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〈座談会〉ひらかれた古代史へ──シリーズ『古代史をひらくⅡ』発刊に際して【前編】

〈座談会〉吉村武彦・川尻秋生・松木武彦・清水克行

本物の歴史を知る楽しみを、歴史ファンに「やさしく、深く、面白く」伝えたい。そして他分野・時代の専門家や海外・地域の研究者とも豊かな協力関係を築きたい――。そんな「ひらかれた」古代史はいかに可能か? 古代史、中世史、そして考古学の研究者が集まって語り合う。前編では、考古学と歴史学の関わりから、災害と疫病、荘園研究などのテーマを取りあげる。

 


 

吉村 このたびシリーズ「古代史をひらく」第Ⅱ期の刊行が始まり、1冊目の『古代人の一生』が刊行になりました。好評だった第Ⅰ期(全6冊、2021年 完結)と同じく、本物の歴史を知る楽しみを「やさしく、深く、面白く」お伝えすることを主旨としています。本日は編集委員の吉村と川尻秋生さんの他、考古学がご専門の松木武彦さんと、日本中世史がご専門の清水克行さんにお集まりいただきました。皆さんかつての考古ボーイと歴史少年ですので、歴史の楽しみ方を色々お話しくださると思います。

 本シリーズの「ひらく」には「啓く」「拓く」「開く」などの意味を込めています。一般の歴史ファンの皆さんにもっと日本古代史の面白さをお伝えしたいのはもちろん、研究者どうしでも、考古学など他分野との協働や、時代を横断した研究、地域や海外の研究者との協力などを通じた「ひらく」の実現をめざしていますが、実際の状況はどうでしょうか。

松木 「ひらく」というのは、日本古代史にもし固いイメージがあるとしたら、その固い皮を溶かして外から新しいエキスを取り入れたり、あるいは古代史の側から隣接の学問に刺激を与えてその壁をなくしていこうとする、そういうイメージで考えております。私は第Ⅰ期の『前方後円墳』「国の形成と戦い」の中で、古墳の形の意味について書かせていただきました。前方後円墳というのは、古代の日本列島で作られた大きな墳墓の最大の特徴であり、古墳は王権を象徴反映したものだ――というのが、考古学のこれまでの伝統的な見方だったんですが、私はこの本で、ざっくり言うと「古墳なんて王権の反映ではないんだ」みたいなことを書いてしまい、多くの同業者たちから「ちょっと言い過ぎだ」と言われました(笑)。でもこれが、「ひらく」ということじゃないのかなと。先学が作ってきて、新しく学問に参加した者にはすでに先入観になってしまっている、固く閉じられた概念のかたまり、それを壊すということではないかと思っています。

清水 「ひらく」がそういうトリプル・ミーニングだとは、面白いですね。私の専門の日本中世史では、いわゆる「戦国時代ファン」が古代史ファンに負けず劣らず多くて、SNSなどを通じてさらに裾野が広がっている。それ自体は良いことなのですが、一種の弊害もあって、研究と乖離かいりしたところでどんどん虚像が広がってしまったり、歴史ファンの描く理想的な歴史像と研究者の提示する歴史像が対立してしまうこともあります。どう「ひらいて」いくのか、中世史でも、大きなテーマだと思いますね。

川尻 研究者の側にもまだ学問の世界は「象牙の塔」というところがあって、そこをどう壊していくかを、研究者が考えなきゃいけないと思うんです。歴史ファンが増えるのは歓迎すべきことだけれど、何の裏付けもない歴史像を好き勝手に書いたいわゆる「トンデモ本」が書店に積んであると、やっぱり見過ごすことはできない。我々としてはきちんとした正しい知識を読者の皆さんにお伝えしたいと思っていて、少なくとも古代史について言えば、そういう意味で「ひらく」価値はあるんじゃないかと思います。

 

考古学とのかかわり

吉村 今回の第Ⅱ期でも、古代史の基本的問題群の中から「古代人の一生」「天変地異と病」「古代荘園」「古代王権」「列島の東西・南北」「摂関政治」という6つのテーマを選びました。教科書にも書かれている王権、荘園や摂関政治などの基礎的テーマと、現代の課題でもあるジェンダーや災害・環境、そして地域の問題を選んでいます。そのいずれの巻でも、考古学的な視点は欠かすことができません。考古学的な切り口というのは、一般の歴史ファンにも関心を持ちやすい面があります。いわゆる遺跡見学会など、奈良の飛鳥では一日に2〜3千人集まったこともありました。中世史でも山城やまじろなどの見学会がありますね。

清水 ここ5〜10年で、全国各地で説明会やシンポジウムも増えましたし、集まる人もどんどん増えていますね。

吉村 高松塚たかまつづか古墳や平城宮へいじょうきゅうのように、遺跡の保存問題を通じて、一般のファンが関心を持つということもありますしね。

 考古学と歴史学の関係でいうと、歴史学を「文献史学」と呼ぶことがあって、私はこの言い方は嫌いなんです。歴史学は『日本書紀』や『古事記』(以下「記紀きき」と略)のような文献史料のみならず、木簡もっかん墨書ぼくしょ土器のような文字が書かれた考古資料も研究対象とするものだからです。ただ文字史料の扱いについて、歴史学と考古学で違いがあるのは事実ですね。

松木 考古学ではむしろ、「文字に頼るべきではない」、とくに「記紀を使うのはだめだ」という考え方が、我々の年代の研究者にはあったんですね。

清水 考古学の主戦場は先史時代で、文字のない時代を明らかにするのだというプライドのようなものもありますよね。

松木 私が影響を受けて、謦咳けいがいにも接した近藤義郎さんは、いっさい文字史料を使わないで『前方後円墳の時代』(岩波文庫)という通史を書いた。私も少し真似をして、小学館の「日本の歴史」シリーズで、『列島創世記』という旧石器時代から古墳時代までの通史を文字史料を使わずに書いてみたことがあります。でも私の次の世代で古墳時代研究を支えている下垣仁志さんなどは、わりと記紀を参照するようになってきた。

吉村 考古学でも、今言われた近藤さんや小林行雄さんなどは、史料としては使わなくとも、実は『日本書紀』をよく読んでおられました。古代史では、特に木簡が出土するようになってからは考古資料を避けて通れなくなった。ところが歴史学の人間はどうしても、木簡を見る時も文字の釈読しゃくどくに集中しがちになってしまう。考古学の田中みがくさんが言われたように、それでは最後に鰹節だけをさらって食べる猫なんですね。やはり遺物・遺構・遺跡を見ていかないといけない。

川尻 木簡は奈良文化財研究所が作っている「木簡庫」という充実したデータベースがあり、釈読は全部検索で調べることもできますが、それも良いところと悪いところがあって、実物を見なくなる可能性がある。おそらく考古学でも、写真が発達すると直接物を見なくなるとか、そういうことがあるでしょう。

松木 ずいぶん前から、「ゼロックス考古学」なんて言われましたね。

清水 中世史で言えば、1980年代ぐらいから、網野善彦さんや石井進さんを中心に、考古学や民俗学を取り入れていった流れがあります。民俗学の方は今ちょっと流行らなくなってしまいましたが、考古学は特に社会史を論じる上では大事だというのは今も共通理解になっていると思います。文字は、どうしても政治史の材料なんです。社会史的なことは意外に文字史料に表れず、そこで考古学が本領を発揮する。今、中世史では政治史が流行りすぎなので、考古学に全く興味のない中世政治史研究者も出てきてしまっているのは問題なのですが。

松木 中世土器の編年などが現れてくるのが、80年代の半ばぐらいですね。たとえば備前焼びぜんやきの、何年ごろに作られたかめがどの地域まで流通しているのかとか、そういうのは絶対に文献には表れないことなんですよ。それが可能になったのは、やはり80年代以降じゃないかな。

吉村武彦氏

  

社会史の手法

吉村 社会史の話題が出ましたが、日本の社会史というのは、アナール学派のような西洋的な社会史とは異なるものだと思います。

清水 大きく違うのは、西洋の社会史は人口動態研究をやることです。一つの村の出生数・死亡数など人口の変遷を扱うけれど、日本の中世では、そもそもそういう史料がないからできない。だからかなり印象が違う。西洋の社会史が使っている史料は18〜19世紀ごろのもので、日本では近世にあたる時期だから可能なのかもしれない。それに一番近いのは速水あきらさんの、江戸時代の「宗門改帳しゅうもんあらためちょう」を使った研究でしょうか。

川尻 西洋では教会と病院・役所の史料が残っていますからね。

吉村 日本古代では戸籍計帳こせきけいちょうですか。

清水 そうなんです。今回『天変地異と病』の巻で執筆される今津勝紀さんは戸籍計帳を史料として使われていますよね。古代の戸籍を生活史料として使うのは、様々な意味で難しいと思っていたので、新しい発見でした。

川尻 今津さんはシミュレーションのような新しい手法を使われているんですよね。生まれて、亡くなって、独身だったらどういうふうに再婚するか、とかね。

吉村 現在残っている古代の戸籍が実態を反映しているかどうかという問題は、まだ完全に解決はしていないんですけれどね。考古学でいう単位集団との関係が、実はまだよくわからない。

松木 考古学の場合、20世紀の近藤さんたちの時代には、どういう集団がどういう遺構を残しているという理念型のようなものを設定して、それに当てはまるように遺構の解釈をしていくという研究が盛んでした。今はそういう研究は少し下火で、集落や住居址の数がどのように変化しているのかということから人口の動きを探る、つまりpopulationの研究が盛んになってきています。

川尻 そういう視点からも、『天変地異と病』の巻では火山噴火に注目しています。火山噴火の場合、火砕流かさいりゅうが一気に流れ、広範囲の地域がその時の状態で同時的にパックされることになる。群馬県の金井東裏かないひがしうら遺跡がそうで、今回、右島和夫さんが新しい説を出されています。これができる場所は限られるんですけれど、一つのモデルケースとして応用できれば面白いという気がするんですよ。

吉村 金井東裏遺跡や黒井峯くろいみね遺跡については人骨も出ているし、性別も含めて当時の家族構成がわかるのではないかと。今回『古代人の一生』の巻で「埴輪はにわからみた古墳時代の男と女」を書いてもらった若狭徹さんも意欲を持っていますね。火砕流から逃げるときに持ち去ったものもあるようですが、生活道具としてどれくらいの土器を持っていたか、ある程度はわかってきているようです。

清水 それは貴重ですね。中世の場合でも、百姓の家財を表す史料って、4、5点ぐらいしかないんですよ。罪を犯した百姓を領主が検断けんだん、つまり刑事処分したときに、押収した家財道具の一覧表というのが本当に数点だけ。

松木 こうしてうかがっていると、第Ⅱ期では社会史的に重要な問題群を取り上げられているように思いますね。

清水 中世史研究者にも親しみやすいテーマだと思います。

 

災害と病に向き合う

吉村 今話題に出た『天変地異と病』の巻は川尻さんの責任編集ですが、自然科学の分野から、古気候学を専門にされている中塚武さんにも参加いただいています。今夏の酷暑もそうですし、災害の問題はまさに切実と言わざるを得ませんが、松木さんは考古学と災害研究の関係についてどう思われますか。

松木 地震や津波などの災害が20世紀の終わりごろから頻発してくる中で、寒川旭さんがわあきらさんらが主導されている地震考古学などが始まりましたね。今言われた中塚さんの研究を拝見しますと、古代にも大気中の湿度がものすごく高い年などがあって、明らかに「何かが起こっていた」ことがわかる。それを考古学の発掘成果とどうマッチングさせていくのかが今後の研究にかかっていて、今回の本では、現在の達成とこれからの課題が示されるだろうと思っています。

 病の問題については、人口への影響が重要だと考えています。やはり人口が、社会の変化、停滞、衰退の、いちばんの基盤になると思うんですよ。2020年以来、新型コロナウイルスによって、これだけ医療が発達した今日の日本でも数万という死者が出ました。これが医療が発達していない時期、例えば14世紀のヨーロッパで流行したペストの場合、地域によっては人口の数十パーセントが失われたということが、多分事実としてあったと思います。日本の先史古代にも、疫病の蔓延で人口がワッとシュリンクしていくようなことが必ずあって、社会の変化に大きな影響を与えたはずなのに、それがいつどこでどれくらいの規模で起こったのか、文字のない時代にはわからないんですよね。それがもどかしい。

清水 今回のコロナ禍をきっかけに、我々歴史研究者が疫病の問題にいかに手をつけてこなかったかと反省させられました。研究のストックがなかったんですね。古代の疫病として有名なものに、たとえば藤原不比等ふひとの息子の四兄弟が天然痘で次々に亡くなった事件があります(天平9年〈737〉)。中世にも疫病はもちろんあるのですが、そこまで激症的な広がり方はしないんです。むしろ古代の方が深刻なのではないですか。

吉村 天然痘については、アメリカ人の研究者ウィリアム・ウェイン・ファリスさんが研究書を出しておられますが、日本語訳はないんです。彼は人口史に関心があって、天平の天然痘大流行で人が二十数パーセント減ったんじゃないかと言っている。最近は、それではちょっと多いので10パーセント台後半とも言われているようですが、大変な数ですね。

清水 中世では、そこまで減ることは考えられないですね。後の時代になると、ある程度抗体ができるからなのか。

川尻 さらに言えば病の流行には、飢饉ききんや天災、戦争などいくつかのファクターが絡むということですね。それがどう連動するのか、多分まだ全然わかっていない。『銃・病原菌・鉄』(草思社)というベストセラーがありますが、日本でも同様に、総体として捉えていくのが、今後何十年かの大きな課題ではないかと、今回の本を編集していて感じています。

松木 今は流行らない考え方かもしれませんが、戦争が発動する基盤には、経済的な原因、人口と資源の拮抗のようなものが必ずあると思います。ですから環境と病気と戦争の関係というのは、今後積極的に探っていくべきだと思いますね。

 人口の変動を研究していると、古墳時代前期の中頃に、どこの地域を見ても集落数や住居址数が減るポイントがあるんです。ここで人口が減っている可能性があって、あまり短絡的に結びつけると叱られますが、『日本書紀』の「国内に疾疫えのやまひ多くして、民死亡まかれる者有りて…」崇神すじん5年条)という記述に合うんじゃないかと密かに思ったりしているんです。ともあれ、人口はけっこう変動していることが明らかになってきて、それに疫病や戦争がどう絡むかというのは、新しい社会変化の理論を作っていく上で今後の鍵になるんじゃないかと思います。

川尻 中世だとやっぱり、寛喜かんぎの大飢饉(寛喜2〜3年〈1230〜31〉)が大きいですよね。飢饉でどのぐらい人口が減ったかとか、わかるんですか。

清水 「天下の人種の3分の1が失われた」なんて記述(『立川寺年代記』)がありますが、どこまで本当かわからない。むしろ言われているのは、かなり地域差があったんじゃないかと。飢饉が起こると日本列島全部が同じダメージを受けたわけではなくて、タイムラグや地理的な差も相当あったんじゃないかと言われています。

吉村 飢饉でも疫病でも、直接的に人が亡くなるばかりではなく、多くの人たちが言わば債務奴隷化してしまう。そういう意味でも厳しい社会になるんですね。

川尻秋生氏

荘園を歩く

吉村 第Ⅱ期でとりあげたテーマについてもう少し話題にしますと、たとえば『古代荘園』。伊藤俊一さんの『荘園』(中公新書)という本が2021年に出て、ずいぶん読まれたようですが、「墾田永年私財法こんでんえいねんしざいほう」以前のところが少し手薄というか。今、遺跡から具体的なことが色々と分かってきているのに、そういう話が出てこないのが残念といえば残念。そうではなくて、あえて奈良時代以前から続いているものとして荘園の歴史を探るというのが、編集を担当された吉川真司さんのアイディアです。中世史の研究者には、荘園を理念的にとらえて「こういうものだ」というのがあるようですし、実際のところ古代の「屯倉みやけ」をどこまで土地制度と関連させていいかはわかりませんけれども、実はいわゆる大土地所有のようなものは、「墾田永年私財法」の前からあったのではないか。そういう考え方が出てきているんですね。

清水 たしかに中世史研究者には、古代荘園と中世荘園とは決定的に違うんだと言う傾向、むしろ切り離そうとする傾向が強いかもしれないですね。同じ荘園という言葉で理解しようとするからわからなくなるんだ、とまで言う人もいます。中世史研究者はやはり、荘園の本質は「大土地所有」というだけではなくて、都市に集住する権門けんもんが個々に地方を支配して、その総体が国家体制になっているという点をメルクマールにするんですよね。そこからすると、古代荘園はやはり違う土地制度であるということになります。

吉村 松木さんが以前勤めておられた岡山大学の敷地で発見された、鹿田かだ遺跡も大きく取り上げています。

松木 私も発掘にかかわりましたし、『古代荘園』で鹿田遺跡のことを書かれている山本悦世さんは、私の元上司なんです(笑)。

川尻 この荘園は藤原氏の時代、8世紀末〜9世紀から、中世までずっと続くんですよね。

清水 すごく長いんですね。

川尻 私が学生の頃は、現地に行っての荘園調査というのがよくありましたけれど、今はなくなりましたよね。

清水 昭和の終わりには圃場ほじょう整備などによる景観の破壊がどんどん進んでいて、今調査しておかないと分からなくなるという切迫感があったんじゃないですか。今はもう、手遅れに近い状態なので、これからやるのは難しいというところもあるかもしれません。

川尻 吉村さんはずいぶん調査に行かれましたよね。

吉村 黒田荘くろだのしょう(三重県名張市)などにはずいぶん通って、水の流れ方やなんかを調査したり、小東こひがし(奈良県河合町)とかね。太良たら(福井県小浜市)なども行きましたけれど、あそこの景観は、今も中世とたいして変わっていないらしいですね(笑)。

清水 1980年代に圃場整備が入っていますが、集落のあり方や景観はあまり変わってないはずです。

川尻 ここが薬師堂、とかね。今もわかる。

清水 教育現場の人から言わせると、荘園が教えにくいというのは、その荘園の現地に足を運んでみたところで、何を見たら荘園を見たことになるのか分からないから、ということらしいんですね。お城だったら石垣や土塁どるいがあればわかるけれど、「荘園と言われても、単なる田園風景じゃないか」という。我々研究者もそれを発信できていなんですよ。これこそ荘園だっていうものを。

川尻 いかるが(兵庫県太子町)みたいな、牓示石ぼうじせきがあるところはわかりやすいですけれどね。ともあれ、考古学は違うとしても、古代史では、何か机の上の学問が主流になりつつあって、実際に現地を歩くとか、そういうことが少しすたれている気がします。

吉村 我々の時代は、考古学の人は授業なんて出ていませんでしたね(笑)。

松木 逆に授業に出ると、「松木、現場のほうは行かなくていいのか」って言われましたからね(笑)。

川尻 そういう時代でしたよね(笑)。清水さんもけっこう色々と現地を回っておられるでしょう?

清水 行かないといけないような気がして、何もないと思っても、一応行きます。でも中世ぐらいだと、行ってみると意外にヒントになるものが残っている場合がありますね。

吉村 石井進さんが出された『中世の村を歩く』(朝日新聞社)という本もありましたね。荘園の景観も、村が変わっちゃうと難しいけれど、行くとやはり面白い。今はあまり行く人がいないのかな。

清水 見に来る人が少ないために、地元の人自身が価値をわかってないというのもありますね。もっとたくさんの人が詰め掛けてくれれば、気づいてくれるんでしょうけれど。そういえば松木さんは以前、「日本100名城スタンプラリー」みたいなものを、古墳でもやったらいいんじゃないかと言っていたけれど、どうですか。

松木 じつは、古墳をめぐって「御朱印」ならぬ「御墳印」を集めよう、というのがもう各地で始まっているんですよ。

吉村 古代の場合は、国府と国分寺はだいたいどこの都道府県でもありますから、それを見に行ってもらうというのも、歴史を身近に考えてもらうきっかけにはなるかもしれません。やはりいきなり史料を読んでくださいというのは難しいですからね。考古学の遺跡や遺物を見る面白い企画というのは、歴史好きを増やすいいきっかけになります。

(2023年9月9日、岩波書店会議室にて)

 

(よしむら たけひこ・日本古代史)
(かわじり あきお・日本古代史)
(まつぎ たけひこ・考古学)
(しみず かつゆき・日本中世史)

» 後編に続く

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