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アカデミアを離れてみたら

そこには壁もないし境界もない〈アカデミアを離れてみたら〉

山根承子(株式会社パパラカ研究所)

 「アカデミアを離れたつもりはないので、連載のタイトルにいきなりそむく形になりますが、それでも大丈夫でしょうか」
 本稿のご依頼をいただいたとき、真っ先にそう聞いてしまいました。 大学を離れ、起業している私の現在は「アカデミアを離れた」ように見えているかもしれませんが、自分の感覚としては全く離れたつもりはなく、むしろ研究時間が増えたので「アカデミアに戻った」感すらあります。
 私は大学教員として7年間働いたあと、1年間フリーランスで研究者をして、そのまま起業しました。専門は行動経済学という、経済学と心理学の境界領域です。ある先生に「大学辞めます」と報告したとき、「いいですね。山根さんってそもそも心理学から経済学に来た人ですもんね。いつもそんな感じでフットワーク軽いですよね」と言われ、「……ホンマや‼」と叫んでしまいました。分野を越えてきたことを、自分ではすっかり忘れていたのです。

心理学から経済学に

 学部で心理学を学んでいるうちに経済心理学という分野を知り、興味を持ちました。少し本を読んで、その分野は経済学では行動経済学と呼ばれているらしいことも知りました。「この分野で研究したい!」と思って心理学の大学院を受験するつもりになっていたのですが、境界領域を研究するのに片方の分野しか知らなくていいのだろうかと思うようになりました。実際に両方を知る人材はほとんどおらず、学部生の私から見ても、もっと交流すればいいのに、と思ってしまう状態でした。お互いがお互いのことをよく知らないのに思い込みで批判しているように見えるところもあり、もったいないと思っていました。
 とりあえず私は両方やろうと思いました。心理学で博士号を取ってから経済学をやるのもありかな? と一瞬思ったのですが、「新しい世界に行くのは適応力のある若いうちのほうがいいだろう」と思い、修士から経済学に行くことにしました。この時点(学部3年生の3月)での経済学の知識は0だったので、突貫工事のように経済学を勉強し、夏の院試を受けました。
 入学してみると、心理学とはいろいろと作法が異なっていて戸惑いました。物の見方が全く違っているのです。「面白い」と思うポイントが違うということかもしれません。でも大げさではなく「見るもの全てが新しい」ような状態だったので、毎日が刺激的でした。 このときの戸惑いの経験によって、分野が違う人に説明するのは上手くなったのではないかなと思います。「外から見た経済学」を知っているということは、私の1つの武器だと思っています。

大学教員として見えていたもの

 博士課程の3年目に、運よく就職が決まりました。これは本当に運だったと思います。近畿大学経済学部が経済心理学コースをつくるという構想があって、その担当教員として呼ばれました。着任後は経済心理学コースの立ち上げに関わり、できあがったコースは現在、多くの卒業生を輩出しています。
 教えることは意外に嫌いではなく、適性もあったようで、楽しい日々でした。特にゼミ運営はめちゃくちゃ楽しかったです。何か尖ったところのある学生を取るようにしていたので、毎年多種多様、波乱万丈という感じで飽きませんでした。授業についてはかなり工夫をしていて、オープンキャンパスでの模擬講義などもうまくやっていたと思います。
 とはいえ、最初の1、2年は教えるのが上手くなっている手ごたえがありましたが、3年目ぐらいから「自分の教える能力はもう頭打ちだな」と感じるようになっていました。
 さらに数年勤めていると、大学で起こることが大体わかってきます。そして年上の女性の先生方を見ていると、数年後の自分の仕事がはっきりと見えてきました。それは特に苦手な仕事ではなかったのですが、興味の持てない仕事でした。
 時間がないというのもありました。私はゼミ生全員に卒業論文を執筆させており、テーマも各人に自由に決めさせていました。毎年面白いテーマが出てきて、かなり勉強になったのですが、1つのアイデアを論文にできるレベルまで議論して磨き上げなければいけないため、かなりの時間が必要でした。ゼミ生は1学年23人ほどで、3年生と4年生がいるので、常に50人ぐらいの学生を担当していたことになります。これだけ人数がいると、学生指導の時間も多く必要でした。
 さらに、関西の大学にはよくあることだと思うのですが、前職は学生と教員の距離が非常に近く、気安い感じの校風でした。しかも経済学部は講義室と教員研究室が向かい合う形になっていて、学生たちはものすごく気軽に先生を訪問することができました。学生にとってはとてもよい構造だと思います。学生は本当によく訪ねてきて、いろいろな話をしていくので、多くの人生を垣間見ることができました。そういう時間を全く後悔はしていませんし、そこから学んだことも多く、私の財産になっています。
 でも7年続けて、これ以上やるのは違う、と思いました。50歳になったときに、私には何が残るのだろう? と考えたとき、今の自分は望む未来に向かえていない気がしました。このままではいけない。成長しなければ。いい機会だし、一度やってみたかった民間に転職しよう。そう思いました。
 実証系の経済学者には多いと思うのですが、私は面白そうなデータを見るだけで胸が高鳴るデータおたくで(そのおかげで、競泳のデータや日本経済新聞の「私の履歴書」のテキストデータで論文を書いたり、最近では50年近く前の学校誌のデータを使ったりもしています)、いつのころからか、民間企業には手つかずの面白いデータが転がっている気配を感じていました。民間企業で働いたことがないということも合わさって、「いつか民間で、新しいデータに触れたい」と思うようになっていたのです(「やったことないからやってみたい」は、私の基本的態度かもしれません。一方、「同じ大学でずっと働く」というのは、実は最初からイメージできませんでした。これは生まれつきのもので、どんな職場に行ってもそう思っていたと思います)。

フリーランスから社長に

 というわけで、私は最初から「フリーランスでがんばるぞ!」と思って大学を辞めたわけではありません。
 前職では、3年生と4年生を同じ先生のゼミで過ごすことになっています。そしてゼミは2年生の秋に決定されるというスケジュールで、学生へのアナウンスの時期などを考えると8月に退職の意思を表明し、ゼミ募集を停止する必要がありました。なのでもちろん、8月までに内定をもらって翌年4月から働くというコースを狙いました。しかし、中途採用を8ヶ月も待つというのは、民間の速度感では難しいことのようでした。民間で働く友人も「厳しいだろう」という見立てで、面接に行ってみた会社にも難色を示されました。「明日から雇ってください」の方が、内定確率は高かったと思います(実はこのタイミングの問題は、割と重大だと思っています。大学のテニュア職から企業へ転身する際の、障壁の1つになっているのではないでしょうか)。
 そういうわけで、特に行き先は決まっていないままですが、退職することにしました。1月ぐらいから就活してもいいし、来年1年はだらだらしてもいいだろう。正直まだ若いし、何かあってもリカバーできるだろう。と思っていました(今も思っています)。
 この判断について、近しい友人は誰も驚かず、皆「いいんじゃない」という反応でした。一方、同僚たちの反応は対照的でした。退職することが知られてくると、顔を合わせたときに「どこの大学に移るんですか」と聞かれます。それに対して「次とかないです。とりあえず辞めるだけなので」と回答していたのですが、その顔に「?」が浮かぶのが見え、会話は大体そこで終わりました。想定外の答えに処理落ちする機械を見ているようでした。後にこの経緯を書いたブログ(後述)が大きな驚きをもって迎えられたことで、そっちが普通の反応だったのだと初めてわかりました。すみませんでした。
 大学を辞めたとき、いろんな人に「社長になるんでしょう。すごく似合う」と言われたのですが、実は退職時点では、起業するつもりは全くありませんでした。結局、特に転職活動もしないまま退職して年度が変わると、ちらほら仕事の依頼が来るようになり、いつの間にかフリーランスとしてやっていけるようになっていました。法人化したのは、その方が仕事を請けやすかったからで、自然ななりゆきでした。特に思い切った決断をしたつもりはなく、「なんかそういう流れになってきたから、会社にするか」という感じです。完璧なサポートをしてくれる友人をビジネスパートナーとして、2人でやってみることにしました。
 会社としては行動経済学のコンサルティングと、データ分析の請負をやっています。セミナー講師のご依頼も多いです。そして想像通り、というか想像以上に、面白いデータに囲まれて過ごしています。

「とりあえず行動する」のすすめ

 大学退職から起業を経て、強く思うことが2つあります。1つは専門性の大事さ、もう1つが行動することの大事さです。
 何かを専門であると言い切れることは本当に強くて、プロフェッショナルにはニーズがあります。博士号はそのわかりやすい指標の1つだと思います。何か1つでいいので、これは任せてくれと言えるものを手に入れること。これは武器です。特に学生の方には、このことを強く伝えていきたいです。
 行動することも同じくらい重要です。私が「とりあえず大学を辞めた」せいで、「どういうこと?」「今どこで何をしているの?」という疑問を持つ人が多かったようでした。そのころ、私は楽しくハローワークに通っていたわけですが、なぜか友人に問い合わせが殺到していました。学会でいろんな人から現状を尋ねられ、今後同じ話を繰り返すのも疲れそうだったので、「退職エントリ」というブログ(※1)を書きました。完全に身内向けに書いたのですが、想像以上に多くの人に読んでいただきました。
 記事を読んで直接連絡をくださった方が何人かいて、お知り合いになることができ、かなり良いネットワークを築けました。実際にメールを送ってきた方たちには共通点があり、それは「こんなメールは山ほどもらっていると思いますが」という言葉が必ず入っていたことでした。ところが、SNSでのコメント数やアクセス数に比べ、実際に来たメールの数は、全く多くありません。私が驚いたのは、実際に行動する人の少なさと、行動する人は「行動する」が当たり前になっていて、それが優れた能力であるということにすら気付いていないのだということです。以前から「すごい人の友達はすごい人」という真実があると思っているのですが、すごい人たちはこうやってどんどん行動して、どんどん繋がっていくのだなと実感しました。一人ひとりが実際に行動するだけで、かなり世界は変わるのではないかなと思います。

自由に移動しながら生きる

 今に至るまでを振り返ってみましたが、特に大きな決断をした記憶はありません。どれも自然にそうなったという印象で、壁を越えたり、大きなジャンプをしたりといった感覚もありません。
 日本のアカデミアや大学の現状は、かなりまずいことになっているとは思います。それを改善するためにももう少し大きな視点を持ち、社会貢献を考えていくべきなのか? とたまに思うのですが、どうも向いていないようで、私は私にとってよいようにだけ行動しようと思います。先述の「退職エントリ」にも書きましたが、参考になるなら参考にしてください。でも私たちは同じ人間ではないので、あまり参考にはならないと思います。
 私はこれからも、大学の中とか外とか分野とかにこだわらず、自分がやりたいことをできる場所に自由に移動していくと思います。でもできれば、そういう移動をしやすい世界になって、多くの人があちこち出入りするようになればいいなと思います。その方が楽しそうなので。

※1 https://evidence8money.hatenablog.com/entry/2019/11/12/165910

 


【やまね・しょうこ】

1984年神戸生まれ。立命館大学文学部心理学科卒、大阪大学大学院経済学研究科博士前期課程修了、同博士後期課程単位取得満期退学。博士(経済学)。近畿大学経済学部准教授を経て、2020年1月に株式会社パパラカ研究所を設立、代表取締役に就任。著書に『今日から使える行動経済学』(ナツメ社)、『行動経済学入門』(東洋経済新報社)(いずれも共著)など。

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