム(当時、滋賀県内では6つのダムが計画されていた)は見直します。2つめは、子どもや若者が生まれ育たないのはもったいない、お母さん1人だけの子育てじゃない、社会全体で子育てを支えましょうと。3つめは、琵琶湖の環境を壊すのはもったいない。
 自民党、民主党、公明党、共産党も含めて、すべての政党に推薦依頼を行ったんです。そしたらありがたいことに、各党が政策を聞く場を作ってくださいました。
 しかし結局、自民党は、ダムは必要、駅は必要で推薦できないと。民主党は、ダムはなしでもいいけれども、駅は必要ということで、やっぱり推薦できない。公明党は自民党と一緒です。共産党は、ダムも駅もいらないけど、うち候補者だしているから、ということで推薦できない。結局、社民党からしか推薦をもらえませんでした。自民・民主・公明と、連合滋賀(労働団体)や滋賀県医師会など270の地域団体、すべて現職推薦でした。そして後は共産党です。そこのど真ん中に私が入って、完全に泡沫候補でした。
 ただ、47人の県議会議員のうち、3人だけがついてくれました。自民党系の人、社民党系の人、民主党系の人が1人ずつ。その人たちが、選挙のやり方をかなり教えてくれました。
 当時の私の選挙戦略の第一は、わかりやすい「暮らしことば」で訴えること。例えば財政再建とは言わずに、「税金の無駄遣いはもったいない」。少子化対策とは言わずに、「子どもや若者が生まれ育たないのはもったいない」。環境対策とは言わずに、「琵琶湖の環境が息苦しくなっている、壊したらもったいない」と。
 自分で書いた政策のチラシを、徹底的に全戸配布しました。60万世帯。そして最後は草の根で訴えました。
 ちなみに、街宣では「鉛筆持ったらかだゆきこ!」というのをはやらせました。投票所の鉛筆は民主主義の原点。組織との付き合いとか、みなさんそれぞれにあるかもしれないけれど、最後はあなたの思いで、鉛筆一本の勇気でご投票ください、と。知り合いの先生が「嘉田さんすごいねえ、子どもたちが「鉛筆持ったらかだゆきこ」って歌っとるで」と教えてくれました(笑)。

流れが変わる、そして当選

 知事選挙の運動期間は17日間あるんです。告示前は、マスコミさんもほとんど事務所に来ません。誰も嘉田が当選すると思っていない。
 ところが、選挙が告示された6月15日に、ポスターを貼り切ったんですよ、1日で(※3)。これをみて、「あれ?」ってマスコミも思ったんでしょう。嘉田さんポスター貼れてるよ、事務所はいつもからっぽで人もいないのに、と。本当に事務所に人がいなかったんです、手伝う人が足らない。
 ただありがたいことに、それまで京都精華大学の教授をしていたので、そのゼミ生が一緒に走ってくれました。20歳過ぎたら選挙運動できますから。選挙カーで、ゼミ生が後ろに控えていて、私が降りてマイクで演説している間に、チラシを持ってね、山の上だろうが、わーっと走るわけですよ。そういうのを見て、みんな「この陣営なんか違うな」と思ったんでしょうね。若い人が走っとる。「かだ由紀子をお願い」って走っとる。そして子どもたちは「鉛筆持ったらかだゆきこ!」。
 ポスターを貼り切るわ、若い人が元気やわ、政策を見たらそれなりにまともやと。それでだんだんに波が出てきて、そして6月25日、つまり投票日の1週間前、京都新聞に「嘉田追い上げる」という見出しが出たんです。朝日新聞では「政策で判断。新幹線の新駅反対60%」という見出しが載って、流れが変わってきたなと思いましたよ。
 その後は、街宣していても違うんです。車のクラクションを鳴らしてくれたり、手を振ってくれたりします。マンションの前で呼びかけると、私のシンボルカラーは当時から黄緑でしたから、マンションの上から緑のタオルを振ってくれる。あれは感動の選挙でした。「あら、これ勝てるね」と。
 私は最初から勝つつもりでしたよ。勝つと思ってやっているので、熱はありますよね。「選挙は熱伝導」ということばを、その時、自分なりに生みだしました。どれだけ滋賀県を変えたいか。そして研究者として、変えるための論理があるわけです。加えて、滋賀県内を隅々まで知っているので、車で街宣に行っても、この村のあの川のあそこは蛍がいて、昔は川で洗濯をしていましたねとか、ここは水不足で苦労しましたねとか、村むらごとに、その地域に根ざした話題を引き出すことができる。
 そうした徹底した草の根密着選挙運動で、17日間のうちに、現職が約19万票、私が約22万票と、3万票も差がついたんです。共産党さんが約7万票。びっくりでしたね、みんなは。私と小坂さんだけは、最初から勝つつもりで、そのための戦略を作っていましたから、びっくりはしていませんけど。県民のみなさんが応えてくれたね、と2人で納得しました。

「衆愚政治」と言われて

 その代わり大変ですよ、知事になってからは。新幹線の新駅は工事が始まっていたし、ダムは6つ。毎日、もう怒号の中の県議会。今の菅総理大臣が批判の渦の中ですが、あれどころじゃないです。県議会の47議員の中で、当初から応援してくれたのは3人だけでしたから。
 ただありがたいことに、当時の民主党系は、川端達夫さんがリーダーだったんですけれども、選挙で新幹線新駅が必要と言った自分らが現職を応援して負けたということで、すぐに嘉田支援に変わってくれました。それでもまだ、過半数には届かない。多数派は自民系です。
 「衆愚政治」と言われましたね、県議会の議場で。県民をだまして票をもらった、ということでしょう。そうした批判に対して、「一票一票下さった県民の皆さまの思いを実現するために、私はここに立っています」と、笑顔で応えました。本当に厳しい議会対応でした。けれども、一票一票、まさに鉛筆一本の勇気で背中を押してくださった県民のみなさん、それぞれのお顔を思い浮かべて頑張りました。
 そして翌年、2007年の春には、「知事は代わった、次は県議だ」と、統一地方選挙で、県議会の構成を変えました。「対話でつなごう滋賀の会」という知事派の県議会議員を増やして、自民党を過半数割れに追い込んだんです。結果として、ダムも新幹線新駅も止まりました。

研究者が政治をするということ

 政治は強いですよ。本当に学者として求めていた政策が実現できる。県職員も頑張ってくれました。
 知事を務めた2期8年の間に、なぜ政策がいろいろ実現できたかというと、研究の背景があったからです。研究の背景があると、どんなに批判されても、筋を失わずに初志貫徹できます。「なぜ」がわかるから。なぜダムや堤防だけでは不足で、流域治水が必要なのか。
 流域治水については、土地利用や建物の規制も含め、2014年の3月、全国ではじめて条例化しました。危ないところには住宅や福祉施設等を作らない、作るのであれば嵩上げをする、そして、避難体制をきちんと作る。これはまさに、フィールドワークの中で地域のみなさんから教わった、伝統的な水害との付き合い方です。伝統的な水害対策を、今の政策に入れることができたのです。それに、日本だけではなくて、世界中の水辺の研究もしてきました。例えばフランスだったら、過去の水害履歴を示さないと、土地の取引をさせないとか、アメリカなら、水害履歴を保険に入れるとか、そうしたことを国としてやっているわけです。だから、流域治水が、これからの時代に求められる正しい政策なんだ、ということが自分なりにわかった。学問のおかげです。
 そして少子化対策。現在の少子高齢化は、家族社会学の視点からみれば、なるべくしてなった現象です。日本の少子化は、1970年代にすでに始まっていたのですから。女性に「仕事か、子産みか」の二者択一を迫ったことがひとつの原因です。それと、若い人の所得が不安定だから。そこで滋賀県では、「子ども・青少年局」を新たに設置して、子ども政策と青少年政策の一体化をはかり、女性・若者の雇用対策も含めた子育て支援を行ってきました。たとえば、生まれた子どもが幸せ・生んだ両親も幸せ・結果として社会全体も幸せ、という「子育て三方よし」という政策をやりました。そうすると、出生率ってしっかり上がる、成果が出るんです。これは、社会学者として学んできたからできたことです。「なぜ」を知っていれば、政策は効果が出ます。

もっともっと政治の世界に入ってほしい

 学者は論文や本を書いたら一種の達成感があるけれど、政治家として法令を作ったり、政策を通して社会を変えていったりするのも本当にやりがいがあることなので、ぜひ学者のみなさんに、もっともっと政治の世界に入ってほしい。自分がやっている学問を実生活の中で、あるいは具体的な社会のシステムの中で活かしたいと思う学者のみなさんに、政治家になっていただきたいですね。学問と政治の溝が深いから日本学術会議の任命問題みたいなのが出てくるのであって、もっともっと学問と政治の世界が相互乗り入れできないと、本当にもったいないですよ。
 例えばアメリカでは、学者が政治家になっているじゃないですか。議員にも、知事にも。日本では、そういう人があまりにも少ない。学者が、官公庁などが開く各種委員会に「学識経験者」──私たちは「学経」っていうんですけれども──として呼ばれて議論に加わることはもちろんできますが、学識経験者は、政治の側が自分たちに都合のいい人だけ選べるんです。そういう色がつけられる。だから、多様な意見を政治に反映させるためにもやっぱり、いろいろな背景を持つ学者が政治の世界に入ったほうがいいと思います。学問の蓄積を政治のなかで活かしていくことが、日本の未来のためにも大事だと思います。
 でも問題は選挙ですよね。一番難しいのは選挙です。選挙の壁は高いです。 選挙っていうのはやっぱり、民意ですから。自分が訴えて、その訴えが通じないと、一票につながりません。その訴え方、一票に名前を書いてくださるような訴え方のところが、一番ハードルとして高いと思います。
 選挙を越えたら、民意をいただいているんですから、どんなに反対があろうと、政策実現に向けて主張し続ける根拠ができます。いわば、政策遂行の正当性の担保です。一方で、選挙が汚いなあとか、選挙が嫌いって思われる方は、政治家になるのはなかなかハードルが高いかもしれません。
 私は、言い方おかしいんですけれども、選挙、好きなんです。私の周りの人に言わせると、「嘉田さん選挙大好きだからなあ」。私は選挙で社会を変えられると思っています。

──楽しんでいらっしゃるのですね。

 楽しいんです。選挙カーの街宣にしても、1つずつ集落を回りながら、短時間でも、地域の人と接触できるでしょう。それが楽しいんですよ。いろんなことを教えてもらえるから。演説会に行っても──私は「対話集会」って言っているんですけども── 一方的に演説をするのではなく、みなさんの意見を聴くのが楽しいんです。フィールドワーカーは政治家に向いているんじゃないでしょうか。特に社会学など社会科学畑の人に、もっと政治に入ってほしいです。

──政治家になる以外にも、専門知が政治に活かされる回路が豊富にあるとよいように思いますが、そのあたりはいかがでしょうか。

 霞が関の官僚さんでも、自治体の公務員でも、学者が入っていくのは大事だと思います。「なぜ」の理屈を持っていたら、きちんと筋が通ります。たとえば滋賀県で、流域治水をやった若い職員の中には、博士号をもっている方もいます。私の知事時代には、若い職員が学位をとるサポートもしました。公務員の中には、博士号を活かせる場がたくさんありますから。ですから政治家だけではなく、公務員にも挑戦してほしいです。

インドのインキュベーション施設で起業家を前に講演。インドの起業家の熱量に圧倒されました。
「言い方おかしいんですけれども、選挙は好きです。社会を変えられるから」。2020年11月6日、オンラインでのインタビューにて。

ポスドク問題と日本学術会議問題

 本当に今の日本は、学問の価値を軽視しすぎています。政治家も、経済界の人たちも。新型コロナウイルス感染症のワクチン開発にせよ、温暖化問題のCO2削減にせよ、人類として未知の問題が山積しています。こういう時代にこそ、学問の力が必要です。いま日本学術会議の問題がありますけれども、あれは表層だけです。問題はもっともっと根深いのです。
 例えば私が京都大学の大学院に入った当時から、研究者には本当に就職先がなかったんです。オーバードクターが身の回りにたくさんいました。私の大学院時代の仲間も、博士課程まで行った人たちは、半分くらいがまともに就職できなかったのです。それが1970〜80年代。
 90年代になると、もっとひどくなります。1991年に、当時の文部省が大学院生倍増計画を作って、各大学が大学院を増やしましたが、大学そのものはそんなに教員がいらないし、企業や公的機関の採用でもドクター(博士号取得者)を採用しないし、出口が全く整っていないのです。現在に至るまで、日本は大学院をはじめ、高等教育を終えた人のエネルギーをいわば浪費していて、これは国家的な損失だと思います。
 一方で中国などは、研究にずいぶん予算を入れるので、日本の頭脳が海外流出しています。その中国に流出していることをとらえて、「中国共産党に協力してけしからん」と言う意見が保守系の人たちから出ていますが、そうではなくて、日本の政府や企業が研究を軽視しているから、否応なく外国に行かざるを得ないという状況になっているわけですね。
 日本が本当に科学技術立国であるならば、学術会議で任命権がどうこうという話よりも、もっと根っこのところを議論しなきゃいけない。科学技術立国であるならば、人材を大切にしなければいけない。研究に、それも基礎研究にもっとお金をかけなければいけない。ノーベル賞学者の本庶佑さんや山中伸弥さんも警鐘を鳴らしています。私も、機会があるたびに、研究者の背景を持つ政治家として、そうした発言をしています。
 ただ、研究者の側も反省すべきところはあると思います。「象牙の塔」の中で、社会的にどういう意味があるかとは無関係に、ともかく自分が関心を持つことを追究する。これはこれで大事なんですが、「あなたのこの研究はどういう意味があるんですか?」「どう役に立つんですか?」って言われても、説明できないとか。
 それぞれの研究者の探究心、研究機関の使命感、そしてそれを実現するための研究戦略、こうしたことを、研究者がわかりやすく、社会に説明する必要があると思います。なぜこの研究が必要なのか、そこにどういう予算を入れてほしいのか、どういうリソースを分けてほしいのか。
 先に述べた滋賀県立の琵琶湖研究所では、私が入所した1981年当時から、一貫してそうした説明をしてきました。ですから滋賀県の中で、琵琶湖研究所を潰せという話は出ません。それだけちゃんと、社会に、納税者に説明してきているからです。琵琶湖研究所から生まれた琵琶湖博物館も同様です。
 たぶん、多くの研究機関が、そこのところをサボっていた。私たちは高級な研究をしているんだから、説明しなくていいんだ、予算だけくれ、って。これでは、社会的に認知してもらえません。

あらたな挑戦

 昨年、参議院選挙に挑戦しました。かなり厳しい選挙でしたけど……。「自民党の若手現職42歳に69歳のばあさんが挑戦か!」という、そういう選挙でした。
 滋賀県で条例を作った「ダムだけに頼らない流域治水」を、国全体に広げたいと思っています。そして子育て支援。なかでも、子どもの貧困対策。世界の先進国37か国中、日本は子どもの貧困率が最悪なんです。
 子どもの貧困についての問題意識が芽生えたのは、滋賀県知事をしていたころです。子どもの貧困をみると、片親家庭の貧困が圧倒的に多いんです。特に母子家庭。両親そろっていると貧困率は数%なのが、母子家庭だと半分が貧困。全く違うんです。
 日本では今、3組に1組が離婚します。そして、離婚後の子育ては単独親権。夫と妻が離婚したら、どちらかが子どもの親権を取るんです。これは明治以来、民法で定められています。そこで、時として子どもの奪い合いが起きる。9割以上のケースで母親が親権を取りますが、女性の賃金が低いこともあり、子どもの経済的な基盤は危うくなります。子どもにとっては、父親と引き裂かれるという精神的なつらさもある。離婚後も両親が養育にかかわったほうが、より子どもの暮らしの安定につながるというのは、諸外国のデータで出ているんです。ところが日本はなかなかそれが進みません。先進国の中で、いまだに片親親権なのは日本だけです。片親ではなく両親が親権をもつ「共同親権」にするよう、民法を変えるしかない。
 流域治水と共同親権は、いま国会議員として柱を立てて活動している政策です。国政ではどこまで行けるかわかりませんけど、ありがたいことに流域治水は、国土交通省も方向転換して、いま全国に広げようとしてくれています。こちらはかなり手ごたえがあるけれども、共同親権の方は、かなり社会的抵抗が強い。壁は厚いですが、頑張って、なんとかして法改正まで持っていきたいと思います。

──ありがとうございました。

(2020年11月6日談)

※1 現・滋賀県琵琶湖環境科学研究センター。創設を構想したのは、当時の滋賀県顧問だった梅棹忠夫氏。

※2 それぞれ国家公務員法第102条、公職選挙法第136条の2。

※3 選挙ポスターは告示当日から貼ることができ、当日、どれだけ早くポスターを貼りきれるかが、各陣営の力のひとつの指標とされる。


【かだ・ゆきこ】

1950年埼玉県生まれ。京都大学農学部卒業、ウィスコンシン大学大学院修士課程修了、京都大学大学院博士後期課程修了。農学博士。滋賀県琵琶湖研究所研究員、滋賀県立琵琶湖博物館総括学芸員、京都精華大学教授を経て、2006年より2014年まで滋賀県知事、2019年より参議院議員。専門は環境社会学。著書に『命をつなぐ政治を求めて──人口減少・災害多発時代に対する〈新しい答え〉』(風媒社)、『生活環境主義でいこう!──琵琶湖に恋した知事』、『環境社会学』(以上、岩波書店)など多数。

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