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MOMENT JOON 日本移民日記

第4回 井口堂から、次のホームへ〈MOMENT JOON 日本移民日記〉

バイバイ、ホーム

 ホーム。出身、家、うち、故郷……日本語だと「地元」がそれでも一番近い言葉でしょうか。ここ井口堂とグリーンハウスを「ホーム」と呼んで5年が経ちました。2016年、初めてグリーンハウスの25号のドアを開けた時は、正直ここが自分の家になれるだろうかと半信半疑でしたね。一体何十年前に建てられたかも分からない古い壁に、木で作られた粗末な部屋のドア。シャワーは共用、和式便所も共用(3年前に大家さんがウォシュレットを設置してくださいました! マジで心から感謝してます)。部屋の中には昔の日本のホラー映画に出てきそうな古い押入れと、前の人が使っていた古い冷蔵庫とベッド、そしてまだ退居していなかったクモたち。最初はめっちゃくちゃ怖かったこの空間が今や自分のホームになったなんて、やはり「時間が経てばどこでもホームになる」ってことですかね。

 グリーンハウスの前に私がホームと呼んでいたもう一つの場所を思い出します。韓国の江原道の楊口ヤングという田舎の町にあった、第31連隊の第3大隊の兵舎。係員として郵便業務まで担当していた昔は番地や郵便番号まで覚えていましたが、今はさすがに思い出せませんね。1980年代に建てられた古い兵舎で暮らしていた第3大隊員たちは、何かの用事で他の部隊に行くことがあると、帰ってきてから「あいつらはエレベーターもあるんだぜ」とか「パソコン室にエアコンがあってさ」とかの築5年ぐらいの隣の新式兵舎の話を自慢のように他の部隊員にしていました。
 夏は(比較的)涼しくて、冬は寒い楊口。「死ぬほど寒かった」という自分の記憶が正しいか確かめるためにググってみると、私が一等兵だった2013年の1月、楊口の気温はなんと-27.9度まで下がっていた、いや、凍っていたらしいです。確かに、凍傷でケガした人も結構いました。いきなりの豪雪のせいで深夜3時半に起こされて、朝に司令部から追加の除雪剤が届くまでほうきでひたすら除雪作業をしていた楊口の兵舎。すぐ隣には射撃訓練所という、非日常のなかでもさらに非日常的な空間があったその兵舎でさえ、そこを去る頃は自分のホームになっていました。
 フェイスブック友達になっている軍隊の後輩が、楊口の兵舎が撤去されると、いや、部隊ごと解体されて再編成されたというニュースのリンクを送ってくれました。何を感じれば良いか分からない複雑な気分。兵舎が撤去される前に行ってみるのも、悪くなかったかも知れません。昨日も夢で行ってきましたしね。

 「なくなる前に、潰される前にもう一度見てみたい」という感覚。韓国に行くたびに自分が生まれ育った蘆原ノウォン 区をさまようのも、だからかも知れません。私が日本に来た2010年、親はそれまで住んでいた蘆原の家を売って他の地域に引っ越すことを決めました。夏休みに実家を訪ねた私は、休みが終わって日本に帰る前に、付箋に詩を書いて9歳から使っていた古い押し入れの中に貼りました。

 壁が崩れる
 屋根が崩れる
 地獄の中にいた時も
 ここを家と呼んでいたのに

 私が日本に帰った1か月後、引っ越しの準備の最中に見つかったその付箋を見て、父と母と弟の三人は大声で泣いたらしいです。そうやって蘆原を出て10年、今や韓国の家族は蘆原からは遠く離れている仁川に住んでいます。電車で2時間以上かかるし泊まる所もないのに、それでも韓国に行くと私は一人で蘆原をさまよいます。失った家を捜して。なくなった楊口の第3大隊の兵舎も、「失ったホーム」のリストに追加すべきかも知れませんね。

 

嵐の中の私のホーム

 幸いにグリーンハウスに関しては撤去とかの話はまだ聞いていません。古くてぼろいのに、驚くほど強い家。外の嵐からいつも私を守ってくれたありがたい家です。

 外国籍の人が日本で部屋探しをする時ほど分かりやすく「差別」を経験する機会もないと思います。保証人もいるのに、いや、日本で職業も収入もあるのに入居拒否されたり、礼金や敷金を倍に要求されることって、決して稀ではないのです。「それは大家さんの権利」と思われる人は、2008年の京都地方裁判所の判決や関連する判決でその違法性を理解していただきたいです。しかし、自分を「立場が弱い」と認識する多くの人々は「不当だし気分が悪いけど、抗議するのに時間もお金もかかるから他の所で探そう」と、傷ついたまま入居拒否を受け止めてしまうのです。卒業まで2年も残っていて大学院に近い地域に引っ越しを準備していた彼女が「あんた外人? いつ日本出たっておかしくないからもうちょっともらわないとちょっと難しいよ」と、あるおっさんに言われるのを隣で一緒に聞く気持ち、分かるでしょうか。

 グリーンハウスは、違います。自転車に乗って毎日黄色い毛のかわいい犬とお散歩に行く私の大家さんは、若い時にスペインに長く住んだことがあるそうです。そんな大家さんが経営するここグリーンハウスは、入居する時に礼金も敷金も必要ないし、外国人だからという不当な扱いもありません。退居も1か月前に伝えてちゃんと片づけるだけでオッケー。阪大や他の大学の学生さん、スーツを着て朝出勤するサラリーマン、夜中にギターを弾いて少しはうるさいけどドアをノックするとすぐ止めてくれる隣人、犬と生活しているおばあさん、家の前でバーベキューをして私にも一口食べさせてくれたおじさん、背の高いドイツ人の住民と若いベトナム人の住民、前を通るたびに焼き魚の美味しい匂いがするある部屋と近くのカレー専門店で使うカレーを作る人まで……。そう、グリーンハウスはこんな所です。

 こんなこともありました。客演で参加したある曲のミュージックビデオで使うために、自分の歌詞を赤いペイントで白い紙の上に書いたことがあります。20枚ほどの、なんとA0規格の超デカ目の紙に、真っ赤な字で私の恐ろしい歌詞を書いたのでした。ペイントを乾かせるために共用スペースの洗濯干し物ポールに紙を干して一日待ったのですが、次の日に取りにいくとなんと、下に落ちないように誰かが紙の左右を洗濯ばさみで固定してくれていたのです。20枚ほどの全ての紙に。洗濯ばさみは全部ビニール袋に入れて「ありがとうございます」の付箋とチョコレートを残しましたが、未だに私の歌詞カードの面倒を見てくれたのが誰だったかはわからないままです。
 「IGUCHIDOU」のミュージックビデオを作った時は、グリーンハウスの前で撮影をしていた私とシバさんと撮影クルーを見たある住人が、「寒いから飲みながらやって」とコーヒーを出してくれました。1階にお住まいの方なのでお名前も知りませんし、何回かすれ違って顔を覚えているぐらいだったのに……初めてグリーンハウスに来たシバさんも撮影クルーも「ここってこんな所なんや」と驚きました。

 世の中の嵐に疲れたまま帰ってきた時、私を守ってくれるグリーンハウス。いや、実は文字通りの嵐からも守ってくれたのです。2018年6月の北摂地震も、恐ろしい威力の台風21号とその後の停電も、グリーンハウスの住民たちはこのぼろくて古い家のおかげで無事でした。大家さんによると、95年の阪神大震災の時もグリーンハウスは大丈夫だったそうです。
 「やってはいけない」「常識に反する」と一言でカットされるのではなく、少しゆるい所。そしてそのゆるさで周りがちょっと面倒くさくなっても、お互い話し合って理解しあって一緒に生きる空間。夜遅くギターを弾きながら歌を歌う人も住めば、トイレットペーパーがなくなった便所に次の人が使えるように自分のものをそのまま置いといてくれる人も住む空間。停電になったら暗い廊下にろうそくを置いてくれる人々が住む、私のホーム。

井口堂 2021.1

愛してるよ、チビちゃん

 私の曲「IGUCHIDOU」で初めて井口堂という地名を聞いた人なら「井口堂」といえばとりあえずMoment Joonの名前が出てくるかも知れませんが、実際に井口堂界隈で最も有名なのは私ではなく、チビちゃんです。チビちゃんは、私の彼女が住んでいるマンションの大家さんの家族が飼っている猫です。一応ペットではありますが半分野良猫みたいなチビちゃんは、車が通る大きい道沿いで寝転んだり、近くのカフェやお好み焼き屋に勝手に入って店の人々やお客さんに甘える、そんな猫です。駐車場の車の下、八百屋の人が捨てた段ボールの中、彼女が住むマンションの入口まで、全てがチビちゃんの領域です。人間になでられることを別に嫌がったりはしませんが、ちょっとなでさせてくれるからって優しいと油断してはいけないです。チビちゃんが近くの野良猫たちと喧嘩することを少なくとも5回は見ていますけど、荒い荒い、怖い怖い。
 町を徘徊しすぎて、10日以上行方不明になったこともあったそうで、大家さんによると10日間一生懸命この近所を捜したのに、見つかったのはなんとここから3キロメートルも離れている箕面市の警察署だったらしいです。普段、どこで何をしてるんですかね、チビちゃんは。

 毎朝、出勤する彼女を送るために一緒に駅に向かう時に、チビちゃんを見つけるのを楽しみにして彼女と道を歩きます。見つかった日は写真を撮ったりなでながら「行ってきます」と言って、見つからなかった日は「きっとどっかですごいアドベンチャーをしているだろうね」と彼女と「チビちゃんの冒険」の物語を作り上げながら駅に向かいます。たまに「バカ猫」「デブ猫」と呼ぶこともありますが、本音ではありません。実は本当に愛してますよ。

 チビちゃんを飼っている私の彼女の大家さんは、兵庫県に広い農地を持っていますが、農繁期には学生たちをバイトで雇って一緒に種まきの作業をするので、私も何回も参加しています。彼女が金銭面で困ったとき、家賃を安くしてくれた優しい大家さん。大家さんだけではありません。近くのコープで私がコーラを買いすぎると「健康に悪いからお茶にしてみたら?」と言ってくれる店員のおばさんや、美味しいコーヒーをいれるサーファーカフェの店長さん。通い過ぎたせいで私の顔を覚えている近くのドミノピザの店員たちや、論文で大変な時に差し入れを持ってきてくれた近くの大学の先輩。人だけではありません。箕面川のかわいい鴨たちと鶴たち、そしてヌートリアたち。夕暮れの時に飛び始めるコウモリたち。夜遅く散歩すると会えるまるで狼みたいな大きい犬。お正月に聞く家の前のお寺の除夜の鐘。午後4時50分の「コロナ対策」の市街放送と5時のチャイム。新しいカステラ屋の美味しい匂いと、秋が始まると井口堂を覆う金木犀の香り……全て、いつかは「失われたホーム」になるはずのものですよね。

ノスタルジアの刃

  インタビューとかでもあまり聞かれないことですが、私の名前の「モーメント」は、心がノスタルジアでやられていた10代の時に自分で付けた名前です。もう中学生の時から小学校の時に戻りたくて、また高校生になったら中学校の時に戻りたかった私。そんな自分を慰めるために「過去には戻れないけど、大丈夫。瞬間は永遠だから、決してなくなる訳じゃない」と、17歳の自分自身に付けた名前が「モーメント」でした。

 受験戦争にやられていた高校の同級生たちに、先生や親などの大人たちが「今の辛さだって、大きくなったら全部懐かしくなるぜ」と説教するたび、周りの友達は「何言ってんだよ。受験なんか早く終えて早く大人になって色々やりたいのに」と言ってましたね。しかし、既にノスタルジアの感性が非常に発達していた私は「そう、今のこの瞬間は後で懐かしくなるから、後悔しないようにやりたいこと全部やっちまうぜ」と、大人たちの意図とは別に授業をさぼりまくりました。授業をさぼって市内の大きい書店に行って立ち読みで何百冊の本を読んで、友達の家に行ってひたすら音楽を聴いてラップをして、漫画のレンタルショップで立ち読みし過ぎて店長から「バイトしたらただで読ませてあげるぜ」と言われて無給で働いて……そんなにやりたい放題やったことにも懐かしいと感じてしまうのは、未練が残っているからでしょうか。いつまでも美しく輝くその瞬間と瞬間……いや、もう耐えられない。韓国行きのチケットを調べてみます。コロナで大変だけど、きっと行ける方法があるはず……

 いやいや、ちょっと待って。これは事実の半分に過ぎません。全てをノスタルジアのピンク色の色眼鏡を通して眺めてしまっては、その間に挟まれている赤色の記憶がキャッチできないのです。父の失業と失敗で終わった事業、同級生たちからのいじめと先生たちの黙認が続いた高校1年、受験のストレスでバルコニーから飛び降りた図書部の先輩と事実を隠ぺいしようとした校長、葬式にも行けなかった生徒たちと彼らを代弁して抗議したせいで校長室に呼ばれた生徒会長……未来への不安と絶望、「道はこれしかない」という社会全体のプレッシャー、「僕一人だけ間違っている」と感じる時の孤独と恐怖……その全てが懐かしいかと聞かれると、はっきりと「違う」と答えられるのですが、ノスタルジアが発動される時の自分の頭は、なかなかそこまでは考えが及ばないですね。

 ついノスタルジアに酔っぱらってしまうのは、私だけではありません。大衆文化を見ると、ノスタルジアの暴走と言われてもおかしくない気もします。もちろんノスタルジアはいつも文化を動かす重要な原動力の一つでした。21世紀の我々のノスタルジアの一部になっている「バック・トゥ・ザー・フューチャー」なども、映画が公開された当時は1980年代の大衆文化が持っていた1950年代へのノスタルジアをいじる作品だったでしょうね。大衆娯楽や芸術がノスタルジアを材料としたのは、きのう今日の話ではありません。
 しかし、2020年代の我々のノスタルジアは、前の時代のノスタルジアとはどこか違う気もします。特定の時代を懐かしく想って、その「良かった時代」の記憶をメディアを通して体験するだけではなく、今この瞬間の現実を「良かった時代」に引き戻そうとする動き。もちろん「復古主義」自体も新しいものではありませんが、今の時代で「良かった時代」のノスタルジアに酔う人々は、技術の発達で現実から目を背けて生きることだって、そんなに難しくないのです。

 クレヨンしんちゃんの2001年度の劇場版「オトナ帝国の逆襲」で、悪役は現代社会への嫌悪感と過去へのノスタルジアで、昭和の日本を完璧に再現した都市を作り、同じく過去へのノスタルジアを持っている大人たちを拉致してその町に住まわせます。しかし主人公たちの活躍で悪役は時代が変わったことを、再び過去には戻れないことを直視するのです。「良かった時代」を物理的に再現してまで過去に戻りたかった悪役でさえ、今を生きるしんちゃんとその家族という「現実」を直視しなければならなかったのと比べて、今の我々は好きなコンテンツとメディアで自分を囲んで、認めたくない現実は「フェイク」と簡単に宣言することが可能になりました。
 ノスタルジアの色眼鏡で過去を無批判に美化し、また現実そのものを過去に戻そうとして、過去とは違う今の現実は「フェイク」だと宣言できる時代。「〇〇を再び偉大に」などというフレーズを思い起こす人もいるかもしれません。私がそうした言葉に接して思うのは、それを信じている人々からすると、彼らが「ホーム」を失った理由、いや、彼らから「ホーム」を奪ったのが、私みたいな移民の人々でしょうね。よそ者。異邦人。異物。ここを「ホーム」と呼んで愛していると言う私はフェイクで、「きっとどっかからお金をもらって反日活動をしているのだ」と宣言する人々。彼らの世界観からすると、彼らが知っていた日本を失わせたのは私なのです。彼らのノスタルジアが刃になって、私を自分の「ホーム」から追い出すことだって、残念ながら想像できるし、ありえると言える時代を生きています。

私のホームはあなた

 故ECDさんの1993年の曲「東京っていい街だなぁ」には次のような歌詞があります。

 東京ってもうダメなのかな
 ベイビーちゃん ダメなのかな
 上野はイランの人にさ
 預けちまった方が
 赤坂 朝鮮の人にさ
 預けちまった方が
 新宿はフィリピンの人にさ
 預けちまった方が この際

 「朝鮮の人に預けるとか、前から普通にそこに住んでたはずなのにな……」と思ってしまうのですが、それでもここだけを読んで、ECDさんも上で述べた「〇〇を再び偉大に」みたいな排他的なノスタルジアを持っていたと判断するのは本当に大間違いです。この歌詞の前の部分は東京から外国や他の町へ出ていく人々を見て感じる寂しさが描かれていて、この後の歌詞では東京だけじゃなく「日本・アメリカ・地球」がもうダメなのかなとECDさんは自問しています。少しすっきりしない部分があるのは確かですが、決してイラン・朝鮮・フィリピンの人に対する「憎しみ」から生まれた詩ではないのです。

 時間が経つと物理的な物や空間が変わるだけではなく、人も変わりますよね。ECDさんほど、その「変化」の良い例もないと思います。日本でヒップホップを紹介した先駆者の立ち位置からより実験的な音楽スタイルへ、そして社会的な声を出す曲を発表し始めて書籍の執筆まで。一つの時代で定義された自分に囚われるのではなく、常に「今」と話し合いながら変わってきた人。それがECDさんではないですか。
 そして時間が経つことは空間や人の変化だけではなく、人の移動も意味します。出ていく人や入ってくる人、亡くなる人や生まれる人。常に変化をもたらす時間の流れを前にして、1993年のECDさんは寂しいと思ったり、変わってしまった今に違和感を感じたり、過去に戻れないことを自嘲していたかも知れません。しかし、移民の私のライブを見にきてくれて一緒に手を上げてくれた2014年のECDさんは、きっと違ったと思います。

 「失ったホーム」を懐かしく想うことは良くない、と言いたい訳ではありません。むしろその真逆です。私は、死ぬまで自分の失ったホームを思い出しながら心に刻みます。しかしそれは、「失ったホーム」を取り戻すためではなく、もう一度「新しいホーム」を作るためです。よく思い出してください。あなたの「失ったホーム」が愛しい本当の理由を。そこにいた人々、あなたと一緒に笑って怒って泣いてくれた人々がいたから、そこはあなたのホームだったのではないですか。私の小説「三代」に出てくる、私を自殺の直前まで追い込んでいた怖い先輩と暮らしたその「地獄」と、後で私の「ホーム」になった楊口の兵舎は、実は同じ建物でした。人が、ホームなのです。

 手を伸ばしてくれて、温かく抱きしめてくれる人々。私の「ホーム」はそういう人々です。井口堂の住民、私の友達と彼女、ファンの人々。愛情を持ってこの文章を読んでくれているあなたが、私の「ホーム」なのです。チビちゃんに会えなくなって、グリーンハウスが潰されて「失ったホーム」になる日が、いつか来るでしょう。その日が来たら、私は涙と笑顔で失ったホームに感謝したいです。そして、そこからもらった温かさで、新しいホームを作ります。あなたが私のホームになってくれたように、私もあなたのホームになれることを望みながら。だいぶ遅れてしまいましたけど、あけましておめでとうございます。愛しています。

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著者略歴

  1. MOMENT JOON

    ラッパー。1991年生まれ。韓国出身。2010年に留学生として来日し、大阪を拠点に活動。「移民」である自身に焦点をあてた楽曲「井口堂」「ImmiGang」などを発表し、反響を呼ぶ。2019年には『文藝』(河出書房新社)に自身の徴兵体験をもとにした小説「三代 兵役、逃亡、夢」が掲載された。2020年3月にファーストアルバム『Passport & Garcon』を発表。

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