渡邊英理 南九州と紀州[『図書』2026年10月号より]
南九州と紀州
『中上健次 路地のビジョン』余滴
文は人なりと言うけれど、わたしの場合、文と人には少なからず隔たりがあるようだ。少なくとも批評や研究の文体と生身の人間であるわたしの身体の間には、小さくないギャップがあると人は言う。実際に会う前に文章を読んでいた人には、想像していた人物と違うと言われることが少なくない。逆に、先に対面で出会っていた人には、こんな緻密で硬派な文章を書くんだと驚かれる。こうしたイメージは、あくまで批評や研究についてのもので、いま、書いているエッセイのような文章について同じ印象をもたれるかどうかは分からない。しかし、批評や研究などの文章は「ハード」、生身のわたしは、どちらかというと「やわらかめ」、というイメージらしい。
なぜ、中上健次について書くのか。この質問は、単純に研究の動機を確認しようという場合も無論ある。同時に、「わたし」の身体と文体のイメージのギャップに対する戸惑いと表裏の問いかけである場合もあるのかもしれない。中上といえば「無頼」の作家、神話ともいえる様々な噂や伝説には事欠かない。作家や編集者たちに、「無頼」と呼ぶにふさわしい中上のエピソードを聞いたのも一度や二度ではない。そんな作家を、なぜ女がわざわざ研究テーマに選ぶのか。素朴に疑問に思ったり、昨今の暴力を忌避するポリティカル・コレクトネス的な文脈から質問したりするということなのかとも推測する。
わたしは、生身の作家としての中上健次に直接会ったことのない世代の書き手であり、読み手だ。それは、少し残念に思うが、同時にほっとしている部分もある。2022年に『中上健次論』(インスクリプト)を出版した時、かつて中上健次を担当されていたある文芸誌の編集者が拙著を読んでくださり、「中上がもしこの本を読んだならば、俺がやりたかったことはこういうことなんだよと言ったはずだ」と光栄なお言葉をいただいた。ただこうもおっしゃっていた。「中上は喜んで渡邊さんを飲み屋に連れ回したに違いない。そこで噂や伝説に聞くような、大変な現場に遭遇して、結局、作家のことが嫌になったかもしれない」。これはもちろん冗談の類いだが、一面の真実かもしれない。
生身の作家を知るということは、必ずしもプラスになるとは限らないし、また、生身の作家との関係ばかりを特権視してしまって作家や作品を排他的に私有化してしまうならば、信頼できる批評や研究にはならないだろう。むしろ時に距離をとることが必要かもしれない。時間と空間の隔たりのうちに、読む自由と批評的営為が始まるのかもしれないとも思う。だから、岩波新書『中上健次 路地のビジョン』は、古くからの読者はもちろんのこと、中上を知らない新しい読者に彼に新たに出会ってもらおうという気持ちで書いた。これまで、中上文学を読み込んできた愛読者には、新たな中上の魅力を感じてもらい、同時に、中上を未読の読者に、その魅力を知ってもらいたいと思ったのだ。
では、人は、いかに中上健次に出会うのか。その出会い方には、いくつもの方法があり、また、出会い損ねや出会い直しもあるだろう。かくいうわたしも出会い直しによって彼に出会っていったひとりである。
振り返ると、わたしと中上の出会いを仲介したものがいくつかある。そのひとつは、わたしが出会った本の群れであり、もうひとつは、生まれ育った南九州という土地である。
わたしは、大学進学で上京するまで主に南九州で育った。母の実家のある熊本県の菊池で生まれて、その後、父の転勤による大阪暮らしを経て、3歳から高校卒業までを鹿児島県で過ごした。本はわりとある家で、まず家にある本を片端から読み、その後、図書館の本に手を伸ばした。その頃は、よく文庫を読んだ。安価で気に入った本を気軽に自分の手元におけるからだ。漱石、鷗外、谷崎など文学史に登録されている作家の文学や広く知られる世界文学にも文庫で出会った。漱石の『三四郎』を読み、同じ九州熊本から東京帝国大学に進学すべく上京する三四郎に共感しながらも、そこに女性の大学生はいないことに気づき、大学で社会学を学ぶ女性が登場するという、同じ九州出身の女性作家・野上弥生子の『真知子』を手にとる。そんな読書遍歴も、文庫に導かれてのものだ。中上の小説も文庫にはいっているものを読んだ。その時は、正直、あまりぴんとこなかった。
その後、高校時代の友人が、松浦理英子を教えてくれた。さっそくデビュー作『葬儀の日』を読んだ。一読、すごい小説だと驚嘆した。以後、松浦理英子の本を愛読するようになり、ある日、『おぼれる人生相談』という本を手にとった。読者からの悩みに小説家である松浦が答えるという内容の本だが、悩んでいる高校生に中上の「十九歳の地図」を読むべきだと勧めていた。いや、勧めているというより、つべこべ言わずこの本を読め、という勢いだった。松浦理英子がそこまで言う中上健次はやはりすごい作家に違いない。そう思って改めて読みはじめた。
学部の卒論は芥川龍之介で書いた。その中で、芥川が書いた「王朝物」とも呼ばれる平安朝を舞台とするような歴史小説は、中上が古典文学を批評的に書き換える小説とつながっていると感じた。過去の文学の翻案は、言葉と文学の歴史とどう切り結ぶのか、という挑戦でもある。芥川も中上も、それを試みた作家だろう。引用される過去の文学は、ただの意匠やレトリックではない。そうではなくて過去は、現代を見る鑑だ。その意味で、それは歴史小説であると同時に現代小説である。芥川も中上も、過去の世界を通じて、現代を照らし出し批評することを企てた。
やがてわたしは、中上の小説が描く景色が、幼い時に見ていた風景と重なっていることに気づいた。わたしは3歳から小学校の途中まで、鹿児島県の霧島で過ごした。霧島は鹿児島県北部にあって、宮崎県との県境、霧島連山の麓である。写真家・笹岡啓子は、「SHORELINE40」でその霧島の山々のうち、新燃岳、高千穂峰、中岳の姿を写真におさめている。その連峰は火山群でもあり、湯どころ霧島の豊かな源泉は、火山である山並みに由来する。
霧島神宮のお膝元であるここはまた、記紀所縁とされる高千穂の地を抱き、土地の古層に差別被差別の稜線が入り組む地域でもあった。中上の生地・和歌山県新宮市もまた記紀の舞台である紀州熊野の一部であり、熊野三山の速玉大社も同地に位置する。速玉大社には古事記に登場する八咫烏も祀られている。同地もまた差別被差別が複雑に入りくむ。霧島時代の幼いわたしは、はっきりとは分からなかったが、大人たちが交わす言葉などから、その土地に何か複雑な境界があるということもうっすらと感じていた。もの心つき差別の歴史を知るようになって、中上文学に描かれているのは、自分が子ども時代に見ていたあの風景と重なるものだと知った。霧島と新宮、南九州と紀州は、ずれながらも重なっているのだ。
霧島は、山と温泉に恵まれ、南九州随一の観光地としてもその名を馳せている。山好きのトレッキングコースとして、湯量豊富な温泉地として、多くの観光客が訪れる。だが、そこに集まるのは、観光客だけではない。少なくない沖縄や奄美の人々が移り住み、観光業の仕事についていた。さらに霧島連山の先には、鹿児島県の大口、チッソ創業の地である曽木発電所の遺構がある。さらに北西に行けば、水俣があり、川内の原子力発電所がある。霧島の「風景」はまた、水俣や川内原発ともつながっていた。差別被差別の稜線と沖縄奄美の群島的なあり様を基調に、移動の軌跡と(再)開発が織りなす南九州的な風景がそこにはあった。
こうした南九州の風景がより身近に迫ってくるようになったのは、崎山多美や干刈あがた、そして、中上健次の文学を読むようになってからである。さまざまな路地をめぐって書かれたそれらの小説は、子ども時代のそれとはちがうけれどもおなじ、あるいは、おなじだけれどもちがう、「小さな場所」の風景を紡いでいるように感じた。以後、かつて自分が見ていた風景を読み解くような気持ちで中上健次を読むようになった。かくしてわたしは、中上健次と出会い直したわけだが、同時に、文学の言葉を通じて、南九州に出会い直したのだろう。これは、生身で体験したことのみが、経験の内実を構成する訳ではないというささやかなケースだ。そして、なぜ、わたしたちの生に文学の言葉が必要なのかを物語る一例である。
先にわたしは、生身の中上健次を知らない世代の書き手だと称した。遺された作家の言葉を後代に読む者は、はたして何ができるだろうか。そのひとつは、当時、すれ違ったり、出会い損ねたりした言葉と言葉を出会い直させるということではないか。あるいは、確かに出会っていたのに、見過ごされていたような出会いに光をあてるということかもしれない。『中上健次 路地のビジョン』では、佐藤春夫、谷川雁、石牟礼道子、吉増剛造、梁石日らの言葉と中上の言葉の出会いを記した。本書を手にとって下さる読者には、それら出会いの場に立ち会い、その出会いがもたらす、摩擦や葛藤、交流と触発の中で、中上の言葉が帯びる煌めきを感受してほしい。
また、本書の中では、中上文学における特権的なトポスである路地を、文学的、思想的ビジョンとして読み解いた。濃く密な関係性が渦巻く路地は、他者とともに生きるとはいかなる経験か、物語の形式を通じて教えてくれる。路地にはまた、社会のはじっこを生きる人々の声に耳を澄ますことで見えてくる世界が描かれている。中上の路地には、生きづらい社会を変えていくためのヒントがあり、その言葉は、きっと、わたしたちが生き延びるための言葉の杖となるだろう。
中上健次との出会い方はひとつではない。わたしがそうであったように、複数の出会いがあり、何度も出会い直すことができる。『中上健次 路地のビジョン』がそうした出会いや出会い直しの扉になることができれば、これほどうれしいことはない。
(わたなべ えり・日本語文学、批評)




