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MOMENT JOON 日本移民日記

第3回 引退します。ホープ・マシーン〈MOMENT JOON 日本移民日記〉

 

 今回は、12月前半の私のスケジュールと一緒に話を進めたいと思います。主なスケジュールは以下の通りです。
 
 12月1日:ナイキのプロモーション、
 12月4日:アルバム『Passport & Garcon』デラックス版のミックス確認、
 12月7日:◯◯新聞の取材とNHK「バリバラ」の放送作家と電話、

 12月8日:シバさんと打ち合わせ、
 12月11日:日本移民日記の第3回原稿送稿……

おいおい、一番重要なものを書き忘れてないか? 12月12日、引退発表。

 勝手に人を引退させるなよ。すみません、こちらは私と同棲している「何も変わらない」君です。もともと静かなやつではありませんでしたが、この連載を始めてからは更に調子に乗ってます。私の話の途中で勝手に入ってくるかも知れませんが、あらかじめ私からお詫びします。

「私の話」? これは俺の話だ。邪魔しているのはお前の方だろう?

 こいつとも、今日決着をつけます。

12月1日:ナイキのプロモーション

 ナイキとi-D Japanのコラボレーションである「Future Chasers」という企画に呼ばれて、11月に東京で写真撮影とインタビューをしてきました。良い未来を作るために自分の分野で声をあげているアスリートやクリエーターたちを取り上げる企画、と聞いて参加しました。かなりカッコよく撮られた写真や、「普通」というものに対する私の考えが載せられたインタビューも気に入ったので、もっと積極的にSNSで広めたいですが…… 同じ「Future Chasers」という名前で、ナイキが公開した広告が話題になりすぎて、正直これ以上宣伝するのが怖いですね。

 この広告と「同じ企画」として取り上げられるとは、いや、そもそもこういう広告が存在するとも聞いていませんでした。いわゆる「普通」の枠に入れてもらえない少女たちが、スポーツを通して自分らしさを見つけてそれを表現する勇気をもらうという内容の広告。大きな騒ぎになったことを、覚えていますか。

 この広告に反対する意見の中には、「ナイキはウイグル人を搾取している」、「ナイキは韓国側からお金をもらってこんな広告を作っている」、「外国の企業が日本について文句をいうな」など、つまり「ナイキにこんなことを言える資格はあるのか」という声が多かったです。

 「そんなことを言うお前も、実は汚いんじゃないか」と、問題提起をする人の資格自体を論点にする話し方を、よく「ワットアバウトイズム(Whataboutism)」と言います。「お前はどうなんだ主義」ぐらいに訳せば良いでしょうか。例えば「ヨーロッパでユダヤ人差別は未だに存在する」と誰かが指摘すると、「ユダヤ人もパレスチナ人を迫害しているじゃないか」と答えるパターンです。

 ナイキの資格、そしてナイキの意図を攻撃する人々。しかし、ナイキの悪行によって、この広告に描かれている「日本の差別の実態」は存在しないことになるでしょうか。ナイキの問題について指摘して圧力をかけることは、本当に必要で良いことだと思います。しかし、他の問題を持ってくることで、「日本の差別」という目を背けたいような問題を覆い隠してしまいたいのが、この広告を叩いた人々の正直な気持ちじゃないでしょうか。 両方頑張るのはダメですか? ナイキの汚い所もちゃんと批判し圧力をかけて改善させ、このCMで描かれている差別問題に対しても、ちゃんと戦うべきじゃないですか?

バーカ。「違和感を感じた」って反応、見てないの? 日本の現実を認めたくなくて出てくる心理的防衛機制なのよ。その生理的な反応の前で論理の話をしてるの? 論理的なら何でも人の心に届くと思ってるの?

 …… 分かってるよ。「ナイキの資格」云々がいくら論点外れだと思っても、この広告には僕だってどうしても不満がある。初めてこんなことを言うけど、日本の企業だったら反応は違っただろうか。利益のために動く団体じゃなかったら、違っただろうか。そして何よりも、そもそもこのCMを作った監督・スタッフ・脚本家はここで描かれていることを直接的に経験している当事者だろうか……ナイキよりよいメッセンジャーが、同じことを発信したら違っただろうかと想像してみるのです。

何が「もっと良いメッセンジャー」だよ。大手企業のプロモーションの駒に過ぎなかった自分の居心地が悪かっただけだろう? お前だって、もしもっとギャラをもらえたら、何の文句も言わずにナイキ賛歌でも作るやつなんだろう?

 それでも、発信の主体とは関係なく、この広告で描かれた物語が、日本社会の意識の中に必ず存在すべきことなのは間違いありません。なぜ今までこれぐらいの規模で語られてこなかったのかが不思議なぐらい、典型的といえば典型的な話です。しかし「気まずくて」誰も大きい声では言えなかった話。「ナイキの資格」を疑うヘイトコメントの数と比べて、「これは全部嘘だ、こんなの存在しない」という意見はかなり少ないです。みんなが何となく知っていたけど話さなかった話がやっと表に出たんだと思います。これで満足してはいけません。こういう話が増えなければならない。もっと説得力のある方法で、もっと真率な伝え方で、もっと、もっと……

ほら、それでも良い関係は維持したくて「それでも良かった部分」を評価してるだろう?クソなやつ。

 ヘイトコメントの一部は、「同じ企画」に参加していることになっていた私も叩きました。定番の「お前の国に帰れ」から、ハーケンクロイツの画像を貼る人まで……私がインタビューで実際に言ったことや作品への言及は一切なく、ただ韓国人だということを攻撃してくるから、正直痛くはなかったです。去年、GQマガジンのインタビューがヤフーニュースに上がった時、900件近くのヘイトコメントが寄せられたのを見た時と比べればこれぐらい……今回の騒ぎを、より成熟した社会になるための「成長痛」と思えば、なんとか耐えられる気も……

大丈夫なふり? それで自分をカッコよく見せたいわけ? 正直に言えよ。言葉では言えないぐらい絶望したって。

 ……そうだよ。実は絶望したよ。いくらネット上のものだと思っても何百何千もの憎悪と嫌悪を見ていると、絶望しない訳がないだろう……日本は、違う声なんか聞こうともしない。意味ないし、変わらない……

 いや、何百件のヘイトコメントが「日本に問題はない、うるさい北朝鮮人め」と叫んでも、日本社会の絶対多数が分かってくれなくても、少なくとも一箇所だけはこんな人々の物語を聞いてくれるはずだよ。絶望するには早い。日本にも、ヒップホップがあるから。

12月4日:アルバムのミックス状況確認

 私が2020年3月に出したアルバム、『Passport & Garcon』のデラックス版を作っています。東京にいるプロデューサーが送ってくれたデータを確認して、修正の要望を詳しくメールに書きます。絶対に、絶対に年末までに出さなきゃいけない。絶対に……

バカなやつ。何で自分を傷つけるものを愛してるのかしら。

 移民としての私の夢、不安、野望、絶望、希望を歌ったこのアルバム。全然想像もできなかったさまざまな層の人々にこの作品が届いたのを確認するたび、胸が熱くなります。アジカンのゴッチ、坂本龍一、いとうせいこう、宇多丸さん、NHK、MBS、メジャー新聞社や出版社、そして「普段ラップは聴かないけどモーメントの曲はぐっとくるものがある」と言ってくれる人々まで……

オエッ、気持ちワル。偽物の感謝モード。実は怒ってるくせに。。

 うるさいよ、マジで! 分かってくれてる人々には本当にありがたいと思っ──

いやいや、嘘だろう。ヒップホップに無視されてることに怒って絶望して、感謝の気持ちなんかぶっちゃけ薄くなってるだろう?

 ……半分は事実です。普段ラップを聴かない人々にいくら褒めてもらっても、「感動しました」と言ってもらっても、ヒップホップ、日本のヒップホップが反応してくれないと意味がないと、つい思ってしまいます。何もなかった自分をここまで導いてくれて、自分らしく生きるように励ましてくれたのがヒップホップだから。私の母、父、友達、恋人、先生、そして私そのもの。

 ヒップホップ。今年の夏、「おまんこ」について歌った「WAP」という曲が大ヒットしたアメリカのラッパー、Cardi Bは、民主党の上院議員、バーニー・サンダースとアメリカの現状と未来について語る映像も撮影しました。女・車・銃について歌うギャングスター・ラッパー YGは、自分のコミュニティーを破壊するトランプに対して「Fuck Donald Trump」という曲を出しています。ゲイであるLil Nas Xが2019年の代表曲「Old Town Road」を作って大ヒットさせ、ハイチ移民であるWyclef Jeanがグラミー賞を取り、マッチョイズムを拒否するラッパー、 Tyler The Creator が若者たちの英雄になれる音楽。それがヒップホップです。世界で一番猥褻で一番チャラくて暴力的で物欲に満ち、同時に、世界で一番リアルで一番素直な音楽。そして、誰もが王様になれる音楽。抑圧された人々の声を届ける音楽。それが私が知っているヒップホップでした。

 もちろんその「ヒップホップ」ってものが健全な形で働いているかは疑問です。どの国のヒップホップも、「産業」というものと共存しなければならないため、理想的なヒップホップは世の中に存在しないでしょう。しかし、それでも「ヒップホップ」の価値を共有している人々がいるかぎり、ヒップホップという「アイディア」はきっと死なないでしょう。ロシアやタイで民主化を歌うラッパーたち、中国で表現の自由を歌うラッパーたち、貧困と差別の経験から美しいものを生み出すラッパーたち。ここ日本にも……

なんでぼかすの? はっきり言えよ。日本にもヒップホップはあるの?

 ……もちろん日本でも、抑圧され疎外された人々がラップという表現手段を選んで、自分の物語を発信する事例はいっぱいあります。しかし、そういう人々が「日本のヒップホップを代表する顔」になることが、日本のヒップホップにおいて、許されているでしょうか。
 「ラッパー」という時に思い浮かぶもの、渋谷のイケてる服装の若者や、貧しくて暴力的な環境から成功した人の「典型」を想像してみてください。その「典型」を超えた人が、日本のヒップホップの真ん中でトップになれるでしょうか。ゲイのラッパーが出てきて日本のヒップホップのキングになる光景、想像できますか。女性が日本のヒップホップのトップになること(AWICHさん頑張れ)、想像できますか? 今まで日本のヒップホップが作ってきたスター像に合致せず、本当に自分が誰なのかを隠さないまま、ZEEBRAみたいな立ち位置に立てる人が生まれる環境が、日本のヒップホップにはあるのか、聞いてるんです。
 「実はこんなケースもある」とか、「異質」なアーティストで成功する人も、もちろんいます。しかし、そういう人々が日本のヒップホップの「ど真ん中」に立つことを、見たことがありますか? 「はい、あんたはちょっと変わってるから」と、隅っこに片づけていませんか?

お前が怖くて言えないこと、 代わりに言ってやろうか? 今回の騒ぎの時、いや、そもそも日本社会で重大なことが起きた時、日本のヒップホップって文化として何か反応したりするの? 「お前らはしょせん全員ラッパーごっこをしてるピーター・パンたち」と言いたいんじゃないの?

 ……異質なものに対する日本社会の気まずさ、そしてそれを黙らせようとする日本の感覚、よく分かっています。私が生きている間にそれが変わるとも、正直思っていません。しかし、ヒップホップなら、ヒップホップなら違うはず。Lil Nas Xが、Wyclef Jeanが、Cardi Bが、Tyler The Creatorが自分らしくトップになれる文化。周りの目線を怖がらずに自分を誇れる文化。そして、「変わったもの」扱いされて隅っこに片づけられずに、誰もが真ん中で堂々と歌ってその一部になれる文化。そんなヒップホップが日本にあるかぎり、日本もいつか変われると、思っていました。

そろそろ本当のことを言ったらどうだ。そもそも日本で「ヒップホップ」という言葉は使わないのさ。「日本語ラップ」だろ。

 でも結局、ここも日本社会の縮図にすぎないのかも知れません。ここでも本当の意味の「異質物」たちは、頑張っても助演が限界、かも知れません。「モーメント、お前がイケてないだけだろう」と言われるでしょうか。『Passport & Garcon』に対する日本のヒップホップの無視は、全部私の知名度のせいなんでしょうか。私もそう信じたいです。私の低い知名度が、日本のラッパーたちや関係者たちにここまで無視される原因だと、私もそう信じたいです。そうじゃなければ、ここまで多くの非ヒップホップ関係者が重要作だと言ってくれる『Passport & Garcon』がヒップホップからは無視される理由って、一つしかないからです。つまり、日本には……

「いや、こういうアーティストもいるよ」と反論してくるやつらの声、聞こえてるだろう? やつらには「隅っこで自分らしく生きる」ことと「真ん中で自分らしく生きること」の違いが分かんないのさ。諦めろ。

 もしかしたら、日本には……

そもそも存在しないものを愛しているから傷ついてるんだ。諦めろ。諦めたら楽になるぞ。

 ヒップホップなんか、最初からなかったのかもしれません。

12月7日:◯◯新聞取材、NHK「バリバラ」放送作家と電話

 「ヒップホップがないとか何だ、別にいいだろう」と、自分に嘘をつきながらまた新聞社の取材を受けます。

 取材に来た記者の方がずっとご自身のことを「普通の日本人」と強調する部分に違和感を感じて、「普通」というものはある意味人工的でいくらでも変われるという話をしたら、私の発言で傷ついたそうです。取材の時に自分の気持ちや考えをはっきり表す人は今まで相当少なかったので、正直ありがたいと思いました。

 「普通」という概念を自分から切り離して冷静に見て、日本社会が「普通」という枠を使ってどうやって人々を統治してきたかを考えましょうという私の発言を、その記者の方は「普通である貴方は間違っている」と解釈したらしいです。「普通」の枠を揺らすと返ってくる「気まずさ」。いやになるぐらいお馴染みの反応。いや、分かってます。私も、たまに日本人と思われてある空間にいる時、みんなが共有するその安堵を、少しだけですが味わっているので。でも、その「普通」に入っていなくて苦しんでいる人々が「我々も普通」と言える日本になってほしくて歌ったり書いたりしてるつもりですが……というか、そもそもその「普通」が疑われるのが嫌なら、何でわざわざ私みたいなやつを取材しに来たのでしょうか。

逃げたかっただろう? 急な連絡が来たとか嘘をついて、その場から逃げたかっただろう?

 ……もちろん取材は最後までちゃんと応じました。しかし、「普通を再構築しよう」と私が言えば言うほど、相手の「普通」の壁は更に高くて硬くなる印象を受けました。俺って何でこんなことしてるんだろう。何で人を不快にさせてまでこんなことしてるんだろう。誰のため?黙ってればいいじゃん。

やっとわかってきたっぽいね。

 取材の途中でNHKの「バリバラ」という番組に出演しますと言ったら、なんと番組のプロデューサーとお知り合いだそうです。実はその日の夜、「バリバラ」の放送作家の方とも電話で出演の詳しい話をする予定でした。「素晴らしい番組ですよね」と言う記者の方に、「いいえ、全然足りないと思います」と私の意見を伝えましたが、それもその人を傷つけたでしょうか。

 障害を持っている人や、様々なバックグラウンドを持っている人を取りあげる「バリバラ」は、確かに今の日本で「普通」じゃない人々をあたたかい目線で描いている唯一の番組かもしれません。しかし、視聴者を気まずくさせない範囲内で「みんなとは違うけどいい子。仲よくしましょう」というキャッチフレーズを繰り返している印象は、どうしても消えません。私がラップを教えたネパール出身の高校生を番組で取り上げるということで、彼を応援したくて出演を決めましたが、正直モヤモヤする感じが少しあります。

いやいや、そもそも日本には「バリバラ」しかないって。これが日本の最善なのよ。

 いや、もっとできるはずよ。この前に撮影した時も「外国出身ラッパーの先輩として彼にアドバイスを」と聞かれたけど、そもそもあの子は俺と違って「外国出身のラッパー」って意識すらないし、曲の内容もほとんどがラブソングなのにさ。「外国出身のラッパー」というフレームがどうしても欲しいのでしょ? そうじゃなくて、本人たちが直接自分の話を語れるようにしてみたら? 高校生に任せるのは難しいなら、実際にそのような背景を持っている人々を脚本家・放送作家・プロデューサーとして雇ってみたら? 自分が持っている影響力と機会を、そういう人々と分かちあって、本人たちの口で自分の話をさせてみれば? 何、それじゃ生々し過ぎて気まずいの?

もちろんさ。そんなこと言うと相手は「傷つく」のよ。

 はい、知ってるよ、無理でしょう。ヒップホップですら異質物は片隅に追い出されるのに。そう、「バリバラ」はすごいです。それで終わり。NHKが許してくれた多様性、万歳。

12月8日:シバさんと打ち合わせ

徴兵されたときに軍隊で使ったK-2小銃、覚えてる? 今持ってたら銃口を口に入れて、簡単に終わらせられるのに。どうせ何も変わらないのさ。

 黙れよ! そんなことはもう考えないと決めてるんだよ。未来はある。世の中の誰も分かってくれなくても、俺を応援してくれてるシバさんのために頑張らなきゃ……

いや、シバさんのためにも、ここで終わらせた方がいいのよ。

 ……ついこの前、銀行からお金を融資してもらったそうです。私のことをそこまで信用してもっと投資したいということですし、ある意味で今までの自分の実績も客観的に証明できたということだから喜べば良いと思いますが、正直、怖いです。

 私の未発表曲で「TIME BOMB」という曲があります。就活をしていた当時の彼女がおそらく東京に行くことになりそうということから、二人のお別れを時限爆弾にたとえた切ない曲です。東京からの新幹線の中で、この曲についてシバさんと話したことがあります。歌詞の中の「ロシアから大阪」とか、ロシア語と韓国語が出てくる箇所を、もっと多くの人々が感情移入しやすいものに変えてみたらという意見でした。私は、そうなると私じゃなく他の人が歌っても成立する曲になるので良くないと思いますと答えて、いつもの通りシバさんは私の意見を最優先に尊重してくださいました。

 アルバムの歌詞にも書いてあることですが、シバさんの子供が今年生まれました。シバさんは今も私の意思と世界観を何より重要に評価してくださいますが、アルバムに莫大なお金を投資したシバさんが、黒字じゃなくてもせめて製作費だけでも回収できるように、デラックス版は絶対に売れなきゃいけません。「売れなきゃ」とか私に一切言わずにいつもの通り私の芸術を最優先にしてくださるシバさんを見るたび、むしろ自分の頭の中で「売れなきゃ」が叫びのように聞こえてきます。「日本語ラップとヒップホップの違いってなんだ、売れれば良いやん。それができないから言い訳してるだけだろう?」 「NHKに出れるだけで感謝しろ。いや、むしろもっと頻繁に出れるように今度会った時にちゃんと可愛がってもらえ」 「そもそもお前が言いたい話は複雑すぎる。で? 日本は好きなの、嫌いなの? はっきりしろよ」

で? そうしない理由って何? やりたくてもできないだけじゃない? 背が低くて、ブサイクで、日本語なまってる外人よ。それとも何? アーティストとしてのプライド? お前を応援してくれる人々のため?そんなやつらにとって、お前はサーカスの動物に過ぎないのよ。

 いや、違う。俺を見てラップ頑張りますとか、俺を見てもっと自分らしく生きていける勇気をもらったと言ってくれた人々がいるよ。そういう人々は?

そいつらも、いずれ学ばなきゃいけないのさ。何も変わらないということを。

 そんなわけが… じゃ結局、いつもお前が言ってるみたいに絶望の中で生きていくしかないの? 我々の選択肢は、それだけ? 俺の愛、正しいこと、夢… 全部意味ないの?

いや、実はね、最高の解決法があるのよ。みんなを満足させる方法が。

 なに?

死ねば? 死ねばいいのよ。

日本の無視が胸痛い? あのCMに描かれたような物語が、お前の物語が無視されて目の前で否定されるのがつらい? 死んだら見なくていいのさ。いや、もしかしたら死んだことによって、やっと何かが変わるきっかけになるかもしれないよ。残酷な話、人生よりも死の方がインパクトがあるケースもあるからさ。お前が死ぬことで「R.I.P Moment Joon」とツイッターに書く人々のことを考えてみろよ。絶対インパクトあるって。それでやっと日本が、ヒップホップが変わるきっかけになるかもしれないんじゃない?

お前が気まずくさせた人々? お前が消えれば向こうもラッキーだろ?「溝を深めることやめろ」とかいうやつらにとっても、最高な結末なのさ。政治とか左とか右とか、そんな難しい言葉なんか相手にしなくて良いのよ。平和が待ってるんだよ。

お前のファンだって、お前がここで死んだらお前の汚い秘密とか知らないままお前を英雄として覚えて生きていけるのさ。お前が好きなECDさんと一緒に語られるかもね。それでお前も「隅っこの神様」の一人になってこの島に残るのよ。お前を覚えてる人々が死ぬまで。

シバさん? お前が死んで「デラックス」が遺作になれたら、最初予想したものの10倍は軽く売れるさ。そしてお前みたいなリスキーなやつにこれ以上投資しなくてもいいし。知ってただろう? そろそろ音楽で見せられるものってないかもって? 自信もないままシバさんにまたお金使わせるの、酷くない? 赤ちゃんが可哀想じゃない? お前さえいなくなれば「夢」なんかで悩む理由自体がなくなるのよ。

未来が怖くて泣くとか、誰かの傷ついた話を聞いて一緒につらくなるとか、落ち込むとか怒るとか、全部終わりよ。平和になる。

 ……俺がいなくなったら、お前はどうなるんだ。俺の唯一の友達。俺の寂しさ、俺の悲しみ、俺の絶望よ。

勘違いするな。俺はお前には想像もできないぐらい巨大で古いもの。俺の口の中、喉の底をのぞいてみろ。この島で生まれて消えた数えきれないほどの全ての絶望がそこに沈んでいる。「日本は変わらない」が変わらない限り、俺はここにいる。また新しいやつがこの25号室に入ってきたら、同じこと言ってやるだけさ。「変わらない」と。

 無表情になった彼がポケットから何かを出して渡してくれます。

大丈夫。もう逃げなくていいよ。

 見覚えのあるカミソリ。

これで平和になろう。

 気づいたら、もう左手の手首は動脈に沿ってきれいに切られていました。よく冗談で「俺の血管に流れているのはきっとコーラとポテチ」と言いましたが、残念ながら普通の真っ赤な血です。スローモーションのように床に落ちる血。ちょっと待って。日本移民日記第3回の原稿は送らないと。カミソリをパソコンの横に置き、血が流れる左手は使わず右手だけでGメールを開いて、編集者宛てのメールを書きます。「宜しくお願いします」までを右手だけで書いたあと、ファイルの添付も忘れずに。

 パソコンを閉じて目を閉じます。あ、ツイッターにも書いとけばよかったのに。今までありがとうございました、と。この画面を借りてお別れの言葉を申し上げます。Moment Joon、今日をもって引退します。今まで、ありがとうございました。体が、軽い。やっと、深く眠れそうな、気がします。







 目が覚めたら、私はまだ死んでいませんでした。床の血痕は、そのまま。カミソリで切ったはずの左手首を見ると、確かに傷跡は残っています。ちょっと待って、血は出ていませんが、傷口は開いたままです。痛みを覚悟して目をつむったまま傷口の中に指を入れてみますが、痛みは感じられず、骨があるべき所には冷たい金属のような感触が……傷口を広げてみると、自分の肌がまるでゴムパッドみたいにはがれます。肌色のゴムをはがしたら、そこには鉄でできた腕がありました。肩までゴム肌をはがして、ついに胸の方まではがします。鉄でできた左胸の上の丸くて小さいボタンを押すと、プシュッという解除音とともに、小さい引き出しが出てきます。そこには、何枚かの写真が入っています。顔。お母さん、彼女、シバさん、ファンの◯◯さん、テジュン、ボランティアで出会った在日の小学生、ハーフの◯◯ちゃん……

 電話がなります。シバさんです。右手で机の上のガラケーを取って電話に出ますが、口を開いて出てくるのは私の声じゃありません。

あ、お疲れ様です。はい、はい。あ、そのデータはノアさんに転送しました。そしてNHKとも電話で……そうですね、いい機会ですね。あ、デラックスの曲順ですけどー

 私の腕を使って電話に出て、私の口を使って話しているこの人は、誰? もしかして──

すみません、お待たせしました。「日本移民日記」の読者の皆さん、正式にご挨拶させていただきます。Moment Joonと申します。やっと皆さんの前で完全な自分としてご挨拶できて、本当にうれしいです。

 誰かに盗まれて機械に改造された体。みんなが見たがるもの、聞きたがるものを生み出す機械。お金によって動く機械。

いつも応援してくださる方々の前で、自分の醜い姿を見せてしまって申し訳ありませんでした。引退とか弱いこと言わずに、これからもMoment Joonは、音楽や文章で人々に希望を与えるために頑張っていきます。第4回の「日本移民日記」も、どうぞお楽しみに!

 偽りの希望を歌う機械。ホープ・マシーン。

一緒に抱きましょう、希望を。

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著者略歴

  1. MOMENT JOON

    ラッパー。1991年生まれ。韓国出身。2010年に留学生として来日し、大阪を拠点に活動。「移民」である自身に焦点をあてた楽曲「井口堂」「ImmiGang」などを発表し、反響を呼ぶ。2019年には『文藝』(河出書房新社)に自身の徴兵体験をもとにした小説「三代 兵役、逃亡、夢」が掲載された。2020年3月にファーストアルバム『Passport & Garcon』を発表。

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