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MOMENT JOON 日本移民日記

第7回 僕が在日になる日 〈MOMENT JOON 日本移民日記〉

 他の回と違って今日の話は、自分の中で正直はっきりとした答えが見えないことについて書こうとしています。ものすごく難しいトピックなので、書き始める前に一つだけ確認しとかなきゃいけないです。「冷蔵庫にキムチがあるかないか」です。私に頼まれて、冷蔵庫の中を眺める彼女。彼女からどんな答えが聞きたかったのか、正直わかりません。「いっぱい残ってるよ、これでプデチゲ4回は作れそう」と答えてほしかったのか、それとも「ないよ、最近全然食べてないよね」が聞きたかったのか……

「韓国領事館です」

 今年の1月、「駐大阪韓国領事館です」というタイトルの1通のメールが届きました。「領事館」という文字を読むだけで緊張してしまって「本国送還? 韓国政府からの警告?」と勝手に想像してしまったのですが……実際は1月に朝日新聞に掲載された私のインタビューを領事館の人々が興味深く読んだらしく、総領事と軽くお茶でもしませんか、という内容でした。正直、総領事とか偉い人に会うのが怖くて最初は断ろうと思ったのですが、メールにあった「そしてご歓談の後に、もし宜しければ領事館の近くでお食事でも」という部分で心が動いてしまい……
 少し緊張しましたが、総領事とのお話は本当に「お茶だけ」で終わりました。会議室で形式的な挨拶の言葉を交わして、その後は実務担当の方々と別の所で長く会話を続けました。どうしても少し警戒する態度が表に出ていたらしく、「いやいや、もう官が自由な個人の足を引っ張るという時代ではありませんから」と担当者の方が笑顔で言ってくれました。軍隊などで経験した「権威的な韓国の大人たち」を予想していた自分の先入観にやっと気づいて、少し恥ずかしくなりました。
 領事館の文化・教育業務を担当する人々の目線から私の活動について聞くことは、とても新鮮な経験でした。特に、彼らから今の韓国が重視している「ある価値」の存在が強く伝わってくるのが、本当に印象的でした。Kポップに象徴される自由奔放さとクリエーティビティ、グローバルな目線と感覚、民主主義的な価値観との連帯など……まぁ、ある程度「理想的な韓国」を代表せざるを得ない「領事館」という立場もあるかもしれませんが、それでも今の韓国社会が重視している価値観とは何か、ただ話し合うだけでそれがひしひしと伝わってきました。
 
 ただ、これらの「今の韓国的な価値」と結びつけられて私の活動が褒められる部分では、やはり少し違和感を感じてしまいました。職業病なのです。褒めるにしても批判するにしても、私の作品や活動を「韓国」と結びつける人が今でも多すぎるのですが、その度に私は強く反論してきました。私の曲の中の物語や喜怒哀楽が「韓国人だから」出てくるものに見られ、日本の現状とは「関係ない」ものと理解されて無視されるのが嫌だからです。だから私は「韓国」ではなく、「人間キム・ボムジュン」とか「日本の移民」というキーワードで自分を見てほしいと言ってきています(韓国でライブしたことも、曲を発表したこともないのに「モーメント・ジューンは韓国のラッパー」とか言う人にも、マジで大っ嫌いですけど一応笑顔で同じこと言います)。
 もちろん、領事館の人々が私から「韓国」を見出すことは、その文脈が違います。日本人のリスナーや音楽業界が私に「韓国」というタグをつけるのは、「異質なもの」「日本とは関係ない」と線を引くためだとしたら、韓国・朝鮮の人々が私から「韓国」を見ることは、私と彼らの共通点から誇り・勇気・希望を感じるからでしょう。そんな人にまで「いや、全て私個人の能力・努力の結果なので韓国とか持ち出さないでください」とは、さすがに言えません。本町駅近くの高級牛肉弁当が美味しすぎて、というのもあったかもしれませんが……

 「へ? 冷蔵庫にキムチがないなんて答えを聞きたいの? 何で? 持ってたら何が悪いの?」と思うでしょ。まぁ、もちろん持っていて悪いことはありませんが、問題はこれです。
 私があなたに「私、昨日もキムチ食べましたよ」と言ったとしたら、そこであなたの考えは単純に「あ、モーメントは昨日キムチを食べたんだ」だけで終わるでしょうか。「韓国人はキムチが大好き」というステレオタイプを思い出して「やっぱり韓国人だよね」と思わないと、あなたは言えますか。そうやってあなたが知っている「韓国人」のカテゴリーに私が入る瞬間、あなたの目に映る、私の人間としての複雑さや多面性は薄くなるのが、今までの日本での私の経験でした。

「ニューカマー」と「昔に渡ってきた人々」

 領事館の人々のお話でもう一つ印象的だったのは、「ニューカマー」という言葉でした。「そう、モーメントさんみたいな『ニューカマー』の人々は、やっぱり堂々としていて、自由で、言うことはっきり言いますしー」みたいに、先に紹介した「今の韓国っぽいポジティブな価値観」の文脈で私は「ニューカマー」と呼ばれました。しばしば「留学生」「外人」「韓国人」「チョン」などと呼ばれたり、自らを「移民」と呼ぶことはありましたが、「ニューカマー」と呼ばれたのは初めてでした。「80年代以降日本に移住してきた外国出身の労働者」のことを「ニューカマー」と呼ぶことがありますが、もちろんここでの「ニューカマー」は、その意味ではなく、「韓国・朝鮮から日本に渡ってきた人々」の文脈の中で使われる言葉です。
 帰り道で、自分はどこまで「ニュー」なんだろうか、という疑問が湧きました。日本に住み始めたのは19歳だった11年前。途中で徴兵のために韓国にはいましたが、社会人として韓国に住んだことはなし。韓国の家族との連絡は月に1,2回ぐらい、他に連絡をとっている韓国の友達は一人だけ。韓国のドラマ・映画も観ない、韓国のウェブ・コミックも読まない、Kポップも聴かない(ラップは聴く)、韓国の芸能人・ユーチューバーもフォローしていない、最近の韓国の流行りの食べ物も知らない。どう考えても私から「ニュー」の匂いはもうしないのでは……
 
 もちろん、この「ニュー」という言葉は相対的なもので、私の「ニュー」の反対側には、普段日本社会で在日韓国人・朝鮮人と呼ばれる人々がいます。韓国語の会話だと在日朝鮮人・韓国人の人々のことを普通「在日僑胞チェイルキョポ」と呼ぶのですが、領事館での会話では「在日僑胞」だけではなく「昔に渡ってきた方々」という言葉も一緒に使われるのが、とても印象的でした。「韓国人」と「在日」という言葉の間に「民族」という共通点しか見えないとしたら、「ニューカマー」と「昔に渡ってきた方々」という言葉を使うと、もう一つの共通点が見えてくるのです。「渡ってきた記憶」です。
   
 よく考えてみれば当たり前のことですが、今まであまり気づいていなかったこと。そうです。「昔に渡ってきた方々」も、日本に来たばっかりの時は「ニューカマー」であったはずなのです。初めて日本に来て感じる様々なこと、つまり言葉・文化・風習の違いによる苦しみ、社会・経済的に弱い立場、日本社会からの偏見と差別、同じ背景を持つ人々と一緒にコミュニティーを作る経験、日本での孤独感と離れてきた故郷へのノスタルジア、日本社会で生き残るための努力と執着、そしてそこから生まれる数えきれないほどのドラマと涙、成功と失敗……日本に来た時代や背景、日本での生活は大きく違っても、「昔に渡ってきた方々」と「ニューカマー」である私は、その「渡ってきた経験」で繋がっています。

 そこで、日本に住んできた11年間で、未だにちゃんと答えられていない質問が、もう一度浮かんできました。ある時「ニューカマー」だった彼らが今や「在日」と呼ばれるようになっているなら、「ニューカマー」の私も、時間が経てばいつか「在日」になるのでしょうか。

 で、冷蔵庫にキムチは、あるのないの? 答えは……ちょっと後で言います。信じてください。絶対にパンチのある答えですから。
 冷蔵庫の中を覗いてきた彼女に私は聞きます。「俺って、キムチ結構食べる方だと思う?」彼女の答えが、鋭すぎる。「You think you don’t, but I think your taste IS Korean(多分ジュン自身はあんま食べないと思ってると思うけど、でもジュンの味の好みは韓国だと思う)」

「在日」の基準1:国籍・血統・文化

 いや、私は一生「在日」にはなれないかもしれません。まず朝鮮半島から日本に「渡ってきた記憶」を持っているだけで「在日」になれるのか、ちゃんと答えるべきです。3世・4世・5世まで世代を重ねてきた在日同胞たちの中には、「渡ってきた記憶」とそんなに深い関係を持っていない人も多いでしょう。2020年代の日本では、直接朝鮮半島から渡ってきた人々より、その子孫たちの数のほうが、在日朝鮮・韓国人の中で圧倒的に多いはずなのです。

 「渡ってきた記憶」が「在日朝鮮人・韓国人」になるための必須条件ではなければ、「在日の基準」とは何でしょう。まずは「国籍」があるかもしれません。日本語版ウィキペディアは(その定義の難しさに触れた上で)「本項目では日本国政府公式の統計情報として記録されている日本に在留する韓国・朝鮮籍の者と定義して記述する」と書いています。しかし、「国籍」で在日を定義することは盲点が多すぎるのです。「韓国・朝鮮籍を持って」「日本に在留する」の分類だと、自分も親も祖父母もずっと日本で生まれ育った人でも、ワーキングホリデーでたった1年だけ日本に住んで韓国に帰る予定の人でも、みんな「在日」なのです。んー、他の人に出来るかもしれませんが、私にはワーキングホリデーで来てる人を「在日」と呼ぶのはやっぱ無理ですね……
 帰化して日本国籍を取った場合は、またどうなるのでしょう。孫正義のように帰化した人を日本語版ウィキペディアは「韓国系日本人」と記述しているのですが、日本国籍を取ったからといって、彼らを否定的な文脈で「在日」と呼ぶ人がいなくなる訳ではないですよね。日本社会が帰化した人をどう見るかだけではなく、在日社会、また帰化した本人が自分をどう見るのかも、複雑で立体的な問題です。あるトークイベントで一緒に出演したことのあるライターの金村詩恩さんのように、日本国籍を取った後も自分を在日コリアンであると呼ぶ人も多くいます。このように「日本国籍」と「在日」のアイデンティティが両立できるものだと認識する人もいれば、日本国籍を取ることは在日であることを「諦める」ことだと認識する人も少なくありません。例えば「おばあさんを悲しませたくなくて、亡くなるまでは日本国籍は取らなかった」という話を聞かせてくれた知人がいますが、彼は今も自分自身を「在日」と呼んでいて、そこからも「在日」というアイデンティティと「国籍」の間には、決して簡単には言い切れない複雑な関係があることが見えてきます。

 国籍、または特別永住権の有無に基づいた「在日」の定義は、このように壁にぶつかります(日本国籍ではなく他国籍を取った場合は? 育った環境はいわゆる「在日」だけど特別永住権がない場合は?)。もっと敏感な基準を持ち出すと、「血統」で在日を定義することも出来るでしょうが、これも問題だらけなのは同じです。親や祖父母の誰かが日本人なら「在日」である資格はなくなるのでしょうか。逆に、祖父や親が韓国・朝鮮民族なら、日本に帰化して「日本人」としてのアイデンティティを持つ人でも「在日」と呼ぶべきでしょうか? 日本社会の差別主義者たちが「日本人の血統主義」に基づいて、帰化した人をいつまでも「在日」「外国人」と呼ぶように? 日本人ではなくて、他の民族の血が入っている場合は? 今まで自分の血統を知らなかった人が、ある日自分の韓国・朝鮮のルーツを見つけることで「在日」になるのでしょうか。逆に、自分は「100%朝鮮人」だと思っていた在日の人が、先祖に日本人がいたことを知ったら、その人の「在日らしさ」は薄くなるのですか。日本社会が「純粋な日本人らしさ」を規定するために毎日のように使っている「ハーフ」や「クォーター」などの言葉を用いて、ある人がどこまで「真なる朝鮮民族」なのかを測るべきでしょうか?
 
 「文化」なら、「在日」を定義できるかもしれません。確かに「在日文化」は実際に存在するもので、日本のマイノリティ文化の中で、ある意味最も可視的で力のある文化の一つだとも言えるでしょう。ホルモンや鶴橋キムチなどの食文化、チマチョゴリなどの衣服、韓国語・朝鮮語の単語や表現を日本語の中で使う独特な言語文化、詩・小説・絵画・音楽・映画などの芸術文化、現代の韓国・朝鮮ともまた異なる冠婚葬祭……日本という環境で生まれたその特有の文化は、在日だけではなく日本人を含めた様々な人々にも愛されています。
 しかし、この「文化」を基準にしてある人の「在日らしさ」を考えようとすると、これもまた難儀なのです。この文化の中のどの要素が「在日らしさ」のコアに近いか、あなたは分かりますか? 「キムチを食べること」ですか? 「日常生活で韓国語・朝鮮語を使うこと」ですか? 今は亡くなった私の知り合いは奥さんが在日韓国人でしたが、人生で一度だけの結婚式はどうしても韓国式にしたくて、頑張って手配したチマチョゴリを着て式を挙げたらしいです。もし日常的に在日文化に触れていなくても、人生で最も重要な結婚式だけは必ず朝鮮式でやりたいという人がどこまで「在日」なのか、私にはその判断を下せる資格がありません。

 いやいや、私が普段キムチを食べるか食べないとかそんなに重要じゃないと、あなたは抗弁するかもしれません。なら、これはどうでしょう。「私、キムチとか普段食べなくて、自分で買うことも全然ないですよね」と、私が言ったとしたら、またあなたの考えは「あ、モーメントはキムチをあんま食べないんだ」で終わるでしょうか。彼女の答えを引用する時にわざと英語を入れた私の文章を読んで、あなたがどんな目線で私を見るのか、長年の経験で、私には何となく予測がつくのです。
 あなたの前で「あなたが思う普通の韓国人じゃない韓国人」を演じる私。そして時には「モロ韓国人」になる私。在日同胞の前でも私の顔は、常に変わりまくります。たまには「韓国現地から来た100%韓国人」に近くて、たまには「普段韓国語も使わないし主言語は英語であるコスモポリタン」にもなる私。矛盾しているこれらの全ての姿が、本当の私なんでしょうか。それとも私は、単に嘘つきなんでしょうか。こういうのって、私だけですか?

「在日」の基準2:民族意識・傷と絶望

 どうですか? 話せば話すほど分からなくなってきませんか? 私もそうです。でも終わりではありません。「文化」では足りないと、「民族意識」で「在日」を定義する考えもあります。単純に韓国・朝鮮の文化の中で生きているだけではなく、自分の韓国人らしさ・朝鮮人らしさをどれほど肯定して愛しているかを「民族意識」は聞いてくるのです。韓国語・朝鮮語教育を受けていますか? 本名を隠して通称を使ってはいませんか? 本国・祖国を訪問したことはありますか? ちょっと待って、本国とは韓国ですか、朝鮮ですか? 韓国のこと、あるいは朝鮮のことを、どこまで愛していますか?「民族意識」を確認するために聞かれる質問に、胸が重くなる同胞の人は少なくないでしょう。

 「渡ってきた記憶」「法的身分」「血統」「文化」「民族意識」……どれも基準としては不完全ならば、胸のもっと深い所にある何かから「在日」を考えてみるのもありかもしれません。バンドbonobosのヴォーカル、蔡忠浩さんから聞いた言葉を思い出します。「在日」という概念を前にした自分の悩みについて話した後に、蔡さんに「在日になるために必要なものとは何でしょうか」と聞いたことがあります。愚かすぎるかもしれない私の質問に、蔡さんは、それはもしかしたら「絶望」かも、と答えました。

 「例えばモーメント君は英語ができるでしょ? それだけでモーメント君に嫉妬する在日の人も結構いるはずですよ。多くの人々は、好きでも嫌いでもずっと日本で生きるしかないですから……」

 生まれ育った国と社会で異邦人扱いされ、日本社会の絶対多数には分かってもらえないその絶望。そして、ここじゃないどこにも行けないという絶望。確かに私は「日本以外には住めないし住みたくもない」と宣言して、自分を「移民」と呼んできましたが、蔡さんの言うように「日本以外のどこにも行けない人」と比べれば、まだ違う場所に移れる可能性が少しでも残っていますよね。
 そんな私に、彼らの絶望が分かるはずがありません。「帰れ」と言われた時の辛さをラップにもしている私ですが、日本で生まれ育って日本語しか話せない人が「帰れ」と言われる時に感じる絶望、自分の家族も同じ経験をして長い歳月に刻まれてきた絶望を、私は一度も味わったことがありません。在日であることが知られて仲が良かった友達から突然「お母さんが君と遊ぶなって」と言われる時の絶望。自分の本当の名前を使うことが辛くて、通称を使いながらもまた苦しむ時の絶望。関東大震災の記憶から、いざ何かあった時に自分は隣人たちから安全ではないかも、という絶望。「北」と「南」、「日本」と「在日」、「社会」と「自分」の狭間で苦しんで生まれる絶望。誰かから聞いたり、どこかで読んだりして知っているふりは出来ますが、この絶望は自分のものではないことを、私の心は知っています。古くて重い、その「絶望」が在日の基準なら、私は決して在日にはなれません。

 もちろん、この「絶望」という基準にもいくらでも反論できます。まず「在日」だから皆が同じ環境で同じように苦しむのではないことを指摘されるでしょう。生活環境が、経済状況が、そして英語能力などを含めた個人の能力が皆バラバラなので、「在日」だから絶望を感じるとしても、その程度は人それぞれだと言えるでしょう。
 それとも単に「絶望」するだけではなく、絶望と闘って「抵抗」することがもっと重要な基準かもしれません。それとも、日本社会に「在日」と見られて不当な扱いをされることが「在日」の基準でしょうか。「チョン」と呼ばれた私は、「在日」ですか。「国籍」「苦しみ」「文化」「家族歴」「名前」など、無数にある「在日」の基準。では、これら全ての概念を適用すれば「在日」の範囲が決まるのでしょうか。その時に、全部の基準の積集合だけが「在日」ですか? その中のいくつかに当てはまれば「在日」ですか? ある人がどれほどオーセンティックな在日か、パーセンテージで表せますか? そもそも、人を「在日」だと決められる資格と権威は、誰にありますか? 「日本」ですか? それとも他の「在日」?
 
 聞き始めると結局最終的には分からなくなって、「とりあえず俺は在日ではないかもな」と結論づけてきた質問。誇り高くて、美しくて、温かくて、強くて広い言葉でもあれば、古くて、厳しくて、悲しくて、弱くて狭い言葉でもある「在日」。意見を聞かせてくれた蔡さんの最後の言葉が、ずっと頭に残っています。

 「まぁ、でも正直よく分かんないですけどね。みんな『同胞』で良いんじゃないですか?」

 どうですか? ここまで読んでイラっとしている人がいるかもしれません。なんでここまで複雑にするのよ、と。日本での「日本人」、または「スタンダードな人間」だと思われがちの欧米の出身者は「複雑・多様・立体的な人間」と見なしても、「在日」にはそれを許さず、一握りにして「全部同じもの」と理解したい気持ちがあるのではないですか? すみません。あなたが「何となく分かっている」と思っているものを「それって実はこうなんですよ」と更に明快に答えるのは、政治家、またはプロパガンダの仕事です。あなたが「何となく分かっている」ものは、実はあなたが想像するよりもっと複雑で敏感です、と理解させるのが芸術家の仕事です。
 ここまで書いても、そんな微妙な違いとかニュアンスとか面倒くさくてどうでも良いと思っているなら……そんなあなたに私の冷蔵庫の中にキムチが入っているかどうかは、残念ながら教えられません。複雑な「一人の人間」ではなく、タグを付けて私を理解したがるあなたのために私から用意した、「シュレディンガーのキムチ」です。

私は、あなたに「借り」があります

 これまであげた全ての基準は「在日」とは何かを理解するために極めて重要なコンテクストですが、その中のどれか一つだけで「在日」を定義することは難しいです。我々が「何となく知っている」と思っている「在日」は、実は一つでは絶対にまとまらない多様な人々の集まりなのです。人によって、場合によって変わる「在日」の範囲に、私は、時には含まれたり、時には外されたりしてきました。日本に住み始めた2年目の時点で既に私を「在日」と呼んでくれた日本人・在日韓国人もいれば、今まで10年、いやこれから死ぬまで日本に住んでも、私は「在日」ではなく「ニューカマーの韓国人」だと呼ぶ人もいるでしょう。

 このように、近くて遠い「在日」という言葉は、いつも私の心を揺さぶってしまいます。矛盾する色んな気持ちを同時に呼び起こす言葉なのです。日本人や他の国籍の人によって私が「在日」と呼ばれる時、私は「あなたたちにそれを決められる権利あるの」と正直思ってしまいます。100年以上に及ぶ在日韓国人・朝鮮人たちの歴史の中の苦しみ・喜び・闘い・レガシーを少しでも分かった上で、そんなふうに簡単にジャッジするのか、聞きたくなります。しかし、在日の同胞たちに「在日」と呼ばれると、胸の奥で真っ黒の罪悪感が動き始めるのです。「在日」の苦しみ・喜び・闘い・レガシーは、私の家族が直接経験したものでもないですし、日本に住んでいる私だって、そのほんの一部しか経験していないのに……温かい応援の言葉と共に手を伸ばしてくれる在日の同胞たちの前で、どうしても「申し訳なさ」がなくならない私は、彼らとつい距離を置いてしまうのです。

 じゃ「在日」ではないですよね、と言われる時の感情もやや複雑すぎます。前に触れた様々な基準のどれかに引っかかって「在日ではない」と宣言される時、その判断を下す人の「資格」や「権威」を疑ってしまう私。そして「誰がもっと在日か」「誰がもっとオーセンティックか」というのが一体誰のためになるのか、いちいち反論したくなります。「誰の傷がもっと大きくて深いか」を比較して人を排除することで、「在日」としての声はむしろ弱くなるのではないですか、と。もちろん、そのような判断を下す人々からすれば、「我々みたいに苦しんだこともないくせに、勝手に乗っかろうとする」人に対する、正当な排除かもしれませんが……

 一緒にされる時の罪悪感と申し訳なさ、そして含まれない時の寂しさと反発心……この矛盾する気持ちの根っこまで辿っていくと、もっと根深い気持ちにたどり着きます。私は、在日の同胞たちに「借り」がある、という気持ちです。

  「在日」にここまで心が揺さぶられる理由を、「結局同じ民族だからじゃない」で理解したい人もいるでしょう。「やっぱ味の好みは韓国」と彼女に言われたように、です。「何でここまで複雑にするのよ、別に韓国人だからキムチが好きということで良くない? 同じ韓国人だから在日が好き、で良いんじゃないの?」と。
 私にとってキムチは「毎日の食事の基本中の基本」ではなく、何かの料理を作る時にしか使わないものです。キムチを使った一番自信のある料理は、プデチゲ。韓国で米軍基地からの食材を使って生まれたプデチゲは、沖縄料理でスパムがよく使われることとも似ていますが、「駐韓米軍」というコンテクストを持たない在日同胞たちとは本来縁のない料理なのです。逆に「ホルモン焼き」も、「日本」というコンテクストを持たない韓国や朝鮮の人々にとっては、自分たちの料理ではないのです。私が個人的にホルモンが苦手であるように、プデチゲが口に合わない在日の同胞もいるはずです。「共通点」が必ず「好き」に繋がるのではないことが、分かるでしょうか。そして「共通点」が、必ず「同じ」を意味するのではないことも。それとも「なに? 日本人なのに寿司好きじゃないの?」みたいな考え方で、私を見続けますか。へっ? 冷蔵庫にキムチがあるかどうか、まだ知りたいんですか?

あなたからもらったものを、また次の人へ

 本当に実現できるとは、正直思っていませんでした。自分の曲「TENO HIRA」に、在日の詩人の金時鐘さんの作品「夢みたいなもの」を入れたくて許可をお願いしたいと言った時、プロデューサーが「なら本人に朗読してもらえば」とアイディアを出したのが始まりでした。お世話になっている『文藝』の編集長から金さんの連絡先を教えてもらって、久しぶりに韓国語で手紙を書きました。下手すぎる自分の韓国語の文章に満足できないまま手紙を郵便ポストに入れたのですが、二日後に知らない番号からの電話に出ると、電話の向こうは何と金さんでした。
 奈良のご自宅のリビングに座って金さんのお話を聞くと、私も一緒に1950年の大阪に戻ったような感覚になりました。済州島の4.3事件の悲劇から逃げて日本に渡ってきた直後の苦難、一人で生き残ったという罪悪感、同胞たち同士のドラマ、日本社会の差別に対する怒り、不安と孤独、それでも消えずに燃え続く詩に対する情熱……1時間ぐらいの話ではとうてい言い切れない長い歳月の物語。私より何十倍も鮮明な「渡ってきた記憶」を生きてきた金さんに、私が強く共感したのは当たり前です。
 
 私は金さんの作品を読んだり金さんの人生についても色々学んで、そこからどうしても「今の自分」を見つけるのですが、金さんにとって私は、どんな人に見えたでしょうか。韓国の中流階級の家庭で生まれ育って、英語や日本語も(植民地支配ではなく)自分の意志で勉強できた私。親からの支援で、一応学部4年までは日本でも比較的落ち着いた生活をしてきた、阪大生の私……左右の対立によって祖国が目の前で分断される絶望も、1950年代から「在日」として日本を生きてきてできた傷もない私に、それでも金さんは「金君のような若い在日同胞に自分の作品が読まれているのが嬉しい」と仰いました。
 お声を録音する前に、先に曲を聴いてみましょうということになって、ご自宅の古いCDプレイヤーで「TENO HIRA」を流しました。「速すぎて聞き取りにくい」が最初の反応でしたが、曲の最後の「スカイツリーじゃなくて君がいるから日本は美しい」という歌詞には、金さんもうなずきました。マックブックを使って一瞬で終わった録音の後に、持病のせいでお疲れになった先生は「申し訳ないですけど休みます」と仰いました。お礼を言って家を出る時、玄関まで送ってくださった金さんからの最後の一言が忘れられません。
 
 「誰か、本当に切実に望むものがあれば、それは必ず叶えてあげるべきだよ。金君も、誰かにまたそうしてあげてね」
 
 その言葉を思いながら帰り道で金さんの朗読を聞くと、他の人もいるのに電車の中でつい声を出して泣いてしまいました。
 
 金さんのお話の中で、「結局何も変わってないですよ」という言葉が何度も出てきました。1950年代、いや、戦前から今に至るまで続いている日本の根強い差別と偏見。しかし、帰り道でもう一度考えてみると「それは違うだろう」と気づいたのです。植民地支配で「日本人」だった人々が、戦後いきなり法的身分を奪われて「外国人」にされたことと比べれば、長い闘争の結果で出来た「特別永住権」は、誰が何と言っても「変化」なのです。朝鮮半島でさえ朝鮮語の授業が教科からなくなった太平洋戦争期と比べれば、多くの人々が闘って守ってきた民族学校・朝鮮学校・民族学級は、誰が何と言っても「変化」です。VERBALとテイ・トウワなどが「在日」であることで消費されるのではなくその作品で愛され、一方「在日」であることを語る芸術家も声を出し続けている今の日本は、作品活動や芸能活動をするためには在日であることを隠すという選択肢しかなかった1950年代の日本とは、絶対に違います。もちろん当事者たちからすると、これは不完全な変化で物足りないはずです。しかし不完全でありながらも、彼らは変化を起こしてきました。
 私は、彼らによって変わってきた日本を生きています。彼らのおかげで、いわゆる「普通の日本人」には含まれない人々の声が、それでも出しやすくなった日本。「在日」だけではありません。沖縄、被差別部落、華僑、性的少数者、アイヌ…… 苦しみの内容も、目指す変化も違って、たまにはお互いぶつかることもあるこれらのグループを「みんな日本で苦しんでて、まぁ一緒じゃないの」と見なすのは危険です。しかし、彼らが自分の存在と権利を日本で訴えてきて、悩んで葛藤しながら歩んできて出来たのが、私が住んでいる今の日本なのです。彼らが勇気を出さなかったなら、頑張って闘って、日本社会の絶対多数に自分らのメッセージを伝える方法を模索してこなかったなら、私の居場所なんか、今よりももっと狭かったに違いありません。そんな人々への感謝の気持ちと同時に、彼らの苦しみは共有していないという罪悪感。それが、私が感じる「借り」です。
 
 自分の苦しみをまるで鎧のように着て、他人を突き放す人もいるでしょう。他人と傷の大きさを比べて、自分の価値をもっと認めてもらいたい人も。苦しむ「内」と苦しませる「外」の明確な線を引いて、「内」の中で違う声を出さずに一つであることを強要する人も。それが行き過ぎて排他的・独善的になる人も、確かにいます。しかし、苦しみと傷を持った人が他人に手を伸ばしてくれる時に、私は希望を感じます。金時鐘さんが被差別部落の人々の人権運動に応援のメッセージを発信しつづけてきたのも、正にそうです。教会を通して南米や他のアジア出身の移民者たちを手伝う在日のクリスチャンや、NGOで人権運動に参加したり、難民に対する非人道的な扱いと入管法改正に反対する声を出す在日の若者たちもいます
 私が「在日」になる日、本当に「在日」とは何なのかが私に分かる日は、永遠に来ないかもしれません。私が使う「移民」という言葉が、日本社会に根を下ろす日はいつ来るのか、どうしても分からないのと一緒です。しかし、フィリピン出身の若い友達が、ビザがもらえなくて父が日本から出るしかなかったファンの人が「モーメントの音楽から希望をもらった」と言ってくれるだけで、私が日本で歌い続ける理由は十分です。これが、私の中の「借り」を返す方法なのです。私自身は一生「結局日本は変わらない」から自由にならないかもしれません。しかし、私には見えない未来の変化を、次の世代が生きていくことだけは、信じています。同じことを仰った金時鐘さんのおかげで、2021年の日本で私が歌うことが出来ているように。あなたからもらったものを、また次の人へ。

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著者略歴

  1. MOMENT JOON

    ラッパー。1991年生まれ。韓国出身。2010年に留学生として来日し、大阪を拠点に活動。「移民」である自身に焦点をあてた楽曲「井口堂」「ImmiGang」などを発表し、反響を呼ぶ。2019年には『文藝』(河出書房新社)に自身の徴兵体験をもとにした小説「三代 兵役、逃亡、夢」が掲載された。2020年3月にファーストアルバム『Passport & Garcon』を発表。最新曲は「DISTANCE(feat. Gotch)」。

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