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3.11を心に刻んで

関野吉晴

「78年生きてきて星空がこんなに美しいとは思わなかった」「支援は何にもいらない、私たちが嬉しいのは訪ねてくれることです。それから私たちを忘れないで欲しい」「嫁さん候補を連れてきてくれれば大歓迎だけどね」

(陸前高田市Sさん)

*  *

 東日本大震災の直後、陸前高田市の北東の端で被災したSさんの言葉だ。Sさんの家は1階部分が崩壊した。やや高台にあったので、半壊で済んだ。しかし半壊でも住めないのだ。いつ崩れるか分からない。なおかつ全壊の被災者の多い避難所には入りにくい。
 Sさんの周囲には、団体生活に馴染めない家族、避難所でトラブルを起こした人、行政には頼りたくない人などが集まってきていた。近くの高台に寺があり、そこのお堂が開放されていた。
 Sさんが仲間と談笑しているところで、偶然出会った。東京在住の教え子たちから託された支援物資をワゴン車に乗せて、医療行為をしながら動いていた時だった。
 ほぼ壊滅状態で、電気のない町は夜になると真っ暗だ。急に訪れた闇夜。Sさんは暗闇で際立って輝きを増す星の美しさに気づいた。
 町の住宅は電線だけでなく、水道管、下水管、電話線が繋がっていて、その一つでも切れるとパニックになる。私たちは、重症患者が点滴、心電図、排尿の管、人工呼吸器、栄養を送る管に繋がれている状態を見て、スパゲティ症候群と呼ぶ。しかし、私たちの住まいも様々な管で繋がっているのだ。
 Sさんたちは昔使っていた井戸を復活させて水を確保できたことが幸いして、行政にも避難所にも頼らず、自立していた。
 Sさんは木こりで、米作りの名人だった。彼の長男は消防団で救援活動をしていた。家に取り残されたお年寄りを救い出そうとしている時に、津波に襲われ、飲み込まれてしまった。遺体は見つかった。しかし火葬場は目いっぱい稼働していても火葬するまでに1カ月以上かかった。長男が亡くなった日、次男の奥さんが女の子を産んだ。長男の生まれ変わりだと言って、希美(のぞみ)という名がつけられた。
 それから1年半。Sさんは山に入り木を自分で伐採して、半壊した家を片付け、仲間に手伝ってもらって新しい家を建てた。震災から7年、85歳になるが、米作り、そば作りをしながら仲間の支援に奔走している。

(せきの よしはる・探検家、人類学者、外科医)

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