web岩波 たねをまく

岩波書店のWEBマガジン「たねをまく」

MENU

岡﨑乾二郎 TOPICA PICTUS

第9回 とうもろこしのような顎髭/蜂蜜の発見/ひしめきあう庭の植物(かれの容貌)〈岡﨑乾二郎 TOPICA PICTUS〉

22  Arab Horseman attacked by a Lion/とうもろこしのような顎髭

ウジェーヌ・ドラクロア《ライオンに襲われるアラブの騎手 Arab Horseman Attacked by a Lion》
1849-1850年,シカゴ美術館

 ドラクロアはルーブル(当時はナポレオン美術館)に通って絵の腕を磨いた。ゲランという画家の主宰する画塾にも通ったが、先生から学んだことはなかったという。ルーブルで ティツィアーノからルーベンスの流れを受け継いだというから、ドラクロアがルーベンス同様、猛獣狩りの主題を多く描いているのも納得できる。ドラクロアの主題の多様さはルーブルの力かもしれない。その意味ではドラクロアが兄のように慕ったジェリコーも同様だった。わずか32歳で夭折したにもかかわらず、ジェリコーの残した主題の広がりは驚くべきものがある。彼らは美術館に学んだ最初の世代の画家たちだった。
 ドラクロアは一方で色彩家としても知られているけれど、色相としてみると、その色の使用は偏っている。目立つのは赤である。対比的に青、白も使用されるけれど、主要な系統は深いアンバーから、黄色、オレンジ、赤という系統の色である。ドラクロアの色彩の豊かさは 突出した赤ではなく、その突出した色さえ織り込まれる、アンバーから黄、オレンジにいたる同系統の色の豊かさにあった。
 「道ばたの泥でヴィーナスの肌を描いてみせよう」というドラクロアのよく知られた言葉がある。この言葉の意味はその言葉の前後をもう少し引用すればはっきりするかもしれない。「黄色、オレンジ、赤は喜びと豊かさを連想させる。わたしは道端の泥でビーナスの肌だって描くことができるよ、わたしの意図通りにそれを配置できればね」。さらに補足すればドラクロアの嫌ったのは黒白、グレーの明暗に還元されてしまう階調であった。さらにドラクロアは鏡面のように事物が磨き上げられることを嫌った。鏡面のように磨かれた事物はその事物としての固有色を失って、ただの光=白さに支配されてしまうからだという。ドラクロアの終生のライバルはアングルだったから、これはアングルの色彩の使い方に対抗しているのかもしれない。いずれにせよ、ドラクロアは泥のような質感を好み、ドラクロアの絵画は、その質感の中で、色彩がまさにタピストリーのように微細に変調していく様相を捉えていることで、優れて色彩家であるといえるのである。
 ドラクロアはモロッコに行ったことはあったが、動物たちが闘う様子を実際に見たことはなかった。彼は動物園(メナジェリー)に通って動物たちを描いたのである。(ルイ十四世=太陽王がメナジェリーを作ったとき、そこでは動物たちに殺し合いをさせる見せ物があったが、ドラクロアの時代にはもう行われていなかった)。
 ここでも重要なのは泥である。動物たちは泥から、まさに生き生きしたヴィーナスが生まれ出てきたように描かれている。「自由の女神」が民衆の化身であるように、ライオンは泥の化身だ。そして民衆とは泥だ。 大地を覆う泥をこれほど美しく、生命感あふれるものとして描いた画家はドラクロアしかいない。その泥の大地に血が流れる。それがドラクロアの赤だろう。

© Kenjiro Okazaki
Arab Horseman attacked by a Lion/とうもろこしのような顎髭
2020,アクリル,カンヴァス,18.1×24.8×3 cm

※ ウジェーヌ・ドラクロア(1798-1863) 19世紀フランスの画家。1830年のパリ7月革命を描いた《民衆を導く自由の女神》などが代表作として知られる。

 

23  蜂蜜の発見/ Lo, drawn by the tinkle, winged things, bees follow the sounding brass

ピエロ・ディ・コジモ《バッカスによる蜂蜜の発見 The Discovery of Honey by Bacchus》
1499年頃,ウースター美術館,マサチューセッツ

 画面を支配するのは喧騒である。画面の中央の大きな老木はすでに枯れていて、大きな洞が幹の根元に見えている。パノフスキーによるこの絵の解釈に従えば、柄杓や酒壺、鍋など金属の食器を半人半獣のサテュロスたちが盛んに叩いているのは、賑やかな音で蜂を惹きつけ、この枯れ木に巣を作らせようとしているのだろう。そもそも空洞を抱えたこの老木自体も巨大な楽器のようにも見える。いや正直にいえば、この絵の中心に彫像のように立つ、この奇妙な枯れ木の形態は先史時代の女神像のようにも見える。捩れた幹にはふたつの乳房状の塊があり、その足元の洞は女性器そのもののようであり、その洞の中で幼子のようなサテュロスが休んでいる。
 女神のような乳房をもつ木。それは、この捻れた枯れ木とよく似た樹木があるのを思い出したことからきた連想かもしれない。確かにここに描かれた枯れ木の形状は、乳のような液を滴らせる樹木、ボスウェリア・サクラ=フランキンセンス、乳香の木にとてもよく似ているのである。つまり蜜と乳。この絵の左下にはサテュロスの母親が幼児に乳を与えているから、すでに乳は(蜜と対比される)もうひとつの主題になっていたことがわかる。この画面に描かれた、乳香の木=フランキンセンス(とすれば)は枯れ木だからもう乳液を滴らせることはできないが、その枯れた幹の中の洞に蜂が巣をつくれば、乳の代わりに蜜を滴らせることになるというわけだろうか。
 乳と蜜の流れる地といえば約束の地カナンの形容である。その地をこの表向き異教のバッカス祭を描いている絵が暗示しているとは思えない。けれど地中海、ヨルダン川と死海に囲まれたカナンの地と似て、この木が立つ地の背後には川が流れ、その地の手前(画面の一番下)にも三角状に水面が迫っているのが見える。つまりこの枯れ木の立つ地は上下で水に挟まれている。背後の水はやがて中央の地を突破し(そのまま樹木の中を通って)画面の下に流れ落ちるのではないか。すでに大地には三角状の水筋の暗示がある。水か乳か蜜か。動物であれば乳は血から作られ、植物であれば(蜂の集める)蜜であれ(乳香の木の)乳であれ水と土から作られる。いずれにせよ、やがて画面全体は液状になって流れ落ちてしまう、のではないか。この地すべてが乳と蜜のように流れ落ちる。

© Kenjiro Okazaki 蜂蜜の発見/ Lo, drawn by the tinkle, winged things, bees follow the sounding brass
2020,アクリル,カンヴァス,18×25×2.9cm

※ Lo, drawn by the tinkle, ... 古代ローマの詩人、オウィディウスによる長編詩『祭暦』の一節。

※ ピエロ・ディ・コジモ(1462頃-1521) イタリアの、ルネサンス期の画家。生涯フィレンツェで活動した。代表作に《プロクリスの死》《シモネッタ・ヴェスプッチの肖像》など。

※ エルヴィン・パノフスキー(1892-1968) ドイツ生まれの美術史家。ナチスによる迫害を機にアメリカに移住。代表的著作に『イコノロジー研究』『アルブレヒト・デューラー』など。

※ 「乳香」 カンラン科の樹木(Boswellia)の木、またその樹脂のこと。焼くと芳香を放ち、古来、香料として利用された。

 

24  The souls of men still shine with heavenly fire/ひしめきあう庭の植物(かれの容貌)

シモーネ・マルティーニ《ペトラルカのウェルギリウス写本、扉絵 Frontispiece to Petrarch’s Virgil》
1344年頃、アンブロジアーナ図書館、ミラノ

 樹木の下で詩人はペンを宙空に掲げている。詩人は樹木の枝葉を見つめ、手先を見ていないが、だから、その手はなかば自動筆記のように勝手に動いて、蒼い宙空に何かを記しているつもりなのか。描かれているのは星座のようにも見える。
 自然の懐に入り、著作をした作家にふさわしい肖像画ともいえるか。実はこの自然の光景には半透明なカーテンがかかっていて、画面を横断し、木立とそれに拠りかかって座る作家を遮っていたのだ。野外になぜこんな透明なカーテンがあるのか。そのカーテンが左に引かれて作家の姿が現れる。手前にいた兵士や役人、農民、牧人など、はカーテンの向こうにいた作家にいま、気づいた様子である。シモーネ・マルティーニの描いた、ペトラルカのウェルギリウス本扉絵の、もっとも際立った独創性はこの半透明なカーテンにあるのは間違いない。
 知られているように、ペトラルカがはじめて〈人間〉を認めた、いや受け入れた。ペトラルカがそこにとどまることを選んだ〈人間〉とは、自分自身の認識に確信をもてず、ひたすら迷うしかない存在であるところの〈人間〉である。実際、ペトラルカの人生はさ迷うことに費やされた。ペトラルカはさまざまな場所に旅したけれど必要に応じて旅したわけではない、いかなる定まる場所もなかったから移動した、あらかじめの目的もなく(ゆえに現在の観光旅行はペトラルカがはじめたともいわれる)ただ、さ迷ったといったほうが適切だった。がそれは無駄ではなかった、それが彼の執筆を豊かにした。ペトラルカは実際ずばぬけた読書家で学識をもっていたが、彼は知識というものを嫌っていたので(事実、当時の知識人のサロンから、そう批判もされた)、読書も何か対象や目的をもった研究というよりも、読書によっておこる彼自身の思考の変化(そこで書かれているところのものに対する思考の変化も含み、それは後の時代でいえば批判的精神に結びつく)気持ちの変化つまり経験こそが重要だった。彼が書いたものも、その豊かさは、彼自身のあてもなく迷いつづける(ことのできる)精神、その魂の運動が生々しく記されていたゆえだった。
 山に登る、それ以外のなんの目的もなく、はじめて山に登ったのはペトラルカが最初だったともいわれている。つまり登山もペトラルカが始めた。ヴァントゥウ山に登攀したときの書簡が残っている。もっともペトラルカ自身によれば、彼が登山をはじめたのは古代ローマのティトゥス・リウィウスの『ローマ史』に、フィリッポス王が「テッサリアのハイモス山頂から二つの海、アドリア海と黒海が見えるという噂を信じて、これに登った」(『ペトラルカ ルネサンス書簡集』近藤恒一訳)という記述があったからだという。いずれ、この程度の好奇心だけで〈人間〉はたいへんな労苦と時間を費やし山に登ってしまう。
 こうしてペトラルカもヴァントゥウ山頂にようやく登りつき「右手にはリヨン地方の山々、左手にはマルセイユの海や、エーグ・モルトの岸辺に打ちよせる白波」(同前)という、まさに「ただならぬさわやかな大気、ひろびろと打ちひらけた眺望に感動し」、「あるいは地上のものを嘆賞し、あるいはからだの例にならって心を高い世界へと遊ばせているうちに」(同前)、突然、いつも肌身はなさず持ち歩いていたアウグストゥヌスの『告白』を読みたいという思いに駆られる。そして開いた頁には偶然、次の一節があった。

人びとは外に出て、山の高い頂、海の巨大な波浪、河川の広大な流れ、広漠たる海原、星辰の運行などに讃嘆し、自己自身のことはなおざりにしている。

(『告白』第十巻第八章、前出引用と同じく『ペトラルカ ルネサンス書簡集』より)

 この一節(ペトラルカ にはそれが偶然とは思えなかった)によって、ペトラルカは気づく。外部の自然よりも、自分自身の中にある魂のほうがはるかに広大であったことを。外部の自然をさ迷うことを通して、結局のところ、ペトラルカはこうして自身の内面を、さ迷っていたのだ。自然の発見は内省を可能にし、内面、魂を改めて発見させる。外界をさ迷うことはいうまでもなく、魂が彷徨、迷走すること、つまり悩むことを意味し、それはやがて瞑想をうながし、精神の広大な領域を開くことへと連なる。
 向こう(自然)とこちら(人の住む社会)を隔てる半透明のカーテン、その揺らめく襞そして陰影、それこそが場所を持たず、さ迷いつづける、ペトラルカの発見した〈人間〉だった。いいかえればその揺れる襞としての〈人間〉は決して自然にも社会にも最終的に落ち着く場所を得られない。
 ペトラルカの生きたのは、疫病ペストが蔓延した時代だった。ペトラルカは都市に近寄ることを嫌悪し、それが彼の田園への志向、彷徨の理由にもなった。恋慕する人にも友人たちにも会うことができず死に別れ、自然をいくらさ迷っても生きるべき最適な場所などどこにも見つからない。さ迷い、こんがらがって、ひしめきあう、苦悩する襞としてだけ〈人間〉は存在する。こうして見たこともない風景が発見される。それは喜びに反転することもあるだろう、か。

© Kenjiro Okazaki
The souls of men still shine with heavenly fire/ひしめきあう庭の植物(かれの容貌)
2020,アクリル,カンヴァス,18×23×3cm

※ シモーネ・マルティーニ(1284頃-1344) イタリア、ゴシック期の画家。シエナで活動した。代表作に《受胎告知》。

※ ペトラルカ(1304-1374) ルネサンス期を代表するイタリアの詩人、人文主義者。詩作品として、叙事詩『アフリカ』、叙情詩『カンツォニエーレ』などが知られる。

※ ティトゥス・リウィウス(前59頃-17) 古代ローマの歴史家。アウグストゥス帝の側近であった文人の一人。著書『ローマ史』は一部のみ現存する。


*本連載には、現在開催中の展覧会「TOPICA PICTUS」会場にて配布されているリーフレットに掲載された内容と重なるものがあります。

*とくに示したものをのぞき、著者自作以外の作品画像はパブリック・ドメインのデータを使用しています。

*「TOPICA PICTUS」の画集は、ナナロク社より発売されています。

タグ

バックナンバー

著者略歴

  1. 岡﨑 乾二郎

    造形作家。武蔵野美術大学客員教授。
    1955年東京生まれ。1981年の初個展「たてもののきもち」、1982年パリ・ビエンナーレ招聘以来、多くの国際展を含む展覧会に出品。主な個展として「ART TODAY 2002」(セゾン現代美術館、2002)、「特集展示 岡﨑乾二郎」(東京都現代美術館、2009〜2010)、「《かたちの発語》展)」(BankART Studio NYK、2014)、「視覚のカイソウ」(豊田市美術館、2019〜2020)。
    総合地域再創生プロジェクト「灰塚アースワーク・プロジェクト」、「なかつくに公園」(広島県庄原市)、「《ミルチス・マヂョル/Mirsys Majol/Planetary Commune》」(ガラス、セラミックタイルによる連続壁面、ハレザ池袋、豊島区)、「ヴェネツィア・ビエンナーレ第8回建築展」(日本館ディレクター、2002)、現代舞踊家トリシャ・ブラウンとのコラボレーションなど。
    展覧会企画として「ET IN ARCADIA EGO ――墓は語るか」(武蔵野美術大学美術館・図書館、2013)、「抽象の力――現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜」展(豊田市美術館、2017)、「坂田一男 捲土重来」展(東京ステーションギャラリー、岡山県立美術館、2019~2020)など。
    灰塚アート・ステュディウム(ディレクター、1996〜2000 )、四谷アート・ステュディウム(ディレクター、2002〜2014)。主著に『抽象の力 近代芸術の解析』(亜紀書房、2018)、『ルネサンス 経験の条件』(文春学藝ライブラリー、文藝春秋、2014)、『芸術の設計――見る/作ることのアプリケーション』(フィルムアート社、2007)。『ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ』(絵本、谷川俊太郎との共著、クレヨンハウス、2004)。

閉じる